Chuuni Sound Lab

#KingCrimson

6 本

Robert Frippは、Peter Gabrielの1stに「自分はいなかった」と言った

1977年のPeter Gabrielの1stには、Robert Frippが参加している。目立たない演奏は、強い個性を持つギタリストが曲のために自分を抑えた好例として語られやすい。だがFripp本人は翌1978年、このアルバムに自分は本当はいなかった、全体を仕切ったのはプロデューサーのBob Ezrinだったと語っている。いっぽうで、名前を伏せて参加したいと望んだのはFripp自身で、アルバムではそれをプロデューサーに断られた。音が消えたことと、名前を消そうとしたことを分けると、「Here Comes the Flood」がなぜFrippの『Exposure』で録り直されたのかが見えてくる。

繰り返せば、偶然は「意図」に変わる

Rushを初めて聴くと、別々の部分を無理につないだように聞こえることがある。だが何度か聴くうちに、その継ぎ目が語法に変わる。King Crimsonの即興では、調もコード進行も決めないまま、互いの応答がその場の規則になる。1973年のアムステルダム公演で、Bill Brufordは一打も叩かずに「Trio」の作曲者に数えられた。YYZを「リズムの案の寄せ集め」と呼んだGeddy Leeの証言と、「残りが従えば、全員がやるべきことをしているように聞こえる」というJohn Wettonの証言から、音楽の整合性が時間のなかで作られる仕組みを考える。

バンドの同一性は、メンバーの総和ではない。前任者が「劣る」ではなく「違う」と言った理由

ボーカルが替わったバンドは、たいてい良いか悪いかで語られる。だが交代を経験した当事者の言葉を並べると、別の軸が出てくる。Robert Frippはグループをメンバーとは別の存在として定義し、Tommy Leeは前任者の曲を後任が歌うことを「カバーのようだ」と言い、AnthraxのJoey BelladonnaとIron MaidenのBruce Dickinsonは、それぞれ自分の後任を「劣る」ではなく「違う」と位置づけている。バンドの同一性を、固定されたメンバーではなく、何を変えてよいかという許容領域として読み直す。

John Wettonは、同じ音を持ち込まなかった。バンドが変わるたび、自分の機能を作り替えた

King Crimson、U.K.、Asia。John Wettonは三つのバンドで、まったく違う音楽を成立させている。だが「どのバンドでも自分の色を出した」という説明では足りない。本人の言葉を並べると、彼が変えていたのは音色ではなく、アンサンブルの中での自分の機能だった。主導権を取り合う即興のベーシストから、歌を担う支柱へ。そして曲を最優先する共作者へ。

『In the Court of the Crimson King』は、一度録り直されている。成功した制作手法が、次の音楽と噛み合わなかったとき

『In the Court of the Crimson King』のクレジットには「Produced by King Crimson」とある。だがその前に、成功したプロデューサーとのセッションが一度捨てられている。降ろされたのは無能な人物ではない。別の音楽で完成していた録音手法だった。積み上げる方法と、まず捕まえる方法。二つの前提がぶつかった事件として読み直す。

Robert Frippは、音色ではなく方法論を設計した。仕組みを作るという演奏思想

ほとんどのギタリストは、音色を選ぶことで自分の音を作る。Robert Frippがやったのは、音を出す仕組みそのものを設計することだった。二台のテープレコーダーを繋いだFrippertronics、Roland GR-300による音源の置き換え、Eventide H3000を軸にしたSoundscapes。機材が変わっても一貫しているのは、演奏の前に系を作るという態度である。音色を設計するのではなく、方法論を設計するとはどういうことか。

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