Chuuni Sound Lab

#プログレ

9 本

ドラマーが書いた曲は、ドラムのために書かれていない

Univers Zeroの1981年作『Ceux du dehors』の冒頭曲「Dense」は、ドラマーのDaniel Denisが書いた12分の曲である。Denisは、曲をドラムから書いたことはほとんどなく、いつも他の楽器から書き始めると述べている。録音でも、ドラムは他の楽器を録り終えてから最後に重ねてきたという。木管や弦の音を覆わないよう、ドラムはオーケストラの打楽器のように使う。複雑な拍子は数えずに、基本の4/4と同じように感じて演奏する。ドラマーが率いるバンドで、緊張を組み立てていたのはドラム以外の楽器の側だった。

PFMは、英語版の歌詞を訳さなかった

1973年、イタリアのPFMは英語盤『Photos of Ghosts』を出した。前年のアルバム『Per un amico』の全曲を含むが、英語の歌詞の大半は訳ではなく、King Crimsonの作詞家Peter Sinfieldが新しく書いたものだった。同じ演奏に、別の歌が載った。のちのベーシストは、自分たちの書き方とはまったく違うが美しい、と振り返る。2017年の二言語盤でも、PFMは英語とイタリア語で別の歌詞を書いた。直訳すると言葉のリズムが変わり、曲が表すはずの感情から離れるからだという。PFMにとって、歌詞は音の一部だった。

Robert Frippは、Peter Gabrielの1stに「自分はいなかった」と言った

1977年のPeter Gabrielの1stには、Robert Frippが参加している。目立たない演奏は、強い個性を持つギタリストが曲のために自分を抑えた好例として語られやすい。だがFripp本人は翌1978年、このアルバムに自分は本当はいなかった、全体を仕切ったのはプロデューサーのBob Ezrinだったと語っている。いっぽうで、名前を伏せて参加したいと望んだのはFripp自身で、アルバムではそれをプロデューサーに断られた。音が消えたことと、名前を消そうとしたことを分けると、「Here Comes the Flood」がなぜFrippの『Exposure』で録り直されたのかが見えてくる。

Magmaは、Carl Orffを聴かずに『MDK』を書いた

Magmaの『Mëkanïk Dëstruktïẁ Kömmandöh』は、Carl Orffの『Carmina Burana』からの影響としてよく語られる。だが本人のChristian Vanderは、作曲時点でOrffを聴いたことが無かったと証言している。似ていると最初に指摘したのは、当時のピアニストFaton Cahenだった。Vanderが公言する主な影響はジョン・コルトレーンのジャズで、全員近いほぼ新編成、ブラス主体の短縮シングルから7楽章の全曲版への発展、架空言語コバイア語まで、一次資料で追えるところまでを追う。

繰り返せば、偶然は「意図」に変わる

Rushを初めて聴くと、別々の部分を無理につないだように聞こえることがある。だが何度か聴くうちに、その継ぎ目が語法に変わる。King Crimsonの即興では、調もコード進行も決めないまま、互いの応答がその場の規則になる。1973年のアムステルダム公演で、Bill Brufordは一打も叩かずに「Trio」の作曲者に数えられた。YYZを「リズムの案の寄せ集め」と呼んだGeddy Leeの証言と、「残りが従えば、全員がやるべきことをしているように聞こえる」というJohn Wettonの証言から、音楽の整合性が時間のなかで作られる仕組みを考える。

Mauro Paganiの1978年は、なぜAreaのようでAreaではないのか。1曲ごとに編成を組み替えるという設計

1978年に出たMauro Paganiの1枚目には、固定された編成がない。PFMの3人が並ぶ曲、Areaの4人が並ぶ曲、2人だけの曲が、同じ1枚の中に別々に置かれている。当時のPFMとAreaは公に対立していた。原盤のライナーノートに由来する曲別クレジットを1曲ずつ追うと、この盤が前のバンドの延長でも新しいバンドの始まりでもなく、曲ごとに人を選び直すという設計で作られていることが見えてくる。

John Wettonは、同じ音を持ち込まなかった。バンドが変わるたび、自分の機能を作り替えた

King Crimson、U.K.、Asia。John Wettonは三つのバンドで、まったく違う音楽を成立させている。だが「どのバンドでも自分の色を出した」という説明では足りない。本人の言葉を並べると、彼が変えていたのは音色ではなく、アンサンブルの中での自分の機能だった。主導権を取り合う即興のベーシストから、歌を担う支柱へ。そして曲を最優先する共作者へ。

『In the Court of the Crimson King』は、一度録り直されている。成功した制作手法が、次の音楽と噛み合わなかったとき

『In the Court of the Crimson King』のクレジットには「Produced by King Crimson」とある。だがその前に、成功したプロデューサーとのセッションが一度捨てられている。降ろされたのは無能な人物ではない。別の音楽で完成していた録音手法だった。積み上げる方法と、まず捕まえる方法。二つの前提がぶつかった事件として読み直す。

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