楽器の歴史は、たいてい足す方向で語られる。
弦を増やす。音域を広げる。チャンネルを分ける。切り替えを付ける。できることが増えた順に並べれば、歴史は進歩に見える。
その反対側に、外している人たちがいる。
Keith Richardsは6本のうち1本を外して5本で弾く。Max Cavaleraは2本外して4本にした。Mark Sandmanはベースの弦を2本まで減らした。そしてLou Reedは、6本を残したまま全部を同じ音に合わせた。
並べて眺めると、面白いことが分かる。理由が全員バラバラで、しかも思想が先だったとは限らない。それでも、削った先で起きたことには共通点がある。
Keith Richards:外した理由が、自分の楽器の外にある
最初の例が、いちばん明快である。
Keith RichardsはオープンGチューニングを使うとき、いちばん低い弦を外す。5本になる。オープンGは低音弦をDまで下げる調弦なので、そこまで低い音はStonesの曲では要らない、という実用上の説明はできる。
だが本人の説明は、そこではなかった。
Guitar Player誌のインタビューで、Richardsはなぜ一本外すとこれほど他の楽器のための空間が開くのか、それがずっと自分にとって謎だと語っている。理由は自分でも特定できない、と付け加えたうえで、その効果だけは確かだと言う。
ここが重要だと思う。説明が、自分の演奏の話になっていない。運指が楽になるとか、音が太くなるとか、そういう話ではない。バンドの他の楽器が入る場所が空く、という編成の話をしている。
一本の弦を外すことを、帯域の配分として語っている。
実際、Stonesの録音では彼の5弦とRonnie Woodの6弦が重なる。低音の担当が明確に空いていれば、ベースもピアノもホーンも、そこへ入れる。
なお、彼が常に5弦なわけではない。曲によって6弦の楽器も使う。一台の楽器を専用化しているのであって、演奏家を狭めているのではない。
Max Cavalera:思想が先ではなかった
次の例は、逆向きである。
Max Cavaleraのギターは、ほとんどが4弦である。高音側の2本が張られていない。強い設計思想の表明のように見えるが、始まりは事故だった。
本人の説明では、弦が切れたときに友人から、どうせ使っていないのだから張り直すな、と言われたのがきっかけだという。金は酒に回せ、と。それきり張っていない。
意図が先にあったのではない。
だが、そのあとが面白い。4本しか無いことが、演奏の側を固めていった。本人は、4本しか無いことでさらに創造的にならざるを得なかった、そして完全なリズム・リフ奏者になった、と述べている。リードは弾かない。自分はリフの人間だ、と言い切る。
つまり順番はこうである。偶然の制約が先にあり、様式が後から固まり、いまは様式のほうが制約を必要としている。
これを「削ぎ落としの美学」とまとめてしまうと、事実を裏返すことになる。楽器が先に決まり、そこに合う弾き方が残った。
一時的な設定を思想へ昇格させない、というのは、こういう例のためにある注意である。
Mark Sandman:2本でベースの役割を書き換える
三つ目は、もっと極端である。
Morphineのマーク・サンドマンは、ベースの弦を2本にした。ヴィンテージのPremier Multivox Scroll Bassを改造し、上下の弦を外している。
調弦は五度が基本で、最も多いのがD-A、次いでC-G。標準セットのD弦・G弦にあたる細い弦(.065と.045)を張り上げて使うので、テンションが高く、音が締まって明るくなる。そこへピックと金属スライドを併用する。
この構成が何をしているかというと、バリトンサックスと帯域を分けている。Morphineはギターのいないバンドで、低音側にサックスがいる。同じ場所で厚みを出し合っても濁るだけである。
弦を減らし、細い弦を張り上げ、スライドで滑る。結果として、ベースなのに輪郭の立つ、別の楽器になっている。
上の仕様は機材側の記述である。サンドマン本人の意図は、ここでは代弁しない。
Lou Reed:弦は6本のまま、音の種類だけを1つにする
四つ目で、話の前提が崩れる。
Lou Reedは弦を外していない。6本のままである。ただし全部を同じ音に合わせた。
オストリッチ・チューニングと呼ばれる。1965年、Reedが「The Ostrich」という曲にちなんで名付けたとされる。定義としては、すべての弦へ同じ一つの音を割り当てる調弦で、たとえばD-D-D-D-d'-d'のようにオクターヴ違いで揃える。
弦は6本ある。押さえる場所も6本ぶんある。だが出せる音高の種類は、一つしかない。
この設定で何が起きるか。和音が作れない。代わりに、同じ音が何本も重なるドローンができる。一本だけで旋律を動かせば、残りが持続音として鳴り続ける。同じ音を違う弦で交互に取れば、音高は変わらないまま音色だけが揺れる。
Velvet Undergroundの1967年の一枚目でも使われている。「Venus in Furs」の終盤と、「All Tomorrow's Parties」である。
そしてこれが、実験音楽の側とつながる。John Caleは、全弦が同じ音だと聞かされた時点で、自分がLa Monte Youngの周辺でやっていたことと同じ発想だと気づいた、と伝えられている。ドローンという語彙が、ロックバンドの調弦として翻訳された地点である。
なお、この経緯は資料の記述であって、ReedとCale本人の言葉ではない。
共通していたのは、弦の本数ではない
四つ並べて、共通項を探すと困る。
Keithは編成の空間のため。Cavaleraは事故から。Sandmanはサックスとの帯域分けのため。Reedはドローンのため。理由が揃わない。しかもReedに至っては、弦を一本も外していない。
では何が同じなのか。
選べる手数が減っている、という一点である。
Keithは低音の選択肢を捨て、Cavaleraは高音の選択肢を捨て、Sandmanは和声の選択肢をほぼ全部捨て、Reedは音高の選択肢を一つまで削った。物理的に減っているものはバラバラだが、減っているものの正体は同じである。
そして、選択肢が減った先に何が残ったかも似ている。残った要素の役割が、はっきりする。
Keithの5弦は三本の弦でコードが決まり、指が二本余る。Cavaleraは4本でリフだけを担当する。Sandmanの2本は輪郭と動きだけを受け持つ。Reedの6本は、音高を捨てた代わりに持続と音色を得た。
楽器を狭めると、その楽器が何を担当するのかが決まる。逆に言えば、何でもできる楽器は、何を担当するのかを演奏者が毎回決めなければならない。
減らす側の歴史は、書かれにくい
こうして見ると、機能追加の歴史がなぜ書きやすいのかも分かる。
足す方は、製品として売られる。7弦、8弦、拡張された音域、追加されたチャンネル。カタログに載り、型番が付き、年表に並ぶ。
減らす方は、製品にならない。弦を外すのに新製品は要らない。調弦を変えるのに買い替えも要らない。だから記録が残りにくく、残っても個人の癖として扱われる。
だが四つの例が示しているのは、そこで起きているのが楽器の再設計だということである。標準の楽器を劣化させたのではなく、用途に合わせた別の入力装置を作っている。
そして、その設計は必ずしも意図から始まらない。Cavaleraのように、事故が先で理屈が後、という順番もある。それでも結果として、使う人と楽器の関係は組み替わっている。
まとめ
弦を減らすという行為は、四人とも別々の理由から始まっていた。編成の空間を空けるため、偶然の事故から、他の楽器と帯域を分けるため、持続音を作るため。
共通していたのは弦の本数ではなく、選べる手数を減らしているという構造だった。Lou Reedのように一本も外さずに、音高の種類だけを減らす形もある。減っているのは弦ではなく、選択肢である。
そして選択肢が減った楽器は、担当する役割がはっきりする。何でもできる状態から一歩下がることで、その一台が何をする道具なのかが決まる。
足す側の歴史は製品として残り、減らす側の歴史はほとんど残らない。だが設計としては、どちらも同じことをしている。
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