『In the Court of the Crimson King』のクレジットには、こう書かれている。
Produced by King Crimson。
セルフプロデュース。バンドが自分で作った、という記載である。
だがこの一行の手前に、捨てられたセッションがある。1969年、このアルバムは最初、別の人物のプロデュースで録音が始まっていた。そしてうまくいかず、バンドが自分たちで録り直す許可を得た。
ここで気になるのは、降ろされた人物が失敗続きのプロデューサーではなかったことである。むしろ逆で、直前に大きな成功を出していた。
つまりこれは、能力の話ではない。成功していた録音手法が、次の音楽に合わなかったという話である。
そして「合わなかった」の中身は、感性の相性のような曖昧なものではない。録音の手順そのものが違っていた。
降ろされたのは、失敗していたプロデューサーではない
そのプロデューサーはTony Clarkeという。Moody Bluesの作品を手がけた人物である。
1960年代後半のMoody Bluesは、オーケストラ的な響きをポップスの中へ持ち込むことで成功していた。その音を作った側の人間が、新人バンドの担当としてやってきた。
背景には配給の事情もある。Moody Bluesは自分たちのレーベルThreshold Recordsを持っていて、King Crimsonはそこと契約する話が進んでいた。1969年1月には、Decca側のA&RとClarkeがリハーサルを見に来ている。
ただし、この契約は成立していない。Thresholdが最初に契約したバンドは別で、Crimsonは話が進んだ段階で離れている。この点は誤解されやすいので、先に置いておく。
重要なのは、当事者がClarkeを無能とは言っていないことである。作詞を担当したPeter Sinfieldは後年、これはプロデューサーとしての彼への批判ではなく、プロデューサーとアーティストのミスマッチだった、と述べている。
同じ人物は、自分たちでプロデュースすれば間違いを犯すだろうが、それは自分たちの間違いであって他人の間違いではない、とも言っている。
降ろすという判断は、相手を否定することとは別に成立する。ここが、この事件のいちばん面白いところだと思う。
積み上げる方法
では、何がミスマッチだったのか。
Clarkeの手順は、当時のポップス制作として標準的なものだった。まずベースとドラムの基本トラックを録る。その上に他の楽器を重ねる。歌を入れる。ハーモニーを足す。最後に装飾を加える。
順番に積み上げていく方法である。
この手順には合理性がある。各段階で判断できる。失敗した層だけ録り直せる。オーケストラ的な厚みを作るなら、むしろこれ以外にやりようがない。Moody Bluesの成功は、この手順の上に立っていた。
King Crimsonの評伝を書いたSid Smithは、Moody Bluesでそうしたように大きなバッキングトラックをゆっくり積み上げていくClarkeの好んだやり方が、Crimsonのダイナミクスへの突進と、生意気なほどの一発録りの豪胆さに合っていなかった、と説明している。
ドラマーのMichael Gilesは、Clarkeがバンドのエネルギーを馴らそうとしていたと感じたという。Greg Lakeの言い方はもっと直接的で、彼の主な動機は我々をもう一つのMoody Bluesにすることだった、と振り返っている。
これは推測になるが、Clarkeの側に悪意はなかったはずである。うまくいった方法を持ってきただけだ。問題は、その方法が「音楽はどこにあるのか」についての前提を一緒に運んでくることにある。
積み上げる方法は、音楽が層の重なりとして完成するという前提に立っている。
まず捕まえる方法
Crimsonの前提は違った。
このバンドは、徹底したリハーサルで演奏の噛み合いを作り込んでから録音に入るタイプだった。四人が同時に鳴らしたときにだけ立ち上がるものがあり、それを先に押さえなければ何も残らない。
Clarkeが離れた後のセッションについて、資料は、どの場合もグループはバンド全体の基本トラックを一発で録音し、他のパートは後からオーバーダブした、と記述している。
順番が逆になっている。
積み上げる方法では、全体は最後に現れる。まず捕まえる方法では、全体が最初にあり、後の作業はその上の装飾になる。
オーバーダブを使うかどうかの違いではない。Crimsonも後から重ねている。違うのは、最初に何を確定させるかである。
以下は『In the Court of the Crimson King』の冒頭曲。バンド公式チャンネルの音源である。
聴きどころは終盤である。曲がいったん終わったように聴こえる。そこから、もう一度全員で立ち上がってくる。
この再突入が、四人でぴたりと揃う。
ここが、録音方法の違いが音として出る場所だと思う。積み上げる方法でこの箇所を作るなら、各パートを別々に録って、後から位置を合わせることになる。合わせられはする。だが「合わせた」結果になる。
一発で押さえる方法では、順序が逆になる。合っていることが録音の前提であり、揃っていなければそのテイクは残らない。終わったと思わせてから同時に戻ってくるという演奏は、四人が同じ時間感覚を共有していることを、そのまま記録している。
この曲のユニゾンや急な停止も同じ性質のものである。層を積んで作れる種類の演奏ではない、と考える方が筋が通る。
同じ曲が、二度録られている
抽象論に見えるかもしれないが、この違いはセッションログに残っている。
Clarke期のセッションは、6月のMorgan Studiosから始まり、7月にWessex Sound Studiosへ移っている。そして7月9日、『I Talk to the Wind』のテイクが12本録られている。
このときの編成が記録されている。Robert Frippのアコースティックギターと、Ian McDonaldのフルートのデュオである。
バンド全体ではない。
一方、Clarkeが離れた後の7月21日、同じ曲がまた9テイク録られている。資料は、バンドがClarke抜きで進めることを決め、7月21日に集まったとき、アプローチの違いはほとんど即座に明らかになった、と書いている。
同じ曲を、違う前提で二度録っている。デュオから積み上げようとした録音と、バンドで押さえてから重ねた録音。
完成版が後者である。
なお、Clarke期のテイクは『The Complete 1969 Recordings』というボックスセットに収録されている。公式に配信されている形ではないため、ここでは並べて貼れない。二つを聴き比べたい場合は、そちらを当たることになる。
この記事では、Clarke期のテイクがどう聴こえるかについては書かない。実際に聴いていないからである。ここで言えるのは、編成とテイク数が記録として残っているということまでである。
セルフプロデュースは、一人で録ることではない
「バンドが自分たちで作った」という言い方は、しばしば誤解を生む。
機材を自分で組んで、全部自分でやった、という意味に読めてしまう。実際は違う。
完成したアルバムのクレジットを見ると、こうなっている。
Recorded at Wessex Sound Studios, London。Engineer: Robin Thompson。Assistant Engineer: Tony Page。そして Produced by King Crimson for EG Productions。
録音技術の担当者はいる。スタジオもプロの現場である。
つまりセルフプロデュースとは、録音技術を自分でやることではなく、音楽の判断を誰に委ねないかの選択だった、と読む方が実態に近い。技術はエンジニアが持ち、判断はバンドが持つ。役割が分かれている。
そしてこの選択には、金銭のリスクが伴っている。
マネージャーのDavid Enthovenは、録音費用£15,000を保証するために自宅を抵当に入れたと記録されている。判断を自分たちで持つということは、失敗したときの負債も自分たちで持つということだった。
無償の自由ではない。交換条件のある自由である。
Mellotronを、同じようには録らない
前提の違いは、個別の録音手順にも出ている。
このアルバムで目立つ楽器のひとつがMellotronである。テープを鳴らして弦や合唱の音を出す鍵盤で、Moody Bluesが多用したことで知られていた。
同じ楽器を使えば、同じ音になりそうなものである。だがIan McDonaldは、意識的に外している。Moodiesがやったのと同じ方法でMellotronを録音したくなかった、と述べ、Mellotronをマーシャルのダブルスタックから思い切り鳴らし、20フィートほど離してマイクを立てた、と説明している。
ここが具体的で面白い。
Mellotronをライン録りして滑らかに積めば、疑似オーケストラとして機能する。Moody Blues的な方向である。一方、ギターアンプのスタックで鳴らして部屋の距離ごと録れば、それは「オーケストラの模倣」ではなく部屋で鳴っている一つの楽器になる。
同じ楽器が、通し方と距離の取り方で別の役割を与えられている。
これは音色の選択というより、その楽器を編成のどこに置くかという判断である。滑らかに溶かすのか、他の楽器と同じ空気の中で鳴らすのか。
なおSinfieldは、Mellotronについて一音ずつ録って組み上げる手法にも言及している。全編が一発録りで統一されていたわけではない。基本トラックを同時に押さえるという原則と、細部を積むこととは両立する。
確定していないこと
この件には、資料が割れている部分がある。記事として断定しない箇所を明示しておく。
まず、「Clarkeにリズムコードを何時間もかき鳴らさせられた」という逸話がある。これは複数の資料に出てくるが、誰がそれをやらされたのかが一致していない。ある記事はSinfieldの発言として載せ、別の記事はボックスセットのライナーノーツからFrippの回想として引用している。
7月9日のテイクがFrippのアコースティックギターとMcDonaldのフルートによるデュオだったというログは、Fripp側の記述と整合する。ただしそれは傍証であって、確定ではない。ここでは語り手を特定しない。
次に、録音期間の表記が資料ごとに違う。7月7日から8月13日とするもの、7月21日から8月21日とするもの、7月16日から8月15日の15日間とするものがある。セルフプロデュースの起点を7月16日と見るか7月21日と見るかも割れている。「何日で録音した」という言い方は、この件では使えない。
そして最大の欠落がある。Tony Clarke本人が、このセッションについて語った資料が見つかっていない。
つまりこの話は、片側の証言だけで構成されている。バンドの側から見た不適合の記録である。Clarkeがどう考えていたかは、現時点では分からない。
この非対称は、記事の弱点というより、この種の制作史そのものの性質だと思う。降ろされた側は、たいてい語る機会を持たない。
方法は、音楽がどこにあるかについての仮説である
録音手法は中立な道具ではない。
積み上げる方法は、音楽が層の重なりとして完成すると考えている。まず捕まえる方法は、音楽が同時に鳴った瞬間にしかないと考えている。どちらも一つの仮説であり、それぞれに合う音楽がある。
Moody Bluesの音楽は前者でうまくいった。それは疑いようがない。同じ手順がKing Crimsonで止まったのは、手順が劣っていたからではなく、その手順が前提としている音楽の在り処が、このバンドの音楽と違う場所にあったからだと考える方が、事実に合う。
そう考えると、1969年の交代は反抗の物語ではなくなる。実績のある方法が、それを支えていた前提ごと持ち込まれ、別の前提を持つ音楽と衝突した。それだけの話である。
そして、この構図は1969年に限らない。
うまくいった方法は、次の現場へ持っていきたくなる。手順が同じなら結果も近くなるはずだ、と考えるのは自然である。だが手順は、それが想定している音楽の在り処を一緒に運んでくる。成功した方法ほど、その前提が見えなくなる。
自分の録り方が、音楽のどこを本体だと思っているのか。それを一度言葉にしてみると、機材や手順の選択が違って見えることがある。
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