「良いアンプ」という言い方を、いま誰かがしたとする。
すぐに疑問が出るはずだ。何に良いのか。宅録か、ライブか。クリーンか、ハイゲインか。バンドの中でか、一人で弾いてか。
この問い返しが必要になったのは、実はそれほど古い話ではない。
かつて「良いアンプ」は、それだけで通じた。用途を添えなくても、だいたい同じものが想像された。
その言葉が通じなくなった過程が、そのままギターアンプの設計史でもある。
一台が、一つの音しか持たなかった
50年代から60年代のアンプは、構造上、一つの音しか出せない。
Fender の Twin Reverb、Bassman、Deluxe。Marshall の JTM45 と、いわゆる Plexi。Vox AC30。Hiwatt DR103。Orange の初期モデル。Ampeg の各種。
チャンネルが複数あるものはあったが、それは「音色の切り替え」ではなく入力の使い分けだった。Marshall の四つのインプットにしても、Normal と Bright の性格差を選ぶ、あるいはジャンパーで混ぜるためのものである。足元でチャンネルを踏み替えて曲中に音を変える、という発想がそもそもない。
歪みも、独立して作るものではなかった。ボリュームを上げれば歪む。それ以外の方法がない。
つまり、当時のアンプは音量と音色が分離していなかった。
この状態では、評価の軸が一本にまとまる。
大きな音で鳴らしたとき、良い音がするか。それだけである。
だから「良いアンプ」という言葉が成立した。物差しが一本しかないなら、比較は一次元で足りる。
一本の物差しの中にも、方向の違いはあった
とはいえ、当時のアンプが全部同じ方向を向いていたわけではない。物差しが一本でも、目盛りの上の位置は各社で違う。
Vox AC30 は、EF86 や後年の Top Boost 回路によって、中高域に独特の張りを持つ。Class A 的な動作と小さめの出力で、早い段階から歪み始める。
Hiwatt の DR103 は、正反対の設計思想を取った。高い電源電圧と大きな出力トランスで、クリーンのヘッドルームを極端に広く取る。フルアップまで歪まないアンプである。
Fender の Twin Reverb も、同じくクリーンの容量が主題だった。Bassman は逆に、そのクリーン用の回路が Marshall の歪みの出発点になっている。
Ampeg の SVT は、ベース用として桁違いの物量で作られた。Sound City や Selmer、Orange のように、同じ英国内でも回路の癖がはっきり違うメーカーが並存していた。
米国では、Leo Fender が Fender を離れたあとに関わった Music Man が、ソリッドステートのプリアンプと真空管のパワー段という組み合わせを実用化していた。さらに RD シリーズ(Reverb-Distortion)では、フットスイッチで歪みを切り替える回路まで備えている。方式の混成も、一台で音を切り替えるという発想も、芽としてはこの時期にすでに現れていた。
つまり、選択肢はあった。ただしその選択は、用途の選択ではなく、性格の選択だった。
Music Man の歪みチャンネルのような切り替えは、この時代にはまだ例外だった。大半のアンプは、どれを選んでも一つの音しか出さない。だから自分の音楽に合う性格を選ぶ、という買い方になる。この構造が、後年の「あのバンドはあのアンプ」という結びつきの強さを生んでいる。
一台と一つの音が対応していたから、記憶にも一対一で残った。
音色の責任は、プレイヤー側にあった
一台が一つの音しか持たないということは、音のバリエーションを別のところで作るしかないということでもある。
ギターのボリュームを絞る。ピックアップを切り替える。ピッキングを変える。弾く位置を変える。
この時代のプレイヤーが手元の操作を徹底的に使ったのは、美学というより必要に迫られてのことだ。アンプ側にダイヤルがないなら、手でやるしかない。
そして重要なのは、アンプ側がそのために設計されていたことである。
歪みが浅い領域では、入力の大小がそのまま歪み量に出る。ボリュームを少し絞ればクリーンに戻り、強く弾けば歪む。アンプはプレイヤーの手に対して素直に反応する装置だった。
「弾き心地」という評価語がこの時代のアンプに強く結びついているのは、そのためだ。アンプが音色を決めきらず、余白をプレイヤーに預けていた。
評価軸が一本だったのは、比較が単純だったからではない。アンプに求められる仕事が一つしかなかったからである。
音量という制約が、設計を縛っていた
ただし、この構造には無視できない副作用がある。
良い音を出すには、大きな音を出さなければならない。
60年代後半、会場が大きくなるにつれてアンプは出力を上げていく。Marshall の100Wヘッドとスタック、Hiwatt の100W、Sunn や Acoustic の大出力機。音量競争は、当時としては合理的な進化だった。
だが70年代に入ると、その大出力が今度は足枷になる。スタジオでもクラブでも、フルアップできない。
ここで登場するのがマスターボリュームである。Marshall が1975年前後に導入し、以後ほとんどのメーカーが追随した。プリアンプで歪みを作り、パワー段の音量を別に決める。
これは、単なる利便性の改良ではない。音量と音色を分離したという点で、設計思想の断絶にあたる。
そして分離した瞬間から、評価軸は増え始める。
小音量でも良い音がするか。大音量での音とどれだけ違うか。プリの歪みは自然か。
物差しが一本では足りなくなっていく。
多チャンネル化が、物差しを折った
物差しを折ったのは一つの事件ではなく、十年ほどかけて進んだ多チャンネル化だった。
すでに1978年、Mesa/Boogie の Mark II が、フットスイッチでリズムとリードを切り替える方式を実現している。歪みを「設計して、足元で踏み替えるもの」として扱う発想は、70年代のうちに形になっていた。そこから Marshall の JCM800 2205/2210 が二チャンネルを標準化し、Soldano SLO-100 が1987年にクリーンとリードを完全に分けた形を提示、80年代後半には ADA MP-1 のようなプログラマブルなプリアンプが出てくる。一台が複数の音を持つことは、この十年ほどの間に、例外から標準へと変わった。
一台のアンプが、複数の音を持つようになった。
こうなると、「良いアンプ」という評価はもう機能しない。
クリーンは良いがリードは平凡なアンプ。ハイゲインは素晴らしいがクリーンが使い物にならないアンプ。単体では地味だがバンドで抜けるアンプ。その逆。
どれも「良いアンプ」と呼べるし、呼べない。
ここで評価の言葉が変わっていく。良し悪しではなく、用途との適合を語るようになる。この時期の雑誌記事や広告の文言を追うと、「万能」「versatile」「あらゆるスタイルに対応」といった語が急速に増えるのが分かる。万能を売りにできるということは、裏返せば万能でないことが欠点になり得るということだ。
一本の物差しが折れて、複数の物差しに置き換わった。
さらに90年代には、ラック化がこの傾向を加速させる。プリアンプ、パワーアンプ、エフェクト、EQ。役割ごとに機材が分かれれば、評価もまた役割ごとに分かれる。「良いプリアンプ」と「良いパワーアンプ」は別の話になった。
録音専用機の登場が、分岐を決定づけた
物差しが折れたことを最もはっきり示す製品が、80年代前半に出ている。
Tom Scholz の Rockman である。
ヘッドフォンで完結する小さな箱で、コンプレッションとコーラス、エコーを含んだ「完成された」ギターの音が出てくる。ライブでスタックを鳴らすことは考えられていない。録音と練習のための道具として設計されている。
これは、それまでの評価軸から完全に外れた製品だった。大きな音で鳴らしたときに良い音がするか、という問いが、そもそも適用できない。
しかし当時、多くのレコードで実際に使われた。
同じ時期に、ADA MP-1 のようなプログラマブル・プリアンプが登場し、ラック化が本格化する。プリアンプはプリアンプとして、パワーアンプはパワーアンプとして評価されるようになる。
こうなると、「良いアンプ」という言葉が指す対象すら曖昧になっていく。ヘッドのことなのか、システム全体のことなのか、録った音のことなのか。
用途が分岐し、機材が分業し、評価語がそれについていけなくなった。
いま「良いアンプ」と言われて用途を聞き返してしまうのは、この分岐が完了した世界に住んでいるからである。
名機という言葉が指していたもの
こう整理すると、「名機」という言葉の意味も少し変わって見えてくる。
名機と呼ばれ続けているアンプの多くは、評価軸が一本だった時代の製品である。Plexi、AC30、Bassman、Twin、Dumble。
これらが名機なのは、あらゆる用途に優れているからではない。むしろ逆で、用途を一つに絞ってあるから、その一つで完成している。
そして評価軸が一本だった時代には、それで十分だった。
現代のアンプが「名機になりにくい」と言われることがあるのも、性能が落ちたからではないだろう。用途が分岐した世界では、どの軸で測るかによって評価が変わってしまい、全員の合意が取れなくなっただけである。
これは、以前に書いた「売れなかったアンプは失敗作なのか」という話とも重なる。市場の評価は、その時代に支配的だった物差しの反映でしかない。物差しが複数あることを知っていれば、埋もれた設計を掘り直す意味も出てくる。
一本に戻すことはできないが、選ぶことはできる
では、評価軸が一本だった時代の方が幸せだったのか。
そうとは言い切れない。物差しが一本しかないというのは、その物差しに合わない音楽が最初から評価されないということでもある。前に書いたソリッドステートの扱われ方も、真空管という一本の物差しで測られ続けたことの結果だった。
軸が増えたのは、単純に選択肢が増えたからだ。それ自体は悪いことではない。
ただし、軸が増えた世界では、自分がどの軸で測るかを自分で決めなければならない。
かつては決めなくてよかった。皆が同じ物差しを持っていたから、良いと言われるものを買えば、だいたい合った。
いまは合わない。宅録主体の人と大箱で鳴らす人では、良いアンプの定義が根本から違う。刻みを主役にする人と歌を支える人でも違う。
「良いアンプが欲しい」という言葉が宙に浮くのは、そのためである。
だから最初に決めるべきは、機材ではない。
自分がどんな条件で、どんな音楽を、どう鳴らしたいのか。
それが決まって初めて、物差しが一本に絞れる。そして物差しが一本になれば、あの時代と同じように、良し悪しは案外はっきり見える。
物差しは、もう与えられない。自分で選ぶものになった。