ギタリストの機材選びは、たいてい音色の選択である。
このアンプの歪みが好きだ。このピックアップの中域が要る。このディレイの質感が合う。判断の基準は、出てくる音の性質にある。
Robert Fripp の機材遍歴を追うと、その基準がほとんど働いていないことに気づく。
彼が設計していたのは、音色ではない。音が生まれる仕組みである。
前に書いた Allan Holdsworth は、音の時間を設計していた。Dimebag Darrell は、アタックを守るために機材を選んだ。二人とも、最終的に出てくる音の性質から逆算している。
Fripp は、そこよりもう一段手前に立っている。
二台のテープレコーダーという「装置」
まず、その装置が生んだ音を聴いておく。
Fripp の名前と結びついている手法に、Frippertronics がある。
原理は単純だ。二台のテープレコーダーを並べ、片方の録音ヘッドから他方の再生ヘッドへテープを渡す。録音した音が、少し遅れて再生され、それがまた録音される。演奏を重ねれば、音が層になって積み上がっていく。
彼が使ったのは Revox の機材で、A77 と B77 を組み合わせた構成が知られている。着想の元には、Terry Riley のテープ遅延の手法があり、Brian Eno との共作を通じて自分の方法として定着させた。
ここで注目したいのは、この装置が音色を作る道具ではないことである。
ディストーションやコーラスは、入力された音の質感を変える。Frippertronics は質感を変えない。変えるのは、音が存在する時間の構造の方だ。
一人で弾いているのに、和声が積み重なる。過去の自分と現在の自分が同時に鳴る。演奏という行為の枠組みそのものが変わる。
彼はエフェクターを選んだのではなく、演奏の形式を設計している。
そして重要なのは、この装置が制約を持っていることだ。テープの長さで遅延時間が決まり、消え方も機械の特性で決まる。任意には作れない。
その制約の中で何ができるかを探る、という進め方になる。自由に作れる音を求めていたわけではない。
ギターの音を、ギターの音でなくす
1980年代に入ると、Fripp は Roland のギターシンセサイザーを本格的に使い始める。GR-300、のちに GR-700。King Crimson が Warner に残した『Discipline』『Beat』『Three of a Perfect Pair』の時期にあたる。
ギターシンセは、当時としてはかなり癖の強い機材だった。追従の遅れがあり、弾き方を選ぶ。それでも彼は使い続けた。
理由を音色の面から説明すると、たぶん足りない。
ギターシンセを使うということは、弦の振動と、出てくる音の対応関係を切るということである。押さえた場所と、鳴る音の音色に、物理的な必然性がなくなる。
普通のギタリストにとって、これは失うものが大きい選択だ。ピッキングのニュアンスが音色に反映されなくなり、手の情報が減る。
だが彼は、そもそも手の情報を音色へ流し込むタイプの演奏をしていない。彼の演奏は、正確な音価と反復パターン、そして緻密な音符の配置で成り立っている。音色ではなく構造で聴かせる演奏である。
だとすれば、音源が何であっても構わない。構造さえ設計できれば、出音はギターの音でなくてもいい。
後年、Roland の VG-8 のようなモデリング系の機材を使ったのも、同じ理由で説明がつく。一つの楽器から複数の音源を呼び出せることが、彼の演奏の設計に合っていた。
Soundscapes という、更新された仕組み
90年代以降、Frippertronics は Soundscapes という形へ更新される。
中心にあるのは Eventide の H3000 のようなデジタル処理機で、リアルタイムのピッチシフトを含む加工を掛け、それをディレイ系の反復へ送る。テープでやっていたことを、デジタルで作り直したものだと考えると分かりやすい。
面白いのは、装置が入れ替わっても、やっていることが変わっていないことである。
演奏を、その場で層にする。層になった状態を、次の演奏の材料にする。自分の出した音が環境になり、その環境に対して演奏する。
テープでもデジタルでも、この構造は同じだ。
彼にとって機材の更新は、音色の更新ではなく、仕組みの実装方法の更新でしかない。テープの制約がデジタルの制約に置き換わり、できることが少し増えた。それだけである。
だから彼の機材遍歴には、いわゆる「音色の探求」の跡があまり残らない。Hiwatt を長く使い、Les Paul を長く使い、その部分では驚くほど動きが少ない。
動いているのは、常に系の側だ。
チューニングまで、設計の対象になった
方法論を設計するという態度が、最も極端な形で現れたのは、機材ではない領域だった。
1980年代半ば、Fripp は Guitar Craft という指導の枠組みを始める。そこで使われたのが、標準チューニングとはまったく違う調弦だった。低い方から C・G・D・A・E・G。五度で積み上げていく構成で、New Standard Tuning と呼ばれている。
これが何を意味するか。
ギターの標準チューニングは、四度を基本にしながら三度が一箇所だけ挟まる、やや不規則な構造をしている。歴史的な経緯の産物で、合理的に設計されたものではない。
だが、そのおかげでコードの押さえ方が現実的な形に収まっている。何百年ぶんかの蓄積が、この不規則さの上に載っている。
五度で統一すると、その蓄積が全部使えなくなる。指の形も、スケールの位置も、覚え直しになる。弦の張力も変わるので、弦のゲージから見直す必要がある。
普通は、やらない。失うものが大きすぎる。
Fripp はやった。
理由は、彼が既存の語彙をいったん捨てたかったからだと考えると筋が通る。標準チューニングの上で弾いていると、手が覚えた形へ勝手に落ちていく。落ちた先は、たいてい誰かが弾いたことのあるフレーズである。
構造を変えれば、手癖が効かなくなる。効かなくなった状態で何が出てくるかを見る。
これは、音色の選択でも機材の選択でもない。演奏の前提条件そのものを設計し直すという行為である。
Frippertronics が演奏の時間構造を設計したものだとすれば、New Standard Tuning は演奏の空間構造を設計したものだと言える。
どちらも、出てくる音の質感には直接触っていない。触っているのは、常に仕組みの側だ。
方法論を設計するとは、どういうことか
ここまでの三人を並べると、演奏思想の型が見えてくる。
Holdsworth は、音の時間を設計した。アタックを消し、持続を均一にし、鳴っている音に後から触れる手段を求めた。
Dimebag は、アタックを守る条件を設計した。入力から出口まで、打点が丸まらない経路を組んだ。
Fripp は、演奏という行為の枠組みを設計した。何を弾くかの前に、弾いた音がどう振る舞うかの規則を決めた。
三人とも、機材を「良い音がするもの」として選んでいない。自分の要求を実装する部品として選んでいる。
そして三人とも、既製品をそのまま受け入れていない。Holdsworth は Pearce に手を入れさせ自作のロードボックスを作り、Dimebag はアンプの設計に関わり、Fripp はテープレコーダーを本来の用途から外して使った。
要求が先にあると、機材の使い方は必然的に逸脱していく。
仕組みを持っている人は、機材で迷わない
実用的な話として、この視点は使い道がある。
機材選びで延々と迷うとき、たいてい欠けているのは知識ではない。自分の仕組みが決まっていないことが多い。
どういう手順で音を作り、何をどこで決め、何を演奏中に動かすのか。これが決まっていれば、必要な機材はかなり絞られる。決まっていなければ、どの機材にも「良さそう」と感じてしまう。
Fripp の機材遍歴が長期間ほとんど動かないのは、仕組みが早い段階で確定していたからだと思う。仕組みが決まっていれば、機材は仕組みの要求を満たすかどうかだけで判定できる。
音色は、探し続けるときりがない。方法論は、決めれば終わる。
そして、決めた方法論の中で出てくる音が、結果としてその人の音になる。
順序が逆になっていないか、ときどき確認してみる価値はある。
参考
- Frippertronics — Wikipedia
- Rig Rundown: King Crimson's Robert Fripp — Premier Guitar
- Roland GR-300 と使用者について
- 本文中の音源: Fripp & Eno
The Heavenly Music Corporation I(『No Pussyfooting』/1973年)。 Robert Fripp公式チャンネルより。 https://www.youtube.com/watch?v=tNbJ36kz6wQ