重い音楽の話をするとき、説明はだいたい同じ方向へ向かう。
チューニングを下げる。弦を増やす。ゲインを上げる。低域を足す。重さとは、その総量のことだ、と。
だが、そう説明できない重い音楽がある。Cynicがそれである。
1993年の『Focus』は、デスメタルの精度を持ちながら、クリーンで澄んだギターと、加工されたヴォーカルと、ギター・シンセを同じ曲の中に並べていた。ジャンルの外側から眺めると、これは折衷に見える。激しい音楽に、きれいな音を混ぜたのだ、と。
しかし、Paul Masvidalの機材と編曲の変遷を年代順に並べていくと、別の像が出てくる。彼はデスメタルからクリーン/アンビエントへ「転向」したのではない。最初から、歪みとクリーンとシンセを同じ編曲の中の声部として扱っていた。そして後年に起きた変化は、透明さの発見ではない。多数のパッチとレイヤーで作っていた対比を、ひとつのクリーンとひとつのダーティへ削っていく、編集思想の変化だった。
この記事では、Cynicの音を「重さと美しさの融合」という言い方ではなく、異質な音色が交替し、透過するための余白をどう設計したか、という配置の話として読む。
精度を身につけた場所と、志向していた場所は違った
出発点はDeathの『Human』であり、初期Cynicである。
ここでMasvidalとSean Reinertが身につけたのは、極端なメタルの演奏精度だ。速く、正確で、隙のないリフとドラム。この技術がなければ、後のCynicは成立しない。
一方で本人は後年、その時期にもフュージョンやジャズ、そしてクリーンで表情のあるトーンに惹かれていたと回想している。Chuck Schuldinerが持っていたざらついたメタルの美学とは、志向が別だった、と。
これは、よくある「本当はもっと繊細な音楽がやりたかった」という話ではない。重要なのは順番のほうだ。
先に、密度の高い音楽を成立させる演奏精度がある。あとから、その精度を何に使うかという選択がある。Cynicの音が「メタルにきれいな音を足したもの」に聴こえないのは、足し算をしていないからだ。精度は最初から手元にあり、そこへ何を配置するかだけが問題だった。
ただし、これは三十年以上あとの回想である。当時の制作台帳ではない。志向と結果の順序を、本人の記憶だけで確定させることはできない。
『Focus』――歪み、クリーン、シンセを、別ジャンルではなく別の声部にする
『Focus』の機材構成は、複数の回顧資料でおおむね一致している。
まず、編成を確認しておく。ライナーノーツのクレジットは五人を挙げている。Paul Masvidal(ヴォーカル、ギター、ギター・シンセ)、Jason Gobel(ギター、ギター・シンセ)、Sean Malone(ベース、Chapman Stick)、Sean Reinert(ドラム、キーボード)。そしてTony Teegardenが、デス・ヴォイスを担当している。
二つ、注目したい。ギターが二本あり、どちらもギター・シンセを持っている。そしてデス・ヴォイスには専任がいる。この配置は、後の議論に効いてくる。
機材の側を見る。Steinbergerのギター。Roland のMIDIピックアップとギター・シンセサイザー。ADA系の増幅。Reinertの電子ドラム。
ベースは、ここが重要になる。Sean Maloneの中心はフレットレス・ベースである。Chapman Stickも一部の曲で使われるが、あくまで加わるものであって、土台ではない。
『Focus』期に使われたのはKubickiのフレットレスとされる。のちにIbanezのGWB-1を経て、2008年以降はIbanezのSR系フレットレスが主になる。ネックとボディを破損したため、LAのカスタムショップへ特注した個体だという。Ibanezの公式アーティスト・ページは、彼の使用機として "Fretless SR5005E" を挙げている。
機種は替わっている。だがフレットレスであることは替わっていない。これはCynicを通しての特徴であり、この記事の主題にも直接効いてくる。フレットレスは、フレットのある楽器に比べてアタックが柔らかい。メタルが通常求める硬い立ち上がりとは、逆の性質である。
そしてヴォーカルにはボコーダーが使われる。この処理はMasvidal自身の声に施されている。
ここには理由がある。当時のMasvidalは声を失いかねない状態にあり、荒々しい発声を自分で担えなかった。だから激しい声はTeegardenが受け持ち、Masvidal自身の声はボコーダーを通した。
つまり声の分業は、美学だけの選択ではない。身体の側の制約が先にあり、その回避策として三つの声質が並んだ。結果として生まれた配置が、このバンドの識別記号になっていく。
この構成が何をしたかを、機材名の列挙で終わらせない。
Steinbergerは、当時の他のギターと比べて、音程の安定と操作の再現性に振った設計を持つ。TransTremのようなシステムを積んだ個体は、和音全体のピッチを移動させながら音程関係を保つことができる。つまり、複雑な編曲の中で「音程が崩れない」ことを前提にできる。
MIDIピックアップとギター・シンセは、ギターを音源ではなく入力装置に変える。弦を弾く動作から、ギターとは別の音色を鳴らせる。声部が一本増える。
ADA系の増幅は、当時のプリアンプ/ラック的な運用の中で、歪みの質を回路側で確定させる方向にある。
三つを並べると、ひとつの方向が見える。音程の安定、声部の追加、歪みの固定。どれも「もっと重く」の方向ではない。同時に鳴っている情報を、混ざらせずに置くための条件づくりだ。
そして『Focus』のギターは二本ある。しかも両方がギター・シンセを持っている。MasvidalとJason Gobelが、近い条件のシステムで、別の役割を弾く。歪みのパートと、クリーンのパートと、シンセの声部が、ジャンルの引用としてではなく、同じ曲の中の異なる声として並ぶ。
ここで生じるのが、この記事の中心にある問いだ。なぜ、これで重さが失われないのか。
重さは総量ではなく、対比と余白で成立している
歪んだギターを二本重ね、低域を厚くし、ゲインを上げれば、音は大きく重くなる。だが、ある点を越えると、重さは増えなくなる。
理由は単純で、飽和した音は他の音を隠すからだ。歪みは倍音を増やす。増えた倍音は帯域を占有する。占有された帯域では、ベースもドラムも、ギターの音程さえも見えにくくなる。総量を増やし続けると、音は大きくなるが、輪郭は減る。
重さが体感されるのは、大きい音が鳴っている瞬間ではない。大きい音と、そうでない音の差が知覚された瞬間である。
『Focus』から一曲。
この観点で『Focus』を聴き直すと、クリーンもシンセも、装飾ではないことが分かる。それらは、歪みが戻ってきたときの落差を作るために置かれている。ヴォーカルも同じだ。生の声と、ボコーダーを通した声と、Teegardenのデス・ヴォイス。三つの質感が入れ替わることで、音楽の温度が上下する。声もまた、一本の声部ではなく三つの声部として扱われている。
だから、Cynicの重さは低域とゲインの総量では説明できない。歪んだ声部が占有する時間を短く区切り、そのあいだに別の質感を置き、また戻す。重さは、その配置によって作られている。
なお、ここで言う「余白」は無音のことではない。歪みが占有していない帯域と時間のことである。クリーンのアルペジオが鳴っていても、それが上の帯域で完結していれば、低域は空いたままになる。
『Traced in Air』――道具が変わっても、配置の原則は変わらない
『Focus』から『Traced in Air』まで、15年が空いている。その間、このバンドは活動していない。2008年の復帰は、長い不在のあとの出来事だった。
その『Traced in Air』で、Masvidalはクリーンの音にFractalを導入する。ギターはこの時期までSteinbergerが続く。
なお、後年の運用は別である。彼は2013年頃からStrandbergを使い、Masvidalienという名のシグネチャー・モデルが複数世代にわたって作られている。ライブでの姿として記憶されているのは、多くの場合こちらのヘッドレス機のほうだろう。
同じヘッドレスでも、Steinbergerとは出自が違う。だが選ばれている性質は共通している。音程の安定と、演奏条件の再現性である。楽器の見た目が変わっても、選定の基準は変わっていない。
ここでの変化は思想の変化ではない。ラックとペダルで作っていたクリーンの質感を、デジタル・プロセッサ側へ移した。管理する対象が、機材の台数から、プリセットの管理へ移動したということでもある。
面白いのは、この移行が「デジタルへ行った」という物語になっていない点だ。彼が確保しようとしているのは一貫して、複数の音色を切り替えても曲の骨格が保たれる状態である。機材はその条件を満たす手段として選ばれている。
『Carbon-Based Anatomy』――機材が少ないことと、編曲が簡素なことは別である
2011年のEP『Carbon-Based Anatomy』は、この点で誤読されやすい。
表に出ている機材はFractalとSteinbergerで、きわめて簡潔だ。だが本人は、曲によっては約30本のギター・トラックを重ねたと説明している。
機材の台数と、完成した音の層の数は、別の指標である。ここは混同されやすい。少ない機材で作られた音が、必ずしも薄い音とは限らない。逆に、大量の機材が並んだ写真が、複雑な編曲を保証するわけでもない。
デジタル・プロセッサは、この分離を極端にする。一台で複数の音色を持てるため、機材の見た目の数と、実際に使われている音色の数が一致しなくなる。
だからこの時期を「ミニマルな機材で作られたアルバム」と要約すると、実際の作業と食い違う。正確には、音色を作る装置は集約され、音色を並べる作業は増えていた。
『Kindly Bent to Free Us』――音色を二つに削り、歪みを減らす
2014年の『Kindly Bent to Free Us』で、方向が反転する。
ギターはStrandberg/Varberg系へ移る。Axe-Fx IIと、実際のアンプおよびキャビネットを併用する。本人はこの時期、Friedman Brown Eye系のモデルとPort Cityの2×12を用いたと説明している。ただし、そのキャビネットのスピーカーについては本人の記憶が曖昧で、細部は確定していない。
重要なのは機材の型番ではなく、そこで下された判断のほうだ。
過去には多数のパッチを使っていた。それを、主要な音をひとつのクリーンとひとつのダーティへ制限する。さらに、オープン・ヴォイシングの明瞭度のためにオーバードライブを減らす。
ここには、はっきりした因果がある。広い音程間隔で構成された和音は、歪ませると内部の音程が識別しにくくなる。歪みが増えるほど、和音は「音程の集合」ではなく「一つの塊」として聴こえていく。だから、和音の構造を聴かせたい場合、歪みを減らすのは装飾の選択ではなく、和音を可聴にするための条件になる。
『Kindly Bent to Free Us』から一曲。同じバンドの、21年後の音である。
同時に、彼は曲の出発点がアコースティック・ギターと歌による裸のデモだとも述べている。
この二つを合わせると、像が反転する。技術で音楽を複雑にしていく人ではない。単純な骨格を先に作り、そこへ必要な音色だけを配置していく人である。
そして、削られた複雑さは消えたわけではない。加工とレイヤーの比重は、シンセと声の側へ移っている。
2020年に起きたこと
ここで、機材の話をいったん止める必要がある。
2020年、Cynicは二人を失った。1月にドラムのSean Reinertが48歳で、12月にベースのSean Maloneが50歳で亡くなっている。
Reinertは、Masvidalとともにこのバンドを始めた人物である。Maloneは『Focus』から参加し、2008年の復帰にも加わっていた。『Focus』の音を作った中心の三人のうち、二人がいなくなった。
『Focus』(1993年)、15年の空白、『Traced in Air』(2008年)による復帰、EP(2011年)、『Kindly Bent to Free Us』(2014年)。ここまでは、同じ人たちが作り続けた線として読める。
その線は、2020年で切れている。
『Ascension Codes』――低域の役割を、楽器から機能へ移す
2021年の『Ascension Codes』は、二人の死のあとに作られた作品である。
従来ベースが担っていた複雑な役割の一部は、Dave Mackayのシンセ・パートへ移された。
ベースが抜けたから代役を立てた、という話ではない。Cynicの音楽の中でベースが担っていたのは、低域を出すことだけではなく、対位法的に動く声部を提供することでもあった。その機能を、同じ楽器で代替せず、別の音源へ移した。
低域を担うのがどの楽器かという問いと、その声部がどう動くかという問いは、分けられる。これは、バンド固有の音が特定の機材ではなく、楽器間の役割配分に宿るという見方と重なる。ただし、この整理はCynicの制作記事の直接の表現ではなく、機材史の側から見たときの解釈である。
何をこの話に含めないか
先に、資料の確度について断っておく。編成のクレジットはライナーノーツ由来の記述に拠り、Ibanezの使用機は同社の公式アーティスト・ページで確認した。一方、『Focus』期のKubickiについては、複数の資料が一致して記しているものの、本人の発言や録音クレジットといった一次資料には到達できていない。機種名は、その前提で読んでほしい。
もう一点。キーボードの担当については資料が割れている。ライナーノーツのクレジットはReinertに、別の記述はTeegardenに帰している。ここでは前者を採ったが、確定はしていない。
そのうえで三つ、はっきりさせておく。
ひとつ。『Focus』を現代のdjentの直接の起点とは扱わない。Steinberger、ギター・シンセ、ADAという組み合わせが向かった先は、多弦化や低音化ではない。調律の安定、和音のピッチ移動、声部の追加という、別方向の拡張である。似た時代の実験を、あとから流行した様式の前史として並べ替えると、当時の設計目的が見えなくなる。
ふたつ。後年に語られる「オーガニック」「生々しい」は、デジタル機材の拒否ではない。Axe-Fxを使いながら、処理とレイヤーを減らす選択だった。道具の種類と、加工の量は、別の軸である。
みっつ。これをMasvidal一人の思想へ還元しない。Jason Gobel、Sean Reinert、Sean Malone、Tymon Kruidenier、そして各時期の制作陣が、Cynicの分離と複雑性を共同で作っている。二本のギターが近い条件で別の役割を弾けたのは、二人がいたからだ。ドラムとベースが上の帯域まで細かく動いたのは、その奏者たちの設計である。
音色を減らすという選択は、後退ではない
Cynicの三十年を機材の側から並べると、増やす方向と減らす方向が交互に来る。
ギター・シンセで声部を増やし、トラックを三十本重ね、そのあとで主要な音色を二つへ削る。低域の役割を、ベースからシンセへ移す。
一貫しているのは音色ではなく、判断の基準のほうだ。いま鳴らそうとしている編曲を成立させるために、何を占有させ、何を空けておくか。それだけが繰り返し問われている。
重い音楽を作るとき、選択肢はチューニングとゲインと弦の本数だけではない。歪んでいる時間をどれだけ短くできるか。その隙間に何を置くか。低域を誰が持つか。
音を足す前に、いま何がどの帯域と時間を占有しているのかを数えてみる。それだけで、増やすべきものと、減らすべきものの見え方が変わる。
まとめ
Cynicは、デスメタルからクリーンへ転向したバンドではない。
初期から、歪みとクリーンとギター・シンセを同じ編曲の中に置いていた。重さを低域とゲインの総量で作らず、異質な音色が交替し、透過できる余白として設計していた。
『Focus』の機材は、重さのためではなく、音程の安定と声部の追加のために選ばれている。『Carbon-Based Anatomy』では機材が減り、トラックが増えた。『Kindly Bent to Free Us』では、音色をひとつのクリーンとひとつのダーティへ削り、和音の明瞭度のために歪みを減らした。『Ascension Codes』では、ベースが担っていた声部の機能が、別の音源へ移った。
道具は毎回変わっている。変わっていないのは、編曲の中で何を占有させ、何を空けておくかという配置の判断のほうだ。
重さは総量ではない。差である。
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