1980年12月5日、サンフランシスコのWarfield Theatre。
John McLaughlin、Paco de Lucía、Al Di Meola。アコースティックギター三本の記録は、翌年に出て、以後ずっと「速弾きの名盤」として語られてきた。
だが実際に聴いたときに来るものは、感心とは少し違う。うまい演奏を聴いた、という手触りにならない。もっと、規模の大きすぎるものを前にして立ち尽くしている感じに近い。
怪獣が戦っているのを、離れた場所から呆然と見ている。あの感覚である。
なぜそうなるのか。三人が噛み合っているからだと説明されることが多い。だが、それだけではないと思う。
三人は、互いの語法を共有していない
まず前提を確認しておきたい。
Paco de Lucíaはフラメンコの人である。McLaughlinはジャズとインド音楽を通ってきた。Di Meolaはジャズロックとピッキングの側から来ている。
これは「ジャンルが違う」という話ではない。指が覚えている拍の取り方が違う、という話である。
フラメンコにはコンパスという拍の周期があり、曲種ごとに決まっている。十二拍の中でどこにアクセントが来るかが体に入っていないと、その音楽の中に立てない。理屈で覚えて数えるのと、体が勝手にそこへ着地するのとは別のことである。
同じことがMcLaughlinの側にもある。彼が持っているハーモニーの体系と、インド音楽から取り込んだリズムの分割は、フラメンコの周期とは別の座標にある。
つまり三人は、共通の言語を持たないまま同じ舞台に立っている。
語法は、教われない
このことを、四十年後のギタリストが正確に言葉にしている。
Rodrigo y GabrielaのGabrielaである。メタルから出発して、アコースティックギターで打楽器的なリズムを刻む奏法を作った人である。
彼女は、あの技術はほとんどフラメンコに触発されたものだ、と言う。フラメンコの奏者が右手でリズムを刻むやり方に、ずっと心を奪われてきた、と。
そして続く二つの発言が重要だと思う。
フラメンコの奏者に会って、一つの動きを教わった。それだけだった。あとは自分で反復した、と彼女は言う。
さらに、いまだに彼らがどうやっているのか分からない、自分はそれに比べるとずっと荒っぽくて、もっと攻撃的だ、とも述べている。
ここに全部が出ている。一つの動きは教われる。体系は持って来られない。外から来た人間は、近づこうとした結果、別のものになる。
Gabrielaはそれを失敗とは言っていない。なった別のもので、彼女は自分の音楽をやっている。
同じことが、1980年の舞台の上でも起きていたはずである。McLaughlinもDi Meolaも、Pacoの持っているものを持っていない。持っていないまま、同じ曲を弾いている。
それでも、噛み合う瞬間がある
ここで話が単純な不和にならないのが、この記録の面白いところである。
噛み合わないだけなら、聴いていられない。実際に鳴っているのは、そうではない。
合う瞬間がある。三人が同じ拍の上に乗って、加速が揃う場所がある。そして次の瞬間には、また別々の座標へ散っていく。合う、外れる、合う、外れる。この入れ替わりが、異常な速さで続く。
熱の正体は、たぶんここにある。融合の心地よさではない。共通言語を持たない者どうしが、瞬間的に一致し、すぐに離れ、また探り当てる。その繰り返しが上がっていく。
一つになったから熱いのではなく、一つになりきらないまま押し合っているから熱い。
そして、そこに聴き手の居場所は無い。参加できない。三人のあいだで起きていることの速度と密度が、聴く側の理解の速度を超えている。だから呆然と見ることになる。
盤の作りも、それを示している
構成を見ると、全曲を三人で弾いているわけではない。デュオが混ざっている。
組み合わせを変えながら進む。二人で向き合う場面があり、三人になる場面がある。
これは効率の話ではないと思う。二人なら、相手の語法へ一時的に寄ることができる。三人になると、寄る先が二つになって寄りきれない。だから三人の場面のほうが、噛み合いと外れの振れ幅が大きくなる。
なお、どの曲がデュオでどの曲がトリオなのかは、資料によって記述が食い違っていた。曲名と編成を一対一で結びつけることは、ここではしない。
記録として残ったもの
この盤が「その夜の記録」かというと、厳密にはそうではない。
収録は1980年12月5日のWarfield Theatreだが、「Guardian Angel」だけは翌1981年5月、ニューヨーク州White PlainsのMinot Soundで録音されている。ライヴ盤の中に、半年後のスタジオ録音が一曲ある。
そして翌日、12月6日の土曜にも、同じ会場で同じ三人が演奏し、それも録音されていた。だがそれは長く出なかった。2022年になって『Saturday Night in San Francisco』として発売されている。四十年以上、しまわれていたことになる。
出なかった理由として伝えられているのは、二枚組にできなかったという事情である。ただしこれは伝聞である。
言えるのは、この一枚が、起きた出来事そのものではないということである。二晩ぶんの演奏から選ばれ、一曲は後から足された、構成された一枚である。
それでも記録として強いのは、選ばれた側に、あの入れ替わりが残っているからだと思う。
均さないこと
この三人を語るとき、いちばんやりやすいのは「超絶技巧の頂点」とまとめることである。速い、正確、圧倒的。
だがそうまとめると、三人が別々の伝統から来ていることが消える。全員が同じ「うまさ」の物差しの上に並べられて、誰が速いかという話になる。
Gabrielaの言葉が効くのは、そこである。いまだにどうやっているのか分からない、という距離が、外から見た人間の側にはある。四十年経ってもある。
その距離があるまま同じ舞台に立ったのが、この記録だった。
まとめ
『Friday Night in San Francisco』の熱は、三人が一つになったから生まれたのではない。
互いの語法を持たない三人が、合っては外れ、外れては合う。その入れ替わりが速すぎて、聴く側は追いつけないまま見ている。融合の完成度ではなく、完成しきらない状態の持続が、この記録の中身である。
盤そのものは、二晩から選ばれ、一曲を後から足して構成されたものだった。それでも残ったのは、選択が上手かったからというより、あの状態が録音に写るだけの強さで起きていたからだろう。
技巧の記録として聴くと、速さの話で終わる。噛み合わない者どうしが同じ部屋にいた記録として聴くと、なぜ呆然とするのかの説明がつく。
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