多くの名ギタリストは、「自分の音」を持っている。長い時間をかけて理想のトーンを固め、それを守り、磨いていく。機材の遍歴は、その理想へ近づくための道のりとして語られる。
John McLaughlinは、そうではない。
彼のキャリアを機材の面から並べると、一貫した「自分の音」は、なかなか見えてこない。大音量で歪んだ電気ギターがあり、改造されたアコースティックがあり、ナイロン弦があり、ギターでシンセを演奏する装置があり、MIDIがある。ばらばらに見える。
だが、別の軸で見ると、一本の線が通る。McLaughlinは、そのとき演奏しようとしている音楽を、身体で弾けるようにするために、ギターという楽器そのものの役割と、指が触れるインターフェースを、何度も作り替えてきた。守ったのは音ではない。作り替えたのは、道具のほうだ。
この記事では、彼の機材史を「名機の遍歴」としてではなく、演奏できる音楽の範囲を変えるための、インターフェース設計史として読む。
ジャズ・ギターを、ロックの音圧の中へ
出発点は、ジャズだ。Tony Williams LifetimeやMiles Davisの周辺で、McLaughlinはLes Paul系のギターを弾いていた。
ここでの課題は、単純だが大きい。ジャズ・ギターの語法を、ロックの音量と質感の中へ持ち込むこと。細く繊細な音のままでは、この音圧の中で埋もれる。ジャズの流暢さを保ったまま、電気的に大きく、強く鳴らす。その両立が、最初の設計課題だった。
Mahavishnu――ダブルネックと100Wが、複雑さを声部に変える
初期Mahavishnu Orchestraで、その課題はさらに極端になる。
McLaughlinは、Gibson EDS-1275――6弦と12弦を上下に持つダブルネックを手にする。そして1972年の現場記事は、100WのMarshall Super Leadと、三台のMarshallボトム、そしてPAへの送出を記録している。つまり、相当な大音量だ。
ここで大事なのは、この構成が何を可能にしたか、だ。複雑で高速なMahavishnuの編曲の中で、6弦と12弦を切り替え、大きな音圧で歪ませることは、一本のギターを複数の声部として響かせる手段になった。飽和も、音圧も、6/12弦の使い分けも、装飾ではない。込み入った音楽を、一人のギタリストが成立させるための、演奏インターフェースの拡張だった。
ただし、注意もいる。このMarshallの大音量を、「分離を上げるための明瞭化」だけで説明すると、片手落ちになる。初期Mahavishnuの音は、過負荷そのものの攻撃性や、歪みの荒々しさを、積極的に使ってもいた。明瞭さと激しさは、ここでは同時に鳴っている。
Shakti――アコースティックを、南インドの奏法へ作り替える
そして、大きな転回が来る。Shaktiだ。
電気ギターの大音量から、McLaughlinはアコースティックへ向かう。だがそれは、単に「静かなギターへ持ち替えた」のではない。彼は、アコースティック・ギターそのものを、南インド音楽を弾くための装置へ作り替えた。
鍵は、スキャロップド・フィンガーボードだ。指板を弦の下で深く削り、弦と指板のあいだに空間を作る。これは、南インドのveena(ヴィーナ)に学んだgamaka――音程を大きく、なめらかに揺らす奏法――を、ギターの指で可能にするための改造だった。さらに共鳴弦を加え、持続音とドローンを楽器の内側へ組み込む。
ここで誤解しないでおきたい。この楽器は、インド音楽を「真似る」ための小道具ではない。McLaughlin自身が学んだgamaka、ドローン、そしてジャズの和声を、同じ一つの身体で扱うための、混成インターフェースだ。彼は道具を変えたのではなく、道具に自分の学んだ奏法を実装した。
Guitar Trio――ナイロン弦のアンサンブルへ、まるごと合わせる
McLaughlinのインターフェース設計は、電気の大音量や南インド仕様の改造だけにとどまらない。まったく方向の違う場所にも及ぶ。
Paco de Lucía、Al Di Meolaとのギター・トリオで、彼はナイロン弦のアコースティックを弾く。ここで必要になるのは、別の右手であり、別の音量であり、三本の生ギターが増幅に頼らず互いの音で編み合う、その中での立ち位置だ。McLaughlinは、楽器も奏法も、この音楽の求めるものへ最適化していく。ナイロン弦のトリオには、この編成にしか出せない、緊密で息の合った推進力がある。それは、彼がこのアンサンブルへ全身で合わせたからこそ生まれている。
興味深いのは、本人が、この移行にともなってShaktiで磨いたbending(弦を押し上げて音程を揺らす)技法からは離れた、と語っていることだ。だがこれは、失敗でも後退でもない。一つの音楽へ本気で合わせるとは、その音楽が求めるものへ、身体ごと寄せていくことだからだ。だから、時期ごとの技法は必ずしも地続きにならない。それは弱点ではなく、一つ一つの適応が、それだけ徹底しているという証である。McLaughlinは、器用に何でもこなすのではなく、そのつど、その音楽の演奏家になりきる。
Synclavier――ギターを、作曲の入力装置にする
1980年代、McLaughlinはまた別の方向へ楽器を拡張する。
Roland G-303というギター・コントローラーと、Digital Guitar Control Unitを介して、彼はSynclavier――当時の巨大なデジタル・シンセ/作曲システム――をギターから演奏する。ギターの弦を弾く動作が、音程とダイナミクスをデジタルのコードへ変換し、それがSynclavierを鳴らし、オーケストレーションを組む。
ここでギターは、もはや「音を出す楽器」だけではない。音程と強弱を送り出す、作曲とオーケストレーションのための入力装置になっている。弾く行為はそのままに、その先で鳴るものを、まるごと差し替えたのだ。
(なお、どの作品で、どの音色を、どこまでSynclavierへ割り当てたか、その正確な範囲は、資料ごとに確認が要る。ここで言えるのは、「ギターを入力装置として使う」という設計思想が、この時期に明確に現れた、というところまでだ。)
Godin、MIDI、そしてPRS――中心を、巨大な専用機から、安定した楽器へ
近年、McLaughlinはもう一度、重心を移す。
2011年の機材解説では、彼はGodin FreewayをそのトーンとMIDIのために選び、チューブのプリアンプや空間系と組み合わせた構成を説明している。かつてSynclavierという巨大な専用機に置いていた「多彩な音色を送り出す中心」を、演奏性の安定した一本の楽器と、交換可能な信号系のほうへ移したわけだ。そして後年は、PRSを使う。
McLaughlinは、楽器についてこう語っている――問題がなくなり、楽器が身体の一部になるまで、邪魔なものを取り除いていく、と。巨大なシステムで能力を拡張する段階から、演奏の身体性を最優先し、そこへ必要な信号系を足し引きする段階へ。ここでも彼は、音を守っているのではない。弾く身体と、その先の音楽の関係を、また設計し直している。
貫いているのは、音ではなく、インターフェースの設計
並べ直そう。
ジャズをロックの音圧へ(Les Paul系)。複雑さを声部に変える(ダブルネックと100W Marshall)。アコースティックを南インド奏法へ作り替える(スキャロップドと共鳴弦)。ナイロン弦のアンサンブルへ、身体ごと合わせきる(ギター・トリオ)。ギターを作曲の入力装置にする(Synclavier)。中心を、専用機から安定した楽器へ移す(Godin/MIDI/PRS)。
これらを「名機の遍歴」として並べると、一貫性のない乱雑なリストに見える。だが「そのとき演奏したい音楽を、身体で弾けるようにするための、入力装置の再設計」として並べると、驚くほど一本の線が通る。
McLaughlinが守ったのは、特定のトーンではない。演奏できる音楽の範囲そのものを、常に押し広げようとしてきた。そのために、楽器の役割も、指が触れる面も、迷わず作り替えた。名手の機材史は、しばしば「理想の音への巡礼」として語られる。だが彼の場合は、「弾ける音楽を増やすための、インターフェース設計の歴史」として読むほうが、ずっと筋が通る。
最後に、範囲を断っておく。本稿は、本人の公式資料、当時の現場記事、後年のインタビューに依っている。演奏家本人が技術的な詳細の断定を避けている箇所も多い。Rex Bogue製の“Double Rainbow”ダブルネックの詳細、各年代の実際の録音経路、Mesa/Boogieやスピーカー/キャビネットの使用、そしてSynclavierの作品別の割り当て範囲は、写真や一覧だけからは確定できず、追加の確認が要る。だからこれは、機材の断定ではなく、「彼は音ではなく入力装置を設計し続けた」という、一つの読み筋である。