Chuuni Sound Lab

#ロック

47 本

Jimmy Pageは、EQの代わりにマイクを遠ざけた

1977年、Jimmy Pageは「Communication Breakdown」のギターについて、アンプを小さな部屋に置き、離れた位置から録ったと説明した。距離が奥行きを作る、という古い録音の格言を、バンド全体の録音で使ってきたという。楽器が正しく鳴っていればスタジオでEQを使う必要は無く、音はマイクで作るべきだ、とも述べている。1stのギターは小型のSuproで録られた。ステージのアンプが大きくなったのは、ドラムの音量と、ツアー先で替えが手に入ることが理由だった。Pageにとって録音の奥行きは、アンプの大きさでもつまみでもなく、距離と部屋で作るものだった。

PFMは、英語版の歌詞を訳さなかった

1973年、イタリアのPFMは英語盤『Photos of Ghosts』を出した。前年のアルバム『Per un amico』の全曲を含むが、英語の歌詞の大半は訳ではなく、King Crimsonの作詞家Peter Sinfieldが新しく書いたものだった。同じ演奏に、別の歌が載った。のちのベーシストは、自分たちの書き方とはまったく違うが美しい、と振り返る。2017年の二言語盤でも、PFMは英語とイタリア語で別の歌詞を書いた。直訳すると言葉のリズムが変わり、曲が表すはずの感情から離れるからだという。PFMにとって、歌詞は音の一部だった。

Zappaの1曲は、15都市の演奏をつないで作られた

Frank Zappaは1982年、スタジオで良いソロを弾けたことは一度もないと思う、と書いた。ソロはライヴの録音から選び、短くするだけで弾き足さない。1982年のアルバムに入った「Drowning Witch」は、土台の演奏そのものが15都市の公演をつないだもので、通しで正しく弾けた公演は一つも無かったという。別の夜の演奏をつなげられたのは、バンドが毎晩同じテンポで弾き、毎日同じ基準に調律していたからである。ギターにはパラメトリックEQが内蔵され、会場ごとにフィードバックの起きる帯域を持ち上げていた。Zappaのギターシステムは、ギターとアンプの外まで続いている。

Robert Frippは、Peter Gabrielの1stに「自分はいなかった」と言った

1977年のPeter Gabrielの1stには、Robert Frippが参加している。目立たない演奏は、強い個性を持つギタリストが曲のために自分を抑えた好例として語られやすい。だがFripp本人は翌1978年、このアルバムに自分は本当はいなかった、全体を仕切ったのはプロデューサーのBob Ezrinだったと語っている。いっぽうで、名前を伏せて参加したいと望んだのはFripp自身で、アルバムではそれをプロデューサーに断られた。音が消えたことと、名前を消そうとしたことを分けると、「Here Comes the Flood」がなぜFrippの『Exposure』で録り直されたのかが見えてくる。

Magmaは、Carl Orffを聴かずに『MDK』を書いた

Magmaの『Mëkanïk Dëstruktïẁ Kömmandöh』は、Carl Orffの『Carmina Burana』からの影響としてよく語られる。だが本人のChristian Vanderは、作曲時点でOrffを聴いたことが無かったと証言している。似ていると最初に指摘したのは、当時のピアニストFaton Cahenだった。Vanderが公言する主な影響はジョン・コルトレーンのジャズで、全員近いほぼ新編成、ブラス主体の短縮シングルから7楽章の全曲版への発展、架空言語コバイア語まで、一次資料で追えるところまでを追う。

繰り返せば、偶然は「意図」に変わる

Rushを初めて聴くと、別々の部分を無理につないだように聞こえることがある。だが何度か聴くうちに、その継ぎ目が語法に変わる。King Crimsonの即興では、調もコード進行も決めないまま、互いの応答がその場の規則になる。1973年のアムステルダム公演で、Bill Brufordは一打も叩かずに「Trio」の作曲者に数えられた。YYZを「リズムの案の寄せ集め」と呼んだGeddy Leeの証言と、「残りが従えば、全員がやるべきことをしているように聞こえる」というJohn Wettonの証言から、音楽の整合性が時間のなかで作られる仕組みを考える。

Hiwattの配線は、英国海軍の仕事をしていた工房が請け負った。注文ごとに違ったアンプが、一つの回路図になるまで

Hiwattといえば、大音量でも崩れないクリーンである。だが最初期のHiwattは一つの音ではなかった。Dave Reevesは客の注文を受けて作り分け、MarshallやFenderに似たトーン回路の個体まであった。それが一つの回路図に固まったのは1971年、配線を英国海軍の仕事をしていたHarry Joyceの工房へ外注したときである。標準化はHiwattの音を固定し、生産を広げ、設計者の死後も残った。そして1980年代の初め、残された社員はその標準の前に増幅段を1段と、Overdriveのつまみを1つ足した。

バンドの同一性は、メンバーの総和ではない。前任者が「劣る」ではなく「違う」と言った理由

ボーカルが替わったバンドは、たいてい良いか悪いかで語られる。だが交代を経験した当事者の言葉を並べると、別の軸が出てくる。Robert Frippはグループをメンバーとは別の存在として定義し、Tommy Leeは前任者の曲を後任が歌うことを「カバーのようだ」と言い、AnthraxのJoey BelladonnaとIron MaidenのBruce Dickinsonは、それぞれ自分の後任を「劣る」ではなく「違う」と位置づけている。バンドの同一性を、固定されたメンバーではなく、何を変えてよいかという許容領域として読み直す。

Mauro Paganiの1978年は、なぜAreaのようでAreaではないのか。1曲ごとに編成を組み替えるという設計

1978年に出たMauro Paganiの1枚目には、固定された編成がない。PFMの3人が並ぶ曲、Areaの4人が並ぶ曲、2人だけの曲が、同じ1枚の中に別々に置かれている。当時のPFMとAreaは公に対立していた。原盤のライナーノートに由来する曲別クレジットを1曲ずつ追うと、この盤が前のバンドの延長でも新しいバンドの始まりでもなく、曲ごとに人を選び直すという設計で作られていることが見えてくる。

「チャンネル数」は、回路の数ではない。3チャンネルの中身は、メーカーで違う

スペック表の先頭にはたいてい「3チャンネル」と書いてある。だがこの数は、何を数えた数なのか。メーカー自身のマニュアルを並べると、同じ語が少なくとも5通りに使われている。差し込み口の数。足で切り替わる音の数。ゲインを共有したまま分けたEQの数。設定を覚えている枠の数。物理的に別々のプリアンプの数。しかも一社が、自社の同じアンプの数え方を後から変えている。チャンネル数は回路の数え上げではなく、メーカーがどこに線を引いたかの宣言である。

技術は、増やしたまま隠せる。Queensrÿche『Empire』が1990年に分けた工程

1990年の『Empire』は、バンドが大きな部屋で大きく鳴っているように聴こえる。だが制作の側では、技術は減っていない。デジタル録音機とSSLへ投げ込まれ、キーボード・プログラミングが独立した職能としてクレジットに立ち、録音と整音の担当は工程ごとに分かれている。いっぽう作曲側では要素が削られていた。増やす側と減らす側が同時に動いたとき、聴き手には何が届くのか。当事者の言葉から読む。

ハイゲイン・アンプが内部へ取り込んだのは、音色ではなく再現の条件だった。歪みは長いあいだ、アンプの外側で組まれていた

1970年代のハードなギターは、歪みの量で作られていたわけではない。Blackmoreは低い飽和のまま出力段を鳴らし、Iommiは歪みの担当をブースターと弦へ配り、Mayは帯域を選んで飽和させ、Rhoadsはゲイン源をペダルに置いた。アンプ内部でゲインを作る回路は1972年には買えたのに、1978年の基準音は1967年製のヘッドと可変電圧トランスで録られている。後のハイゲイン・アンプが内部化したのは、その音色ではなかった。

パンクは技巧を否定したのか。Toy Dollsのオルガが捨てたのは、速さではなかった

パンクは技巧を否定した、と語られてきた。だがToy Dollsのオルガは、驚くほど速いピッキングで知られながら、本人は見せびらかしの速弾きを嫌うと明言している。ピックすら使わず、指にテープで貼った自作物で弾く。一方で公式サイトには自分の運指練習の動画を置いている。矛盾しているように見えるこの人物の影響源をたどると、リードとリズムを同時に弾くという、難しいのに難しく見えない系譜へ行き着く。

なぜ弦を減らすのか。減っているのは弦ではなく、選択肢である

楽器の歴史は、たいてい機能を足す方向で語られる。多弦化、音域の拡張、切り替えの追加。その反対側に、外す人たちがいる。Keith Richardsは5本、Max Cavaleraは4本、Mark Sandmanは2本。そしてLou Reedは6本残したまま、すべてを同じ音へ寄せた。理由はそれぞれ違い、思想が先だったとも限らない。四つの記録を並べると、共通していたのは弦の本数ではなかった。

Depthは、低音を足すノブではなかった。スピーカーをどれだけ制動するかの調整である

多くのハイゲインアンプに、DepthやResonanceというノブが付いている。低音を足すつまみだと思われがちだが、設計側の説明は違う。Fryetteの取扱説明書もPeaveyの取扱説明書も、そしてPeaveyの特許も、これを「ダンピングファクターを変える回路」として説明している。トーンコントロールではなく、帰還の設計である。

John Wettonは、同じ音を持ち込まなかった。バンドが変わるたび、自分の機能を作り替えた

King Crimson、U.K.、Asia。John Wettonは三つのバンドで、まったく違う音楽を成立させている。だが「どのバンドでも自分の色を出した」という説明では足りない。本人の言葉を並べると、彼が変えていたのは音色ではなく、アンサンブルの中での自分の機能だった。主導権を取り合う即興のベーシストから、歌を担う支柱へ。そして曲を最優先する共作者へ。

Soldano SL-60は、なぜ日本で作られ、なぜ一年で終わったのか。SLO-100を一本のチャンネルへ落とした廉価機

Soldano SL-60は日本で作られた。Michael Soldanoが初めて手がけた低価格機で、設計は本人、製造は日本の工場、企画を持ちかけたのは当時の日本の輸入代理店だった。だが一年で終わっている。音は良かった、と本人は言う。終わった理由は音ではなかった。回路はSLO-100のオーバードライブ・チャンネルそのもので、そこから何を削り、何を残したのかも合わせて読む。

『In the Court of the Crimson King』は、一度録り直されている。成功した制作手法が、次の音楽と噛み合わなかったとき

『In the Court of the Crimson King』のクレジットには「Produced by King Crimson」とある。だがその前に、成功したプロデューサーとのセッションが一度捨てられている。降ろされたのは無能な人物ではない。別の音楽で完成していた録音手法だった。積み上げる方法と、まず捕まえる方法。二つの前提がぶつかった事件として読み直す。

「安い材料」は、悪い音なのか。キャビとスピーカーの木・MDF・磁石・繊維を、役割で読む

ギター機材の材料は「安い/高い」「本物/代用」で語られがちだ。だが実際の設計を見ると、材料は価値の序列ではなく、部位ごとの役割分担、品質階級ではない音色選択、そして代用材の自立として働いている。キャビネットの木とMDF、スピーカーの磁石とコーン繊維を、役割とトレードオフで読み直す。

Tom Morelloは、何を固定して何を自由にしたのか。制約が創造性を移した場所

Tom Morelloの独自性は、機材が少なかったことではない。アンプ・キャビネット・基本ペダル・ノブの位置を不変条件として固定し、その代わりにピックアップセレクター、二つのボリュームの差、トレモロ、Whammy、ワウ、ディレイ、ケーブル、フィードバックを演奏中の操作子へ変えたことにある。制約は選択肢を減らしたのではなく、創造性を製品選択から身体操作と作曲へ移した。

キャビネットを、チャンネルで切り替える。Mesa Road King 4×12という忘れられた分岐

Mesa/Boogie Road King 4×12は、一つの筐体に開放型と密閉型を左右で同居させ、アンプのチャンネルごとに呼び出せるようにした。キャビネットを、出力段の末端に固定された箱から、切り替え可能な音色モジュールへ変えた設計である。標準にはならなかった、この忘れられた分岐を記録する。

極端なメタルは、なぜ楽器の標準を作るのか。7弦・8弦・ゲート・モデリングが市場へ広がった道筋

デスメタルやdjentは、珍しい機材を消費するニッチに見える。だが、その極端な要求は既存技術の用途を変え、有効性を可視化する実験場として働いてきた。7弦、8弦、ノイズゲート、ブースト、モデリングとIR。極端なメタルが楽器市場の標準機能を生んだ過程を、名機列伝ではなく一つの信号設計として読み直す。

ジャンルがアンプを作ったのか、アンプがジャンルを作ったのか。因果は両方向に流れる

メタルがあったからハイゲインアンプが生まれたのか。ハイゲインアンプがあったからメタルが生まれたのか。この問いは、どちらか一方では答えが出ない。歪みの発見、大出力化、マスターボリューム、多段ゲイン、そして低いチューニング。音楽と機材は、要求と可能性を交互に渡しながら進んできた。因果が双方向に流れるという前提で、ギターアンプの60年を読み直す。

配信で見つけたJCM900。多層ギターのアンプは、前景と背景を編成している

フジロックの配信を見ていて、MogwaiのステージにJCM900を見つけた。そこから、多層ギターにおけるアンプの役割を考える。アンプは単体の音色やクリーン/歪みの切替だけでなく、歪みを背景、クリーンを前景として配置する編成装置でもある。MogwaiとAmerican Footballは、その対照的な二つの解法を示す。

クローンは、劣化コピーなのか。Marshall系の模倣が受け継いできたもの

ギターアンプの歴史は、模倣の歴史でもある。MarshallはFender Bassmanを写すところから始まり、その回路は無数のブティックメーカーへ受け継がれた。モディファイ、クローン、リイシュー、そしてデジタルの再現。似せるという行為には何段階もの水準があり、それぞれ別のことをやっている。何を写し、何を変えるのか。模倣という行為を、設計の側から評価し直す。

Robert Frippは、音色ではなく方法論を設計した。仕組みを作るという演奏思想

ほとんどのギタリストは、音色を選ぶことで自分の音を作る。Robert Frippがやったのは、音を出す仕組みそのものを設計することだった。二台のテープレコーダーを繋いだFrippertronics、Roland GR-300による音源の置き換え、Eventide H3000を軸にしたSoundscapes。機材が変わっても一貫しているのは、演奏の前に系を作るという態度である。音色を設計するのではなく、方法論を設計するとはどういうことか。

音色は、いつ商品になったのか。90年代に起きた『あの音』の商業化

80年代までのアンプは、音を出す装置として売られていた。90年代に売られ始めたのは、特定の誰かの音そのものである。シグネチャーモデル、アーティストプリセット、アンプ名を冠したモデリング。音色が固有名詞と結びつき、商品として流通するようになった10年。その構造が、いまのプロファイル販売やIR販売まで一直線につながっている。音を買うとは何を買うことなのかを、歴史から考える。

「良いアンプ」という言葉が、まだ一つの意味で通じた時代。多チャンネル化以前のアンプ観

かつて「良いアンプ」という言葉は、それだけで通じた。Fender Twin、Marshall Plexi、Vox AC30、Hiwatt。一台が一つの音しか持たず、良し悪しが一本の物差しで語れたからである。この物差しは、70年代末に始まる多チャンネル化で、やがて壊れる。良いか悪いかではなく、何に良いかを言わなければ評価が成立しなくなる。名機という言葉が指していたものは何だったのか。評価軸が分解されていく過程として、ギターアンプの40年を読み直す。

5150だけではない。忘れられた設計思想を掘る——AmpegとPeaveyのギターアンプ

Ampegはベースアンプ、Peaveyは頑丈で安い実用品——そのブランドイメージの裏に、独自の設計思想を持つギターアンプ史がある。Ampegの創業とSLM期の2chチューブ機、Peaveyの垂直統合という工業思想、VTM/Butcher/Ultra/Classic 100(8×EL84)。5150だけが有名になった裏で忘れられた設計を、『名機』ではなく『歴史に選ばれなかった設計思想』として、歴史から読み解く。

プレイヤーに利益を与えるギターは、なぜ主流になれないのか。工業デザインで読むエレキギター史

エレキギターの工業デザイン史を、Rickenbackerの鋳造ボディからLeo Fenderの量産革命、Ovationの複合材、グラファイト・ネック、Steinbergerのヘッドレス、Parker Flyまで時系列で追う。合理的な設計は一度だけ勝ち、そして『像』へ凍結した——プレイヤーに利益を与える工業デザインが、なぜ市場の中心を動かせなくなったのか。技術史ではなく工業デザイン史として読み解く。

ギターアンプの見た目は、なぜ数十年変わらないのか

家電も車も数十年で姿を変えたのに、ギターアンプは黒い箱にノブが並ぶ姿をほとんど変えていない。中身は真空管からデジタルまで進んだのに、外見だけが止まっている。これは技術の遅れではなく、見た目が『本物の音の記号』として固定され、楽器という文化に縛られた工業製品だからだ。工業デザインの側から、この不動を CSL の視点で読み解く。

メタルの「タイト」とは、時間の何を指しているのか

メタルの音を語るとき、『タイト』という言葉がよく使われる。だが、タイトとは音色ではなく、時間の話だ。音の立ち上がり、減衰、返ってくる速さ。タイトという感覚が、時間構造の何を指しているのかを掘り下げる。

「手の音」という神話を、アンプ設計の側から検証する

『結局は手の音だ』とよく言われる。名手はどんな機材でも同じ音を出す、という話だ。半分は本当で、半分は設計の話を覆い隠している。手が作る信号と、それを受け止めて返す機材の設計——両側から解きほぐすと、『手を信じること』と『機材を選ぶこと』が矛盾しない理由が見えてくる。

なぜ米国のアンプは太く、英国のアンプは荒いのか。設計の地域性

米国のアンプは太く、英国のアンプは荒い。よく言われる図式だが、これは国民性の話ではなく、使われた球・整流・トーン回路・スピーカー、そして音量環境の積み重ねだ。6L6とEL34、真空管整流のサグ、Fender型トーンのスクープ——地域ごとの音の傾向が、どんな設計判断と音楽観から生まれたのかを、CSLの視点で整理する。

「真空管アンプの未来」は2000年代に一度分岐した

90年代まではアンプ本体が進化の中心だった。だが2000年代に入ると、ギターアンプの未来はデジタル・小型真空管・ブティック・高級リイシュー・プロファイリングへと分岐する。その分岐点に90年代アンプを置き直し、CSLが実機で何を追っているのかを整理する。

100Wヘッドの時代はなぜ終わったのか

100W真空管ヘッドはかつてプロ用・本格派の象徴だった。音量、重量、メンテナンス、会場とPAの変化、宅録需要によって日常の道具からは外れたが、電源部とトランスの余裕という物量には今も記録対象としての価値がある、という整理。

90年代ブティックアンプは、ハイゲインだけではなかった

90年代のブティックアンプは「もっと歪むMarshall」だけではなかった。改造Marshall文化から育った高級ハイゲインと、Matchlessに代表されるヴィンテージ回帰。二つの方向を並べ、真空管アンプが実用品から嗜好品へ移っていく流れとして整理する。

Mesa/Boogieはいつアーカイブになったのか

Mesa/Boogieというブランドは続いている。だが、Randall Smithを中心に、真空管アンプがまだ発明されるべき機械だった時代は、ひとつの区切りを迎えた。Mesaが何を統合し、いつから自分自身を編集・保存し始めたのかを整理する。

POD前夜、アンプメーカーはまだ真空管で全部やろうとしていた

Line 6 POD登場の直前、アンプメーカーはまだ真空管アンプ自体を多機能化することで時代に応えようとしていた。Marshall、Mesa/Boogie、ENGL、Peavey、Bogner、Laneyなど各社が「全部やる」を物量で実現しようとした、デジタル化前夜の最後のアナログ回答を振り返る。

90年代ギターアンプは、まだ物量で未来を作ろうとしていた

真空管アンプがまだ主役だった90年代、メーカーは大きな筐体・出力・多チャンネル・ループ・MIDI・ラインアウトで時代に応えようとしていた。Marshall、Mesa/Boogie、ENGL、Peavey、Bognerなど各社の流れから、物量で未来を作ろうとしていた時代と、その後のデジタル・小型化への分岐を振り返る。

SL-XとFriedmanの間にある距離

SL-XとFriedmanは、どちらも「Marshallをもっと歪ませる」系譜にある。だが一方は本家が量産機として出した回答、もう一方は改造Marshall文化を少数生産で洗練させたブティックである。似ているようで、この二台の間にははっきりした距離がある。その距離を、荒さと整いという軸で見る。

5881仕様のMarshallをどう見るか

MarshallといえばEL34という前提を一度外し、90年代Marshallに存在する5881仕様を、JCM900 SL-Xと6100LMを通じて考える。硬さ・締まり・レンジ感と、EL34的な中域との違いを整理する。

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