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John Wettonは、同じ音を持ち込まなかった。バンドが変わるたび、自分の機能を作り替えた

2026-09-04

King Crimson、U.K.、Asia。John Wettonは三つのバンドで、まったく違う音楽を成立させている。だが「どのバンドでも自分の色を出した」という説明では足りない。本人の言葉を並べると、彼が変えていたのは音色ではなく、アンサンブルの中での自分の機能だった。主導権を取り合う即興のベーシストから、歌を担う支柱へ。そして曲を最優先する共作者へ。

King Crimson。U.K.。Asia。

同じベーシストが在籍した三つのバンドだが、出てくる音楽はまるで違う。片方は全員が同時に主導権を握り合う即興で、もう片方は 三分半で終わる歌である。

こういうとき、説明はだいたい一つに落ち着く。どのバンドでも自分の色を出した人、と。

だが本人の言葉を並べていくと、別のものが見える。彼が持ち込んでいたのは色ではない。アンサンブルの中で自分がどう機能するかを、そのつど作り替えていた

Crimsonの即興には、規則が一つしかなかった

1972年から1974年のKing Crimsonについて、Wettonは即興の作り方をこう説明している。

即興について規則はひとつだけだった。どのメンバーもいつでも主導権を取れる、そして残りの者はそれに従う。ただし調の中心もコード進行も決まっていない。完全に開かれていた、と。

ここが出発点になる。誰が主導するかが固定されていない。ベースが伴奏に回るとは限らない。

実際、彼はそういう例を挙げている。Trio という即興では、Robert FrippがMellotronを弾いていたので、自分がベースでコード進行を示した、と。

ベースが和声の枠組みを提示している。伴奏楽器の仕事ではない。

そしてライヴでは、即興と作曲の境目そのものを曖昧にしていた。曲と曲の間に即興の区間を組み込み、誰からでも出せる合図で次の曲へ移る。だから客には、即興なのか決められた編曲なのか分からなかった、と語っている。

主導権が回ってくる形式そのものが、この時期の彼の場所だった

『Starless』は、持ち込まれた四分の曲だった

役割の話が、一曲の中ではっきり見える例がある。

Wettonは『Starless』を最初、前作『Starless and Bible Black』のために持っていった。だが受け入れられなかった。次のリハーサルの回で急に受け入れられ、そこからこうなる。

Brufordの悪魔的なベースリフが付いて、私の可愛いバラードは見せ場になった

さらに構造まで説明している。ソナタ形式で、最初に自分のバラードがあり、そこから悪魔的なトライトーンのベースギターのリック――これはBillが書いた――へ入り、すべてが崩壊し、最後にバラードへ戻る、と。

自分の四分の曲を差し出し、他人の手が加わって十一分になる。この関係を、彼は後年こう総括している。

King Crimsonの時期には、四分の曲をバンドへ提出していた。『Red』ではそれが『Starless』だった。その曲は十一分の大作になって返ってきた。今はただ四分の曲を出すだけだ、と。

役割の変化を、本人がこれ以上ないほど短く言っている。

『Red』は、ライヴのやり方で録られた

もう一点、この時期の性格を示す証言がある。

『Red』の頃には三年間ツアーを続けていて、完成された、押しの強い、容赦のない集団になっていた、と彼は言う。だから録音に必要だったのは、ライヴのように演奏できる環境だけだった。ライヴのエンジニアであるGeorge Chkiantzを使い、Olympic Studiosのライヴルームにバンドを立てて、あとは演奏するだけでよかった。千回はツアーで演奏してきたのだから、それで通った、と。

これは演奏する集団としての強度が前提にある録音である。ただしオーバーダブや編集の記録と、この回顧がどこまで両立するかは、資料で確認していない。ここは断定しない。

彼自身、この時期を演奏の頂点として語っている。若く、筋力があり、中年に伴う倦みがなかった、と。

U.K.で、支柱になった

1978年のU.K.で、位置が変わる。

作曲はJobsonとWettonが中心になり、「In the Dead of Night」はJobsonのコード進行にWettonがメロディと歌詞を乗せている。「Alaska」はJobson単独、「Mental Medication」はHoldsworth/Bruford/Jobsonである。

このバンドで、彼はフロントマンであり、同時にアンカーでもあった。ロックバンドとして売られ、ビデオが作られ、Van Halenらの前座に立つ。歌いながらベースを弾き、バンドを支える位置に固定される。

即興の余地は減った。曲を守るために、自分が動かない場所になる必要があった。

Holdsworthが不満を述べたのはこの点である。構造が決まりすぎていて、即興が足りなかった、と。ただし離脱の理由については、当人たちの説明が食い違っている。Holdsworthは音楽的な問題だと言い、Brufordはpop寄りとjazz寄りの対立だと言い、Wettonは個人的な相違だとしか言わない。三者三様なので、ここでは真相を決めない

そしてもう一つ、はっきりさせておくことがある。Jobson側の証言はほとんど取れていない。この記事はWetton側からしか見ていない。バンドの解散を彼一人の統合能力へ還元しないのは、そのためでもある。

Asiaでは、曲が王様になった

1982年のAsiaで、三度目の変化が起きる。

作曲はGeoff Downesとの共作が基本になる。二人で座って互いのアイデアを出し合い、噛み合うものを選ぶ。そして彼はこう言い切る。

Asiaでは曲が王様である。個人の演奏を犠牲にしてでも曲を守る

Crimsonで「四分の曲が十一分になった」人が、今度は曲を十一分にしないために自分の演奏を引く側へ回っている。

歌詞の書き方も変わっている。Joni Mitchellの一人称の歌詞に衝撃を受け、それまでのプログレッシヴ・ロック的な観察から、自分の痛みを書く個人的な歌詞へ移したと述べている。「Heat of the Moment」は謝罪の歌であり、「Only Time Will Tell」は別れた相手へのメッセージである。二十代の恋愛経験を、三十歳でAsiaへ持ち込んだ、と。

変わらなかったもの

三つのバンドで機能を変え続けたが、変えなかったものもある。

作曲の方法について、彼はこう説明している。ヴァースでは、ベースが歌に対して独立して、あるいは対位的に動くように書く。コーラスでは並行に動かして、メロディを和声づける

これはCrimson期からAsia期まで通っている書き方である。歌とベースを別々の線として扱い、必要なところで合流させる

Crimsonでは、その独立性が即興の中で主導権を取る形になった。U.K.では、支柱としてバンドを固定する形になった。Asiaでは、歌のメロディを支えながら、それでも別の線であり続ける形になった。

機能は三度変わったが、ベースを歌の下敷きにしない、という一点は動いていない

作者性は、同じ音を持ち込むことではない

三つのバンドの音が違うのは、当然である。メンバーが違い、時代が違い、市場が違う。

だがWettonの場合、違いを「バンドが違ったから」で説明しきれない部分がある。彼自身が、そのつど自分の機能を設計し直している

主導権を取り合う即興の中でリードとサポートを往復するベーシスト。構造化された編成で歌を担い、バンドを固定する支柱。曲を最優先し、そのために自分の演奏を引く共作者。

これらは同じ人が、同じ楽器で、違う仕事をしている状態である。

演奏家の個性を語るとき、私たちはつい音色や手癖の話をする。同じ機材を使い続けたか、同じフレーズが出てくるか。そういう連続性を探す。

だが編成の中で自分が何をする係なのかを組み替えるという形の一貫性もある。Wettonが残したのは、そちらだったのだと思う。


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