ギターアンプの歴史を、模倣という一語で眺めてみる。
すると、話がかなり単純になる。
そもそもの出発点からして、模倣だった。
Marshall は、Bassman の模倣から始まった
1962年、ロンドンで楽器店を営んでいた Jim Marshall のところに、若いミュージシャンたちが同じ要望を持ってきていた。Fender の Bassman のような音が欲しい。だが輸入品は高く、手に入りにくい。
そこで作られた JTM45 は、Bassman の回路をほぼ下敷きにしている。
だが、同じにはならなかった。手に入る部品が違ったからである。英国で入手できる出力トランス、英国製の球、英国製のスピーカー。KT66 を使い、後には EL34 へ移る。トランスの特性が違い、スピーカーが違う。
結果として、目標にしたものとは別の音が出た。
そしてその「別の音」が、ロックのギターの標準になった。
つまり Marshall は、模倣に失敗したことで独自性を得ている。
これは偶然の産物のように語られがちだが、もう少し正確に言うと、回路図は写せても、部品と製造条件は写せなかったということである。
写せなかった部分に、その土地の音が残った。
モディファイという、二次創作の文化
次に起きたのは、Marshall を改造する文化である。
70年代から80年代にかけて、米国のアンプ技術者たちがヴィンテージの Marshall に手を入れ始める。ゲイン段を足し、トーン回路の定数を変え、マスターボリュームを追加する。
この「モディファイド・マーシャル」の系譜から、後のブティック・ハイゲインの多くが出ている。Soldano も、その周辺の文脈の中で生まれた。Mike Fortin のように、モディファイの実績から自社ブランドへ進んだ設計者もいる。
ここで行われていたのは、単なるコピーではない。
元の設計の、どこが音を決めているのかを特定する作業である。
どの段を増やせばゲインが増えるが濁らないのか。トーン回路の位置を変えたら何が起きるのか。改造は、その理解がなければできない。
そして理解した結果として、元にはなかった性能が出てくる。改造は分析であり、分析は次の設計につながる。
模倣は、理解の手段でもあった。
改造屋の名前が、ブランドになっていく
モディファイの文化を、人の名前で追うと系譜がはっきりする。
70年代から80年代のロサンゼルス周辺には、Marshall に手を入れる技術者が複数いた。José Arredondo は Eddie Van Halen をはじめとする有名ギタリストのアンプを手掛けたことで知られ、彼が施した改造の内容は長らく秘密として扱われた。
同じ土壌から、自社ブランドへ進む者が出てくる。Mike Soldano は改造の実績を経て SLO-100 を設計し、ブティック・ハイゲインという分野そのものを作った。
90年代以降も同じ流れが続く。Dave Friedman は多くのプロのアンプ改造とリグ製作を手掛けたのち、自身のブランドを立ち上げた。BE-100 のような製品は、彼が長年かけて詰めた改造の内容を、最初からその形で作った製品と見ることができる。
Mark Cameron、Lee Jackson、そして前に書いた Mike Fortin も、同じ経路をたどっている。
つまり、Marshall という一つの設計が、無数の解釈を経て分岐したという構図になる。
面白いのは、この分岐が「元より良いもの」を目指す競争ではなかったことだ。目指されたのは、それぞれの用途に合った状態である。誰かにとっての最適解は、別の誰かには過剰だったり不足したりする。
一つの設計から、こんなに多様な解釈が出てくること自体が、元の設計に余白があったことを示している。
完成しきった設計は、改造されない。
クローンとリイシューは、別の行為である
現代には、似せることを目的にした製品が何種類か存在する。混同されやすいので、分けて考えた方がいい。
クローンは、他社の過去の設計を再現する。回路構成、部品の種類、レイアウトまで写すこともある。目的は、入手困難になった名機の音を、いま手に入る形で提供することにある。
リイシューは、メーカー自身が自社の過去製品を復刻する。同じ名前を使えるという点で立場は違うが、当時と同じ部品はもう作られていないことが多い。
モディファイは、既存の実機に手を入れる。元の個体が土台になる。
デジタルの再現は、回路を写すのではなく、振る舞いを写す。
この四つは、やっていることがかなり違う。
特に重要なのは、クローンとリイシューが直面する共通の問題である。当時の部品はもう存在しない。
トランスの鉄心も、コンデンサの構造も、真空管の製造も、当時とは違う。同じ回路図で組んでも、同じ音にはならない。
だからクローンの設計者は、必ずどこかで判断を迫られる。回路図に忠実であることを取るのか、出てくる音が近いことを取るのか。
両立しないことがある。そのとき何を優先したかに、そのメーカーの思想が出る。
何を写すかで、思想が分かれる
Marshall 系の現代的な解釈を見ると、この分岐がはっきり見える。
一方には、当時の設計をできるだけ保存しようとする方向がある。回路も部品も可能な限り近づけ、当時の不便さも含めて再現する。マスターボリュームがない、チャンネル切り替えがない、といった制約も残す。
もう一方には、当時の設計が目指していたものを現代の手段で実現しようとする方向がある。あの音を、現代の音量環境で、現代の録音環境で使えるように作り直す。回路は大きく変わるが、音の性格は継承する。
Friedman の Dirty Shirley のような、シンプルな構成へ戻った現代のブティック機は、後者に近い。ゲインを増やす競争が一巡したあとで、「あの時代のアンプが良かった理由」を抽出して作り直している。
どちらが正しいということはない。
ただ、前者は形を写し、後者は意図を写している。この二つは、似せるという同じ言葉で呼ばれているだけで、まったく別の作業である。
名前を借りることの、線引き
模倣には、技術とは別の側面もある。名前の扱いである。
回路を参考にすることと、他社の商標を使うことは、まったく別の問題だ。前者は程度の差こそあれ広く行われてきたが、後者には明確な制約がある。
このため、業界には一種の慣習が育った。他社の機種名を、その音の説明として使う。◯◯タイプ、◯◯系、◯◯にインスパイアされた、という書き方である。
これは便利な仕組みだった。買う側にとっては、何の音に近いのかが一言で伝わる。作る側にとっては、長い説明を省ける。
ただし、境界は曖昧なままである。
説明として名前を出すことと、公認であるかのように見せることの間に、はっきりした線があるわけではない。ロゴに似た書体を使う、外観を寄せる、といった要素が加わると、印象は大きく変わる。
デジタルの再現が一般化して、この問題はさらに複雑になった。プリセット名にどこまで実機の名前を書けるのか。多くの製品が、少しずつ綴りを変えた名前を使っているのは、この線引きの結果である。
正直に言えば、機種名を使わずに説明するのは難しい。共通言語がそこにしかないからだ。
だからこそ、使う側には最低限の作法が要る。何の音を参照しているのかは正直に書く。ロゴや外観は借りない。公認であるかのような表現はしない。
模倣が悪いのではない。模倣であることを隠すのが悪い、という整理が、たぶん一番実態に合っている。
模倣を経ないと、次が出てこない
模倣に対する評価は、分野によって大きく違う。
工業製品では、模倣は基本的にネガティブな語である。だが楽器の世界では、模倣がほぼ全ての出発点になっている。
Fender が作った形を Marshall が写し、Marshall を米国の技術者が改造し、改造から新しいメーカーが生まれ、そのメーカーの設計をさらに別の誰かが写す。
この連鎖の中で、毎回少しずつ何かが変わっている。部品が変わる。目的が変わる。前提となる音量が変わる。音楽が変わる。
変わってしまう部分が、次の独自性になる。
完全に写せるなら、その方が問題かもしれない。完全なコピーは、コピー以上にならない。
デジタルの再現が模倣の精度を極限まで上げた現在、この問題は現実的なものになっている。前に書いたとおり、精度が上がるほど、模倣の先にある目標が見えにくくなる。
写せなかったことが独自性を生んだ時代は、たぶんもう終わっている。
これからは、何を写さないかを意図的に決めることでしか、独自性は出てこない。
Marshall が偶然やったことを、いまは設計者が自分の判断でやらなければならない。
模倣が簡単になった時代の設計は、その分だけ難しくなっている。