Chuuni Sound Lab

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演奏思想

演奏家の機材選択から、その設計軸を読む記事。(19)

Robert Frippは、Peter Gabrielの1stに「自分はいなかった」と言った

1977年のPeter Gabrielの1stには、Robert Frippが参加している。目立たない演奏は、強い個性を持つギタリストが曲のために自分を抑えた好例として語られやすい。だがFripp本人は翌1978年、このアルバムに自分は本当はいなかった、全体を仕切ったのはプロデューサーのBob Ezrinだったと語っている。いっぽうで、名前を伏せて参加したいと望んだのはFripp自身で、アルバムではそれをプロデューサーに断られた。音が消えたことと、名前を消そうとしたことを分けると、「Here Comes the Flood」がなぜFrippの『Exposure』で録り直されたのかが見えてくる。

繰り返せば、偶然は「意図」に変わる

Rushを初めて聴くと、別々の部分を無理につないだように聞こえることがある。だが何度か聴くうちに、その継ぎ目が語法に変わる。King Crimsonの即興では、調もコード進行も決めないまま、互いの応答がその場の規則になる。1973年のアムステルダム公演で、Bill Brufordは一打も叩かずに「Trio」の作曲者に数えられた。YYZを「リズムの案の寄せ集め」と呼んだGeddy Leeの証言と、「残りが従えば、全員がやるべきことをしているように聞こえる」というJohn Wettonの証言から、音楽の整合性が時間のなかで作られる仕組みを考える。

バンドの同一性は、メンバーの総和ではない。前任者が「劣る」ではなく「違う」と言った理由

ボーカルが替わったバンドは、たいてい良いか悪いかで語られる。だが交代を経験した当事者の言葉を並べると、別の軸が出てくる。Robert Frippはグループをメンバーとは別の存在として定義し、Tommy Leeは前任者の曲を後任が歌うことを「カバーのようだ」と言い、AnthraxのJoey BelladonnaとIron MaidenのBruce Dickinsonは、それぞれ自分の後任を「劣る」ではなく「違う」と位置づけている。バンドの同一性を、固定されたメンバーではなく、何を変えてよいかという許容領域として読み直す。

パンクは技巧を否定したのか。Toy Dollsのオルガが捨てたのは、速さではなかった

パンクは技巧を否定した、と語られてきた。だがToy Dollsのオルガは、驚くほど速いピッキングで知られながら、本人は見せびらかしの速弾きを嫌うと明言している。ピックすら使わず、指にテープで貼った自作物で弾く。一方で公式サイトには自分の運指練習の動画を置いている。矛盾しているように見えるこの人物の影響源をたどると、リードとリズムを同時に弾くという、難しいのに難しく見えない系譜へ行き着く。

三人は、互いの語法を持っていなかった。『Friday Night in San Francisco』の熱はどこから来たのか

1980年12月5日、サンフランシスコのWarfield Theatre。三人のギタリストによるこの記録は、速弾きの名盤として語られてきた。だが聴いたときに来るのは感心ではなく、規模の大きすぎるものを前にした呆然に近い。三人は互いの語法を共有していない。噛み合う瞬間と噛み合わない瞬間が入れ替わり続け、聴く側はそこへ参加できないまま見ている。その構造を、四十年後のギタリストの証言と盤の成り立ちから読む。

なぜ弦を減らすのか。減っているのは弦ではなく、選択肢である

楽器の歴史は、たいてい機能を足す方向で語られる。多弦化、音域の拡張、切り替えの追加。その反対側に、外す人たちがいる。Keith Richardsは5本、Max Cavaleraは4本、Mark Sandmanは2本。そしてLou Reedは6本残したまま、すべてを同じ音へ寄せた。理由はそれぞれ違い、思想が先だったとも限らない。四つの記録を並べると、共通していたのは弦の本数ではなかった。

John Wettonは、同じ音を持ち込まなかった。バンドが変わるたび、自分の機能を作り替えた

King Crimson、U.K.、Asia。John Wettonは三つのバンドで、まったく違う音楽を成立させている。だが「どのバンドでも自分の色を出した」という説明では足りない。本人の言葉を並べると、彼が変えていたのは音色ではなく、アンサンブルの中での自分の機能だった。主導権を取り合う即興のベーシストから、歌を担う支柱へ。そして曲を最優先する共作者へ。

Andy Summersは、なぜ三人編成を音で埋めなかったのか。和音を短く発音し、時間へ渡すという設計

三人編成のギターは、音を厚くして穴を埋めるのが定石とされてきた。Andy SummersはThe Policeでそれをしなかった。三度を抜き、五度を並べ、九度を足した広いヴォイシングを短く発音し、コンプレッサー、モジュレーション、エコーへ渡して時間の方向へ広げた。弾いていない瞬間にも色が残るため、Stingの声とベース、Stewart Copelandの細かなリズムを塞がずに済む。『Walking on the Moon』のDm11、『Don't Stand So Close to Me』のGR-300、2007年の再結成リグまで、機材史を編曲内の役割配分として読み直す。

『In the Court of the Crimson King』は、一度録り直されている。成功した制作手法が、次の音楽と噛み合わなかったとき

『In the Court of the Crimson King』のクレジットには「Produced by King Crimson」とある。だがその前に、成功したプロデューサーとのセッションが一度捨てられている。降ろされたのは無能な人物ではない。別の音楽で完成していた録音手法だった。積み上げる方法と、まず捕まえる方法。二つの前提がぶつかった事件として読み直す。

Cynicは、なぜ重さと透明さを同じ曲に入れられたのか。音色を減らして余白を残すという設計

Cynicはデスメタルからクリーンへ転向したバンドではない。『Focus』の時点でギター二本、専任のデス・ヴォイス、ボコーダー、フレットレス・ベース、ギター・シンセを同じ編曲の中へ置き、重さを低域とゲインの総量ではなく、異質な音色が交替・透過できる余白として設計していた。1993年の『Focus』から、15年の空白を経た『Traced in Air』、約30本のトラックを重ねた『Carbon-Based Anatomy』、音色を二つへ削った『Kindly Bent to Free Us』、そして2020年に二人を失ったあとの『Ascension Codes』まで、機材史を編曲内の信号配分として読む。

Tom Morelloは、何を固定して何を自由にしたのか。制約が創造性を移した場所

Tom Morelloの独自性は、機材が少なかったことではない。アンプ・キャビネット・基本ペダル・ノブの位置を不変条件として固定し、その代わりにピックアップセレクター、二つのボリュームの差、トレモロ、Whammy、ワウ、ディレイ、ケーブル、フィードバックを演奏中の操作子へ変えたことにある。制約は選択肢を減らしたのではなく、創造性を製品選択から身体操作と作曲へ移した。

John McLaughlinは、音を守らなかった。音楽が変わるたび、ギターという入力装置を作り替えた

John McLaughlinは、一つの理想の音を守り続けた演奏家ではない。Mahavishnuの大音量ダブルネックから、Shaktiの改造アコースティック、1980年代のSynclavier、近年のMIDIギターとPRSまで、彼は所属する音楽のリズム・音程・音色を演奏できるように、ギターの役割と身体インターフェースを繰り返し作り替えた。名機の遍歴ではなく、演奏できる音楽の範囲を変える『インターフェース設計史』として読む。

Robert Frippは、音色ではなく方法論を設計した。仕組みを作るという演奏思想

ほとんどのギタリストは、音色を選ぶことで自分の音を作る。Robert Frippがやったのは、音を出す仕組みそのものを設計することだった。二台のテープレコーダーを繋いだFrippertronics、Roland GR-300による音源の置き換え、Eventide H3000を軸にしたSoundscapes。機材が変わっても一貫しているのは、演奏の前に系を作るという態度である。音色を設計するのではなく、方法論を設計するとはどういうことか。

Dimebag Darrellは、なぜソリッドステートを選んだのか。アタックを守るという演奏思想

真空管が正義とされた時代に、トランジスタアンプで一時代を作った弾き手がいる。Dimebag DarrellとRandall RG100ES。彼がソリッドステートを選んだ理由は、コストでも入手性でもなかった。ピッキングの瞬間を、アンプに丸めさせないためである。同じソリッドステートという選択が、Allan Holdsworthとは正反対の要求から出ている。技術ではなく要求が音を決める、という話。

Allan Holdsworthは、何を捨てたのか。音色ではなく『時間』を設計するという演奏思想

70年代から90年代にかけて、ギターアンプはピッキングと歪みの相互作用を磨き続けた。アタックの快感を設計する競争だった。その真っ只中で、正反対を選んだ演奏家がいる。Allan Holdsworth。Marshallを降り、Lab Series L5・Hartley-Thompson・Pearce G1という全トランジスタ機へ移り、しかしMesa/Boogieの真空管ラックへ戻り、その出口にはRocktron Juice Extractorを挿した。彼が拒んだのは真空管ではない。条件が勝手に動くことの方だった。密閉スピーカーボックス「The Coffin」にマイクごと閉じ込めて固定し、動いてほしくない変数を片っ端から潰していく。そこまでして最後に一つだけ自由に残したものが、音の時間である。

「手の音」という神話を、アンプ設計の側から検証する

『結局は手の音だ』とよく言われる。名手はどんな機材でも同じ音を出す、という話だ。半分は本当で、半分は設計の話を覆い隠している。手が作る信号と、それを受け止めて返す機材の設計——両側から解きほぐすと、『手を信じること』と『機材を選ぶこと』が矛盾しない理由が見えてくる。