Chuuni Sound Lab

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音色は、いつ商品になったのか。90年代に起きた『あの音』の商業化

2026-07-24

80年代までのアンプは、音を出す装置として売られていた。90年代に売られ始めたのは、特定の誰かの音そのものである。シグネチャーモデル、アーティストプリセット、アンプ名を冠したモデリング。音色が固有名詞と結びつき、商品として流通するようになった10年。その構造が、いまのプロファイル販売やIR販売まで一直線につながっている。音を買うとは何を買うことなのかを、歴史から考える。

ギターアンプは、長いあいだ装置として売られていた。

音を大きくする。歪ませる。トーンを整える。カタログに書かれるのは、出力、球の構成、チャンネル数といった機能である。

その機能を使って何の音を出すかは、買った人の仕事だった。

90年代に、この構造が変わる。

売られるものが、装置から音そのものへ移っていく。しかもその音には、たいてい固有名詞が付いていた。

「あの音」に、名前と値段が付き始めた

シグネチャーモデルという商法自体は、ギター本体では以前からあった。だがアンプの側でそれが本格化するのは、90年代である。

きっかけの一つは、80年代後半のブティック・ハイゲインの隆盛だった。Soldano SLO-100 が「あのギタリストが使っているあのアンプ」として知られ、Mesa/Boogie の Rectifier が特定のジャンルの音の代名詞になる。

このとき、購買の動機が変化している。

かつては「良いアンプが欲しい」だった。90年代は「あの音が欲しい」になった。

前に書いたとおり、80年代の多チャンネル化で「良いアンプ」という一次元の物差しはすでに折れていた。物差しを失った市場が新しい基準として掴んだのが、実在するレコードの音である。

「良い音」は定義が難しい。「あのアルバムのあの音」は定義しなくても伝わる。

この分かりやすさが、商品設計の方向を決めた。

プリセットという形で、音が流通し始めた

音を商品にするには、音を運べる形にしなければならない。

その器として90年代に整ったのが、プリセットである。

デジタル制御のプリアンプやマルチエフェクターは、設定を数値として保存し、呼び出せる。ここに他人の設定を入れて出荷すれば、音そのものを配布できることになる。

実際、90年代のラック機材には「アーティスト・プリセット」を売りにした製品が複数ある。有名ギタリストの名前を冠したプログラムが最初から入っていて、選べばその音に近い設定が呼び出される。

これは、それまでになかった商品形態だった。

装置を売るのではない。装置に入れる中身を売っている。しかもその中身は、実質的にはただの数値の並びである。

いま我々がプロファイルやIRやプリセットを売り買いしていることの原型は、ここにある。

音が、機材から分離した。分離したものは流通する。

アンプ自体にも、固有名詞が付き始めた

プリセットと並行して、もう一つの商業化が進んでいた。アンプそのものへの固有名詞の付与である。

象徴的なのが、1991年に登場した Peavey 5150 だろう。Eddie Van Halen との共同開発で、名前は彼のバンドのスタジオに由来する。演奏者の名前と結びついたハイゲインアンプが、量産機として市場に出た。

以後、この形式は一般化する。Randall が Dimebag Darrell のシグネチャー機を展開し、Bogner や Friedman、Diezel といったブティック勢も特定のギタリストと結びついた製品を出すようになる。Marshall も、複数のアーティストモデルを継続的に出してきた。

シグネチャー機が売るものは、機能ではない。

その人の音に近づける、という約束である。

もちろん、実際には同じにならない。ギターが違い、手が違い、録音環境が違う。それでも売れるのは、買っているものが音そのものではなく、近づくための最短経路だからだ。

この構造は、いまのプロファイルやIRの販売とほぼ同じである。近づける、という約束を売っている。

そして90年代は、この約束が初めて大規模に商品化された時期でもあった。

モデリングは、その流れの完成形だった

90年代後半、この動きを決定づけた製品が出る。アンプ・モデリングである。

初期のモデリング機器の売り文句は、はっきりしていた。何十種類ものアンプの音が、一台に入っている。

このとき商品として提示されているのは、DSPの性能でも回路設計でもない。アンプ名のリストである。

カタログの中心にモデル名が並ぶという構造は、装置の販売から音の販売へ重心が移ったことを、これ以上なく明確に示している。

面白いのは、この時期に「誰の音でもない音」を売ろうとした製品が、あまり主流にならなかったことだ。

Yamaha の DG シリーズのように、有名アンプの模倣を主眼に置かず、独自の音とデジタル制御の操作性で勝負した機種は存在する。だが市場の中心にはならなかった。

理由は単純で、買う理由を説明しにくいからである。

「あの音が入っている」は、一行で伝わる。「独自の設計で作られた新しい音がある」は、聴いてもらうまで伝わらない。

音が商品になった瞬間から、説明のしやすさが競争条件に加わった。

雑誌と音源が、共通言語を作っていた

もう一つ、90年代に特有の条件がある。

情報が集中していたことだ。

ギター雑誌があり、機材のレビューがあり、有名ギタリストの使用機材が図解で載っていた。読者の多くが同じ記事を読み、同じレコードを聴いている。

だから「あの音」と言えば通じた。誰の、どのアルバムの、どの曲の音か。共通の参照点が成立していた。

音を商品にするには、この共通言語が要る。何に近づけるのかが共有されていなければ、近づけるという約束は売り物にならない。

現在は、この条件がかなり崩れている。聴いている音楽が人によって違い、参照点が分散した。

その代わりに何が起きたかというと、参照点がより細かく、より多くなった。特定のジャンルの中でだけ通じる基準が、無数に並立している。

音の商業化は終わっていない。市場が細かく割れただけである。

商業化が悪いという話ではない

ここまで書くと批判のように読めるかもしれないが、そういう話ではない。

音が商品として流通するようになったことで、明確に良くなったことがある。

まず、再現の難易度が下がった。かつては、憧れの音に近づくために機材を買い集め、試行錯誤し、それでも届かないことが普通だった。いまは出発点としてかなり近い場所に立てる。

次に、比較が可能になった。同じ条件で複数の音を切り替えて聴けるというのは、機材の理解という点でも大きい。

そして、地方や海外に住んでいる人が同じスタートラインに立てるようになった。実機が置いてある店が近くにあるかどうかが、音の到達点を決めなくなった。

これは、機会の平等としてかなり大きな変化である。

複製できる商品と、できない商品

音が商品になったことで、経済の構造も変わっている。

実機のアンプは、一台しかない。売れば手元から消える。中古市場で価格が付き、状態によって上下し、数が減れば高くなる。

条件を記述したデータは、複製できる。売っても手元から消えない。何本売っても在庫が減らない。

この違いは大きい。

まず、価格の決まり方が変わる。実機は希少性で決まるが、データは希少性を持たない。だから価格は、作るのに掛かった手間と、買う側が感じる価値の側から決まることになる。

次に、参照される機材が偏る。データとして流通するのは、需要のある機種である。有名な機種ほど作られ、無名な機種は誰も作らない。実機の中古市場と同じ偏りが、そのまま持ち込まれる。

そして、実機の側にも影響が出る。データで代替できる機種は、実機を持つ理由が減る。逆に、データが出回っていない機種は、実機でしか触れられない。

90年代に始まった音色の商業化は、30年かけて、機材との付き合い方そのものを変えてしまった。

かつて機材は、所有するものだった。いまは、必要なときに条件を呼び出せればよい、という考え方が成立している。

買っているのは、音か、条件か

ただ、一つだけ整理しておいた方がいいことがある。

音を買うという表現は、正確ではない。

流通しているのは、音そのものではない。ある音が鳴っていたときの条件である。

プリセットなら、パラメータの値。IRなら、あるキャビとマイクの組み合わせの応答。プロファイルなら、ある一台がある設定で鳴っていた状態。

どれも「結果としての音」ではなく、「その音が出るための条件」を記述したものだ。

だから、条件のうち買った側で用意する部分が違えば、出てくる音は変わる。ギターが違う。弾き方が違う。その先のミックスが違う。

この構造を理解していないと、「買ったのに同じ音にならない」という失望が起きる。当然で、同じなのは条件の一部だけだからだ。

逆に理解していれば、扱いは明快になる。買ったのは出発点であって、到達点ではない。

90年代に始まった音色の商業化は、この30年で市場を大きく広げた。だが、売られているものの正体は、最初からずっと同じである。

音ではなく、条件。

そこを取り違えなければ、商品化された音は、たぶん便利な道具のままでいられる。

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