バンドを抜けた人が最初に出す1枚は、たいてい二通りに読まれる。
前にいたバンドの延長。あるいは、新しく組んだ仲間との合流。
どちらの読み方も、その1枚に固定された編成があることを前提にしている。誰かと組んだ。その誰かと1枚分を通して演奏した。だから、前の続きなのか、次の始まりなのかを問うことができる。
1978年にAscoltoから出たMauro Paganiの1枚目は、この前提が成り立たない。
盤の名義は1人である。しかし中身は、曲ごとに別の人間が並ぶ。ある曲ではPremiata Forneria Marconiの3人が鳴らし、別の曲ではAreaの4人が鳴らし、また別の曲ではPaganiとあと1人しか鳴らしていない。
そして1978年のイタリアで、PFMとAreaは公に対立していた。
PFMのPaganiは、標準編成の外側にいた
Paganiは1970年のPFM結成に参加し、1977年にソロ活動のためバンドを離れた。
PFMになる前の段階で決定的だったのは、4人の音楽家が、ヴァイオリンとフルートを弾くPaganiと出会ったことである。出会いの場は、Fabrizio De Andréのアルバム『La buona novella』の録音現場だった。
つまりPaganiは、ロックバンドの募集に応じて加入したのではない。別の人の録音現場にいた演奏家が、そのままバンドの構成員になっている。
彼がPFMで何を担当していたかは、代表曲のクレジットを見るとわかりやすい。「Impressioni di settembre」でPaganiが弾いているのは、フルート、ピッコロ、ヴァイオリン、そしてコーラスである。歌詞はMogolとPaganiの共作になっている。
ロックバンドの標準編成は、ギター、ベース、ドラム、鍵盤、歌である。Paganiが担当しているのは、そのどれでもない。
バンドの中に、標準編成の外側を1人分だけ確保する。PFMにおけるPaganiの位置は、そういう位置だった。
Areaは、個人の名前を消そうとした集団だった
いっぽうのAreaは、まったく違う原理で動いていた。
Areaが掲げた目標は、芸術上の個人主義を乗り越えて、融合と国際性を持つ総体としての音楽を作ることだった。個人の作家性を前に出さないことが、band名義の目標として宣言されている。
その集団の中で、最も個人として記憶されているのがDemetrio Stratosである。
StratosはArea在籍中に複声(ディプロフォニア)の発声能力を急速に高め、四重音の発声にまで至った。この技術によって彼は「声=楽器」という位置づけと、「単旋律の粉砕者」という呼び名を得ている。
歌手が旋律を運ぶのではなく、声が1つの楽器として編成に入る。Areaの音を外から識別させていたのは、この声だった。
2つのバンドは、同じ側にいなかった
Areaは歌詞で政治的な主題と社会的な関与を扱い、チリ支援のツアーなどをめぐって、同時代の他の音楽家と論争になった。その筆頭に挙げられているのがPFMである。
この2つが同じ盤の中に並ぶ。それも、合同セッションとしてではなく、別々の曲として並ぶ。
同時代の文脈に置くと、これは中立的な出来事ではない。
事務的な条件だけなら、説明はつく。1977年にPaolo Tofaniが脱退した翌年、AreaはCrampsを離れ、CGDの子会社であるAscoltoへ移っている。そして同じ1978年に、Ascoltoから5枚目のスタジオ盤『1978 gli dei se ne vanno, gli arrabbiati restano!』を出している。Paganiの盤も、同じ年の同じAscoltoである。
ただし、同じレーベルにいることは、同じ盤に入る理由にはならない。1つのレーベルには常に大勢の演奏家がいて、その大半は互いの盤に入らない。レーベルが説明するのは、会うことがありえたという範囲までである。
誰を呼ぶかは、そこから先の判断になる。
8曲は、8通りの組み方でできている
1978年の盤は、Ascoltoのカタログ番号ASC 20093で出ている。全8曲、36分04秒。ほぼ全編が器楽曲である。
曲別のクレジットは、原盤のジャケットに書かれたものが出どころになっている。1曲ずつ並べると、編成が固定されていないことがはっきりする。
1曲目「Europa minor」は、Paganiのヴァイオリンに、Patrizio Fariselliのピアノ、Ares Tavolazziのベース、Giulio Capiozzoのドラム。そこにWalter Calloni、Pasquale Minieri、Giorgio Vivaldiの打楽器が3人分乗る。
2曲目「Argiento」は、Paganiのヴィオラとブズーキ、Mario Arcariのオーボエ、Teresa De Sioの歌。
3曲目「Violer d'amores」には、Pagani以外の演奏者が誰も記載されていない。
4曲目「La città aromatica」は、Paganiのマンドリンに、Franco Mussidaのギター、Patrick Djivasのベース、Franz Di Cioccioのドラム。そこにRoberto Colomboのポリムーグが加わる。
5曲目「L'albero di canto (parte 1)」は、Paganiのヴィオラと、Stratos、Fariselli、Tavolazzi、Capiozzoの4人。
6曲目「Choron」は、Paganiの葦笛と、Vivaldiのトーキングドラムだけ。
7曲目「Da qualche parte fra la Calabria e Corfù Il blu comincia davvero」は、Paganiのブズーキに、Luca Balboのギターと、Calloniの打楽器。
8曲目「L'albero di canto (parte 2)」は、PaganiとStratosの2人だけである。
作曲は全曲Pagani。ただし7曲目だけがLuca Balboとの共作で、そのBalboが弾いているのが、まさにその7曲目のギターになる。共作した相手だけが、共作した曲に入っている。
LPの面で見ると、並び方はさらに極端になる。A面の最後がPFMの3人の曲で、B面の最初がAreaの4人の曲である。対立していた2つのバンドの構成員が、面の変わり目を挟んで隣り合っている。
そう置いた意図を示す資料はない。ただ、置かれた結果はそうなっている。
3曲目には、呼ばれた人が1人もいない
8曲の中で、3曲目「Violer d'amores」だけが特殊な書かれ方をしている。
この曲には、Pagani以外の演奏者が誰も記載されていない。2分37秒。8曲で最も短い。
ゲストの名前が並ぶ盤で、1曲だけ名前がないというのは、抜けや省略に見えることがある。だがこの盤の場合、そう読む必要はない。他の7曲は、誰がどの曲で何を弾いたかが曲番号付きで書き分けられている。書き分けられる粒度で書かれた表の中に、1つだけ空欄がある。
曲ごとに人を選ぶ方法を突き詰めると、0人を選ぶ曲が出てくる。
最も長い1曲目には7人が並び、最も短い3曲目には誰もいない。編成の大きさと曲の長さが常に連動すると言いたいのではない。ただ、この盤では人数そのものが曲ごとに動かせる変数になっている、ということである。
バンドの盤では、この変数は動かない。4人組のアルバムに、3人の曲と7人の曲と1人の曲を並べることはできる。だが普通はしない。編成が先に決まっているというのは、そういう意味である。
Pagani自身も、曲ごとに持ち替えている
編成が入れ替わるのと同じことが、Pagani本人の担当楽器でも起きている。
ヴィオラは2曲目と5曲目。ブズーキは2曲目と7曲目。マンドリンは4曲目。葦笛は6曲目。どれも曲番号が付いている。
ヴァイオリンだけが、曲番号を持たない。
クレジットの書き方としては、ヴァイオリンが既定で、それ以外が曲ごとの持ち替えという構造になっている。全曲で弾いたと明記されているわけではない。書き方の上で、1本だけが例外の扱いになっている、ということである。
PFMでPaganiが担当していたのは、標準編成の外側だった。ソロ盤で彼が弾いているヴァイオリン、ヴィオラ、ブズーキ、マンドリン、葦笛は、その位置をそのまま拡張した並びになる。
歌詞のある曲は、1曲しかない
歌が入る曲は3つある。だが、歌詞を持つ曲は1つしかない。
2曲目「Argiento」の歌詞は、歌手のTeresa De Sioが書き、自ら歌っている。言語はナポリ語である。1枚を通して唯一の「歌もの」が、標準イタリア語ではない言葉で書かれている。
残る2曲、5曲目と8曲目に入っているのがStratosの声になる。
ここで面白いのは、曲目表の書き方である。5曲目「L'albero di canto (parte 1)」には、曲名の後ろに「(strumentale)」と添えられている。器楽曲、という表示である。声が入っている曲が、器楽曲として並んでいる。
「声=楽器」という位置づけと、曲目表の分類が一致している。
そして8曲目は、PaganiとStratosの2人しかいない。
2人組の録音で片方が歌手なら、普通は歌と伴奏になる。誰が主旋律を持つかが決まっていて、もう片方がそれを支える。だがStratosの声が旋律を運ぶための装置でないなら、その役割分担は成立しない。ヴァイオリンと声が、同じ資格で2本並ぶ。
5曲目でArea全員と鳴らした同じ声を、8曲目では1対1で置く。同じ人を、違う人数の中に2回置いている。これも編成の操作である。
打楽器の3人は、ロックのセッション奏者ではない
1曲目に乗る打楽器の出どころにも、はっきりした背景がある。
MinieriとVivaldiは、Canzoniere del Lazioという集団の元メンバーである。Canzoniere del Lazioは1970年代に活動したイタリアのフォークグループで、まずラツィオ、次いでイタリア、そして地中海へと、民俗遺産の調査対象を広げていったことで記憶されている。
ロックのスタジオで呼ばれる打楽器奏者ではなく、民俗音楽の調査から出てきた奏者が入っている。
この差は小さくない。セッション奏者は、頼まれた音楽に合わせて必要な音を出す訓練を積んでいる。調査から来た奏者が持っているのは、特定の地域で実際に鳴らされてきた叩き方である。前者を呼ぶのは編成を埋める行為で、後者を呼ぶのは別の語彙を持ち込む行為になる。
Vivaldiは6曲目でトーキングドラムも叩いている。Paganiの葦笛と2人だけの曲である。ここでも、ロックの打楽器としてではなく、その楽器自体として呼ばれている。
そして翌年、MinieriとVivaldiが立ち上げたCarnascialiaという企画へ、Pagani自身を含む何人かが合流していく。この盤で1度だけ並んだ組み合わせが、そこで別の形に続いた。
「AreaのようでAreaではない」の正体
1曲目「Europa minor」は、この盤の中でAreaの器楽陣が最もそろっている曲である。ピアノ、ベース、ドラムが、そのままAreaの3人になる。
だが、そこにStratosがいない。
Areaの音を外から識別させていた声が、この曲には入っていない。代わりに入っているのは、民俗音楽の調査から出てきた打楽器3人分と、Paganiのヴァイオリンである。
Areaの器楽陣を呼び、Areaの声を呼ばず、Areaにいなかった打楽器を足す。「AreaのようでAreaではない」という聴こえ方は、印象の問題ではなく、クレジットの引き算と足し算として書かれている。
この曲には、公式に配信されている音源がある。ただしそれは1978年のスタジオ盤ではない。
1979年の初め、StratosはAreaを離れて個人の企画を進めようとしたが、どれも完成させる時間がなかった。4月に重い再生不良性貧血と診断されてニューヨークで入院し、同じ年の6月13日に34歳で亡くなっている。ミラノのアレーナで組まれた公演は、もともと治療費を払うためのものだった。それが追悼公演になった。
配信されている「Europa minor (Live 1979)」は、その公演の記録である。スタジオ盤とは別のテイクになる。
作者性は、音色ではなく編成の決定に残る
Paganiは、PFMの語法を持ち出したのでもなく、Areaへ移籍したのでもない。
彼がやったのは、曲ごとに違う人間を呼び、違う楽器を自分で持ち、違う人数で鳴らすことだった。1枚の中に、8通りの編成がある。共通しているのは、どの曲にもPaganiがいることだけである。
これは、バンドという単位を1枚分の単位として使わない作り方である。
バンドは、固定された編成が繰り返し演奏することで語法を育てる装置だ。そこでは誰と組むかが先に決まっていて、何を書くかが後から来る。Areaが「芸術上の個人主義の克服」を掲げられたのも、編成が先にあったからである。
Paganiの盤では、順番が逆になっている。曲が先にあり、その曲に必要な人が後から選ばれる。だから対立していた2つのバンドの構成員が、同じ盤の中で1度も顔を合わせないまま並べられる。
演奏家の作者性は、しばしば音色で語られる。誰が弾いても違って聴こえる音、どのバンドへ行っても持ち込まれる手癖。それは確かに1つの残り方である。
だがもう1つの残り方がある。この曲は誰と鳴らすべきか、という判断だけを1枚分積み上げること。音色の統一を捨てても、選び方の一貫性は残る。
Paganiがこの盤で残したのは、後者だった。
そしてその方法は、この1枚で終わっていない。ここで1度だけ組まれた打楽器の2人は、翌年Carnascialiaを立ち上げ、Paganiもそこへ合流する。曲ごとに人を選ぶという作り方は、次の企画を呼ぶ形でも働いている。
1枚を通して同じ音がしないことは、作者が薄いということではない。何を書くかより先に誰と組むかを決めない、という判断を8回続けた結果である。1978年の8曲は、その判断だけを1人の名義で積み上げた記録として読める。
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