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Mauro Paganiの1978年は、なぜAreaのようでAreaではないのか。1曲ごとに編成を組み替えるという設計

2026-09-25

1978年に出たMauro Paganiの1枚目には、固定された編成がない。PFMの3人が並ぶ曲、Areaの4人が並ぶ曲、2人だけの曲が、同じ1枚の中に別々に置かれている。当時のPFMとAreaは公に対立していた。原盤のライナーノートに由来する曲別クレジットを1曲ずつ追うと、この盤が前のバンドの延長でも新しいバンドの始まりでもなく、曲ごとに人を選び直すという設計で作られていることが見えてくる。

バンドを抜けた人が最初に出す1枚は、たいてい二通りに読まれる。

前にいたバンドの延長。あるいは、新しく組んだ仲間との合流。

どちらの読み方も、その1枚に固定された編成があることを前提にしている。誰かと組んだ。その誰かと1枚分を通して演奏した。だから、前の続きなのか、次の始まりなのかを問うことができる。

1978年にAscoltoから出たMauro Paganiの1枚目は、この前提が成り立たない。

盤の名義は1人である。しかし中身は、曲ごとに別の人間が並ぶ。ある曲ではPremiata Forneria Marconiの3人が鳴らし、別の曲ではAreaの4人が鳴らし、また別の曲ではPaganiとあと1人しか鳴らしていない。

そして1978年のイタリアで、PFMとAreaは公に対立していた。

PFMのPaganiは、標準編成の外側にいた

Paganiは1970年のPFM結成に参加し、1977年にソロ活動のためバンドを離れた。

PFMになる前の段階で決定的だったのは、4人の音楽家が、ヴァイオリンとフルートを弾くPaganiと出会ったことである。出会いの場は、Fabrizio De Andréのアルバム『La buona novella』の録音現場だった。

つまりPaganiは、ロックバンドの募集に応じて加入したのではない。別の人の録音現場にいた演奏家が、そのままバンドの構成員になっている。

彼がPFMで何を担当していたかは、代表曲のクレジットを見るとわかりやすい。「Impressioni di settembre」でPaganiが弾いているのは、フルート、ピッコロ、ヴァイオリン、そしてコーラスである。歌詞はMogolとPaganiの共作になっている。

ロックバンドの標準編成は、ギター、ベース、ドラム、鍵盤、歌である。Paganiが担当しているのは、そのどれでもない。

バンドの中に、標準編成の外側を1人分だけ確保する。PFMにおけるPaganiの位置は、そういう位置だった。

Areaは、個人の名前を消そうとした集団だった

いっぽうのAreaは、まったく違う原理で動いていた。

Areaが掲げた目標は、芸術上の個人主義を乗り越えて、融合と国際性を持つ総体としての音楽を作ることだった。個人の作家性を前に出さないことが、band名義の目標として宣言されている。

その集団の中で、最も個人として記憶されているのがDemetrio Stratosである。

StratosはArea在籍中に複声(ディプロフォニア)の発声能力を急速に高め、四重音の発声にまで至った。この技術によって彼は「声=楽器」という位置づけと、「単旋律の粉砕者」という呼び名を得ている。

歌手が旋律を運ぶのではなく、声が1つの楽器として編成に入る。Areaの音を外から識別させていたのは、この声だった。

2つのバンドは、同じ側にいなかった

Areaは歌詞で政治的な主題と社会的な関与を扱い、チリ支援のツアーなどをめぐって、同時代の他の音楽家と論争になった。その筆頭に挙げられているのがPFMである。

この2つが同じ盤の中に並ぶ。それも、合同セッションとしてではなく、別々の曲として並ぶ。

同時代の文脈に置くと、これは中立的な出来事ではない。

事務的な条件だけなら、説明はつく。1977年にPaolo Tofaniが脱退した翌年、AreaはCrampsを離れ、CGDの子会社であるAscoltoへ移っている。そして同じ1978年に、Ascoltoから5枚目のスタジオ盤『1978 gli dei se ne vanno, gli arrabbiati restano!』を出している。Paganiの盤も、同じ年の同じAscoltoである。

ただし、同じレーベルにいることは、同じ盤に入る理由にはならない。1つのレーベルには常に大勢の演奏家がいて、その大半は互いの盤に入らない。レーベルが説明するのは、会うことがありえたという範囲までである。

誰を呼ぶかは、そこから先の判断になる。

8曲は、8通りの組み方でできている

1978年の盤は、Ascoltoのカタログ番号ASC 20093で出ている。全8曲、36分04秒。ほぼ全編が器楽曲である。

曲別のクレジットは、原盤のジャケットに書かれたものが出どころになっている。1曲ずつ並べると、編成が固定されていないことがはっきりする。

1曲目「Europa minor」は、Paganiのヴァイオリンに、Patrizio Fariselliのピアノ、Ares Tavolazziのベース、Giulio Capiozzoのドラム。そこにWalter Calloni、Pasquale Minieri、Giorgio Vivaldiの打楽器が3人分乗る。

2曲目「Argiento」は、Paganiのヴィオラとブズーキ、Mario Arcariのオーボエ、Teresa De Sioの歌。

3曲目「Violer d'amores」には、Pagani以外の演奏者が誰も記載されていない。

4曲目「La città aromatica」は、Paganiのマンドリンに、Franco Mussidaのギター、Patrick Djivasのベース、Franz Di Cioccioのドラム。そこにRoberto Colomboのポリムーグが加わる。

5曲目「L'albero di canto (parte 1)」は、Paganiのヴィオラと、Stratos、Fariselli、Tavolazzi、Capiozzoの4人。

6曲目「Choron」は、Paganiの葦笛と、Vivaldiのトーキングドラムだけ。

7曲目「Da qualche parte fra la Calabria e Corfù Il blu comincia davvero」は、Paganiのブズーキに、Luca Balboのギターと、Calloniの打楽器。

8曲目「L'albero di canto (parte 2)」は、PaganiとStratosの2人だけである。

作曲は全曲Pagani。ただし7曲目だけがLuca Balboとの共作で、そのBalboが弾いているのが、まさにその7曲目のギターになる。共作した相手だけが、共作した曲に入っている。

LPの面で見ると、並び方はさらに極端になる。A面の最後がPFMの3人の曲で、B面の最初がAreaの4人の曲である。対立していた2つのバンドの構成員が、面の変わり目を挟んで隣り合っている。

そう置いた意図を示す資料はない。ただ、置かれた結果はそうなっている。

3曲目には、呼ばれた人が1人もいない

8曲の中で、3曲目「Violer d'amores」だけが特殊な書かれ方をしている。

この曲には、Pagani以外の演奏者が誰も記載されていない。2分37秒。8曲で最も短い。

ゲストの名前が並ぶ盤で、1曲だけ名前がないというのは、抜けや省略に見えることがある。だがこの盤の場合、そう読む必要はない。他の7曲は、誰がどの曲で何を弾いたかが曲番号付きで書き分けられている。書き分けられる粒度で書かれた表の中に、1つだけ空欄がある。

曲ごとに人を選ぶ方法を突き詰めると、0人を選ぶ曲が出てくる。

最も長い1曲目には7人が並び、最も短い3曲目には誰もいない。編成の大きさと曲の長さが常に連動すると言いたいのではない。ただ、この盤では人数そのものが曲ごとに動かせる変数になっている、ということである。

バンドの盤では、この変数は動かない。4人組のアルバムに、3人の曲と7人の曲と1人の曲を並べることはできる。だが普通はしない。編成が先に決まっているというのは、そういう意味である。

Pagani自身も、曲ごとに持ち替えている

編成が入れ替わるのと同じことが、Pagani本人の担当楽器でも起きている。

ヴィオラは2曲目と5曲目。ブズーキは2曲目と7曲目。マンドリンは4曲目。葦笛は6曲目。どれも曲番号が付いている。

ヴァイオリンだけが、曲番号を持たない。

クレジットの書き方としては、ヴァイオリンが既定で、それ以外が曲ごとの持ち替えという構造になっている。全曲で弾いたと明記されているわけではない。書き方の上で、1本だけが例外の扱いになっている、ということである。

PFMでPaganiが担当していたのは、標準編成の外側だった。ソロ盤で彼が弾いているヴァイオリン、ヴィオラ、ブズーキ、マンドリン、葦笛は、その位置をそのまま拡張した並びになる。

歌詞のある曲は、1曲しかない

歌が入る曲は3つある。だが、歌詞を持つ曲は1つしかない。

2曲目「Argiento」の歌詞は、歌手のTeresa De Sioが書き、自ら歌っている。言語はナポリ語である。1枚を通して唯一の「歌もの」が、標準イタリア語ではない言葉で書かれている。

残る2曲、5曲目と8曲目に入っているのがStratosの声になる。

ここで面白いのは、曲目表の書き方である。5曲目「L'albero di canto (parte 1)」には、曲名の後ろに「(strumentale)」と添えられている。器楽曲、という表示である。声が入っている曲が、器楽曲として並んでいる。

「声=楽器」という位置づけと、曲目表の分類が一致している。

そして8曲目は、PaganiとStratosの2人しかいない。

2人組の録音で片方が歌手なら、普通は歌と伴奏になる。誰が主旋律を持つかが決まっていて、もう片方がそれを支える。だがStratosの声が旋律を運ぶための装置でないなら、その役割分担は成立しない。ヴァイオリンと声が、同じ資格で2本並ぶ。

5曲目でArea全員と鳴らした同じ声を、8曲目では1対1で置く。同じ人を、違う人数の中に2回置いている。これも編成の操作である。

打楽器の3人は、ロックのセッション奏者ではない

1曲目に乗る打楽器の出どころにも、はっきりした背景がある。

MinieriとVivaldiは、Canzoniere del Lazioという集団の元メンバーである。Canzoniere del Lazioは1970年代に活動したイタリアのフォークグループで、まずラツィオ、次いでイタリア、そして地中海へと、民俗遺産の調査対象を広げていったことで記憶されている。

ロックのスタジオで呼ばれる打楽器奏者ではなく、民俗音楽の調査から出てきた奏者が入っている。

この差は小さくない。セッション奏者は、頼まれた音楽に合わせて必要な音を出す訓練を積んでいる。調査から来た奏者が持っているのは、特定の地域で実際に鳴らされてきた叩き方である。前者を呼ぶのは編成を埋める行為で、後者を呼ぶのは別の語彙を持ち込む行為になる。

Vivaldiは6曲目でトーキングドラムも叩いている。Paganiの葦笛と2人だけの曲である。ここでも、ロックの打楽器としてではなく、その楽器自体として呼ばれている。

そして翌年、MinieriとVivaldiが立ち上げたCarnascialiaという企画へ、Pagani自身を含む何人かが合流していく。この盤で1度だけ並んだ組み合わせが、そこで別の形に続いた。

「AreaのようでAreaではない」の正体

1曲目「Europa minor」は、この盤の中でAreaの器楽陣が最もそろっている曲である。ピアノ、ベース、ドラムが、そのままAreaの3人になる。

だが、そこにStratosがいない。

Areaの音を外から識別させていた声が、この曲には入っていない。代わりに入っているのは、民俗音楽の調査から出てきた打楽器3人分と、Paganiのヴァイオリンである。

Areaの器楽陣を呼び、Areaの声を呼ばず、Areaにいなかった打楽器を足す。「AreaのようでAreaではない」という聴こえ方は、印象の問題ではなく、クレジットの引き算と足し算として書かれている。

この曲には、公式に配信されている音源がある。ただしそれは1978年のスタジオ盤ではない。

1979年の初め、StratosはAreaを離れて個人の企画を進めようとしたが、どれも完成させる時間がなかった。4月に重い再生不良性貧血と診断されてニューヨークで入院し、同じ年の6月13日に34歳で亡くなっている。ミラノのアレーナで組まれた公演は、もともと治療費を払うためのものだった。それが追悼公演になった。

配信されている「Europa minor (Live 1979)」は、その公演の記録である。スタジオ盤とは別のテイクになる。

作者性は、音色ではなく編成の決定に残る

Paganiは、PFMの語法を持ち出したのでもなく、Areaへ移籍したのでもない。

彼がやったのは、曲ごとに違う人間を呼び、違う楽器を自分で持ち、違う人数で鳴らすことだった。1枚の中に、8通りの編成がある。共通しているのは、どの曲にもPaganiがいることだけである。

これは、バンドという単位を1枚分の単位として使わない作り方である。

バンドは、固定された編成が繰り返し演奏することで語法を育てる装置だ。そこでは誰と組むかが先に決まっていて、何を書くかが後から来る。Areaが「芸術上の個人主義の克服」を掲げられたのも、編成が先にあったからである。

Paganiの盤では、順番が逆になっている。曲が先にあり、その曲に必要な人が後から選ばれる。だから対立していた2つのバンドの構成員が、同じ盤の中で1度も顔を合わせないまま並べられる。

演奏家の作者性は、しばしば音色で語られる。誰が弾いても違って聴こえる音、どのバンドへ行っても持ち込まれる手癖。それは確かに1つの残り方である。

だがもう1つの残り方がある。この曲は誰と鳴らすべきか、という判断だけを1枚分積み上げること。音色の統一を捨てても、選び方の一貫性は残る。

Paganiがこの盤で残したのは、後者だった。

そしてその方法は、この1枚で終わっていない。ここで1度だけ組まれた打楽器の2人は、翌年Carnascialiaを立ち上げ、Paganiもそこへ合流する。曲ごとに人を選ぶという作り方は、次の企画を呼ぶ形でも働いている。

1枚を通して同じ音がしないことは、作者が薄いということではない。何を書くかより先に誰と組むかを決めない、という判断を8回続けた結果である。1978年の8曲は、その判断だけを1人の名義で積み上げた記録として読める。


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