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ハイゲイン・アンプが内部へ取り込んだのは、音色ではなく再現の条件だった。歪みは長いあいだ、アンプの外側で組まれていた

2026-09-17

1970年代のハードなギターは、歪みの量で作られていたわけではない。Blackmoreは低い飽和のまま出力段を鳴らし、Iommiは歪みの担当をブースターと弦へ配り、Mayは帯域を選んで飽和させ、Rhoadsはゲイン源をペダルに置いた。アンプ内部でゲインを作る回路は1972年には買えたのに、1978年の基準音は1967年製のヘッドと可変電圧トランスで録られている。後のハイゲイン・アンプが内部化したのは、その音色ではなかった。

ハイゲイン・アンプの歴史は、ゲイン量が年を追って増えていった歴史として語られやすい。

プレキシがあり、マスターボリュームが付き、プリアンプに段が足され、チャンネルが分かれ、いまの多段ハイゲインになった。そういう一本の線として。

だが、その線に乗せると説明できない曲がいくつもある。

1970年代前半のハードロックには、現代の基準で言えばほとんど歪んでいないのに、いま聴いても十分に硬い音がある。逆に、ゲイン量だけなら足りているはずの機材で同じ曲を弾いても、あの硬さにならない。

硬く聴こえることと、歪みが多いことは、同じではない。

ここを分けて見ていくと、別の順序が出てくる。歪みは、長いあいだアンプの外側で組まれていた。ゲインも、アタックも、帯域の切り方も、演奏家が先に自分の信号経路として構成していた。アンプがそれを内部へ取り込むのは、かなり後になってからである。

そして、取り込まれたものは音色そのものではなかった。

『Machine Head』の音は、巨大なスタックの音ではない

Deep Purpleの『Machine Head』は、1971年12月にモントルーで録られている。

あのリフの塊を、大型スタックを全開にした音として記憶している人は多い。Vintage Guitar誌のDave Hunterも、私たちはあれを巨大なMarshallスタックで録られたものだと思い込んでしまうと書いたうえで、いま聴き直すと実際にはスタックらしい音ではない、と指摘している。

Ritchie Blackmore自身は、この時期の主要なアンプとして100WのMarshallとVoxを挙げている。そして、当時のMarshallにはオーバードライブなど無かったと述べている。

歪みは、アンプの中で作られていなかった。

Blackmoreが使っていたのはHornby Skewesのトレブル・ブースターで、本人はこれをペダルではなく卓上型の箱だったと説明している。ギターとアンプのあいだに置かれた小さな箱が、高域を持ち上げてアンプの入力段を押す。アンプ側はゲインを上げず、出力段を鳴らす。

歪みの担当は、アンプの前段ではなく、外部のブースターと出力段に分かれていた。

これは、歪みが少なかったという話ではない。歪みをどこで作るかという配分の話である。

Blackmoreは、メーカーへ直接注文していた

もう一つ、この時期を特徴づける事実がある。演奏家の要求が、設計者へ直接届いていた。

Blackmoreは、MarshallのBletchley工場へ通っていたと述べている。目的は世間話ではない。開発側のKen FleggとKen Branに対して、出力側でもっと歪んだトレブルが出るようにしてくれと要求していた。

結果として、200Wのヘッドに出力段をもう一つ足した280Wの個体が作られている。カタログに載る製品ではなく、要求に応じた1点物として存在した。

足りないものがあれば、作らせるか、自分で足す。この時代の演奏家は、両方をやっている。

低域についてもそうである。Blackmoreは音を太らせたかったが、歪みを増やしたくはなかった。そこで使ったのは楽器用の製品ではなく、家に転がっていたAkaiのテープデッキだった。本人は、歪ませすぎずに音を太らせてくれる点が良かった、と説明している。ただの古いテープデッキだった、と。

いま同じことをするなら、プリアンプかEQか、アンプのチャンネル設定でやる。当時はその機能がアンプの中に無かったので、外から持ってきた。

Iommiは、歪みの担当を弦とブースターへ配った

Black Sabbathも、アンプの中にゲインが無い時代から始まっている。

Premier Guitarの記事でNick Bowcottは、Iommiが活動を始めた時点でハイゲイン・アンプというものは存在しなかった、と述べている。

Tony Iommiの場合、まず身体的な条件があった。事故で指先を失ったため、押さえやすい細いゲージの弦を試し、やがて標準より低いチューニングへ下げていく。弦の張力を下げるのは演奏のためだった。だが同時に、暗く重い響きが手に入った。

1974年のGuitar Player誌のインタビューで、Iommiは初期の機材構成を具体的に話している。Sabbath最初のギターはFender Stratocasterで、2台の50Wヘッドから2つの4×12キャビネットへ送っていた。人気が出るにつれてキャビネットが増え、Laneyへ移ってからは4台の100Wヘッドで6つの4×12を鳴らしていた。

そしてトレブルブーストには、Rangemasterを使っている。ただし工場出荷のままではない。バンドのローディーが真空管とブースターを足して作り替えたものだった、と本人が説明している。

同じインタビューには、アメリカでの接地の問題でアンプが本来の性能を出せず、そのぶんを設定で埋めていたという話も出てくる。Presence、Middle、Trebleをすべて10にし、Bassはまったく上げず、音量は全開にする。

環境の不足を、アンプの外側と設定で埋めている。ここでも歪みは、単一の場所から出てきていない。細い弦、低いチューニング、改造ブースター、全開の出力段、そして削られた低域。それらの合計として、あの塊が成立している。

Mayは、帯域を選んで飽和させた

Brian Mayの経路は、また別の配分である。

MayはRory Gallagherから、Vox AC30という特別なアンプがあること、そしてギターとアンプのあいだに入れる小さな箱があることを教わった、と語っている。翌日にはWardour StreetでAC30を2台買い、Dallas Rangemasterを手に入れ、父親と作ったギターを繋いだ。それが自分の声になり、その後の40年、50年で変わっていない、と。

Rangemasterはフルレンジのブースターではない。おおむね1kHzより上を持ち上げる、選択的なトレブル・ブーストである。

これをAC30のTop Boost入力へ送ると、アンプは平坦な入力を受けたときとは違う反応をする。上の帯域だけが飽和点まで押し上げられ、低域は相対的にクリーンなまま残る。

帯域全体を歪ませるのではなく、歪ませる帯域を選ぶ。

Queenのギターが何本も重なっても各声部が分離して聴こえることには、この配分が効いている。もう一つ、John Deaconが捨てられていたトランジスタアンプから組んだ小型の固体アンプが録音で使われており、こちらは逆に、個々のラインを突出させず混ざった質感へまとめる役割を担っていた。

同じ奏者が、突き抜けさせる経路と、溶かす経路を持っている。

Judas Priestでは、部屋も信号経路の一部だった

Glenn Tiptonの1970年代後半から1980年前後の音も、非マスターボリュームのMarshallとトレブルブーストの組み合わせで作られている。50Wと100Wのヘッド、EL34、そしてRangemaster。

面白いのは録音の方である。

1980年の『British Steel』は通常のスタジオではなく、Tittenhurst Parkという邸宅で録られている。K.K. Downingは、1970年代前半にLed Zeppelinが始めたやり方に倣って、アンプを家じゅうに置き、ドラムを階段の吹き抜けの近くへ据えたと述べている。

Tiptonは、このアルバムの多くでSGを使い、階下のリビングに置いたMarshallスタックで良い音が得られたと回想している。

部屋が信号経路に入っている。アンプの設定でもペダルでもなく、どの部屋に何を置くかが音の一部を決めている。

TiptonとDowningがマスターボリューム機へ移るのは1980年代初頭である。アンプの中でゲインを作れるようになったあとも、それ以前の組み方が消えたわけではない。旧型のヘッドとペダルの組み合わせは、並行して残り続けた。

Rhoadsのゲイン源は、アンプではなかった

1980年の『Blizzard of Ozz』になると、話はさらにはっきりする。

Randy Rhoads本人は、自分がよく使う小物はMXR Distortion+だけだ、と述べている。

あの時期の音を再現しようとする資料では、アンプ側の設定はかなり平坦に近い数字が挙げられる。Presenceは中庸、Trebleはやや高め、そしてBassは低く抑えられる。低域を削るのは、ペダル側が持っているEQカーブと低域で衝突させないためである。

Distortion+の後段には、500Hz付近を持ち上げたグラフィックEQが置かれている。

つまり、歪みの量も、中域の押し出しも、低域の締まりも、アンプへ入る前に決まっている。アンプは、その信号を大きくして空気へ出す装置に近い位置にいる。

1980年の時点で、ハイゲインと呼ばれる音の設計は、ほぼ足元で完結していた。

回路は、もう買える状態にあった

ここで年表を確認しておきたい。重要なのは、こうした外部での構成が「アンプ内部でゲインを作る回路が無かったから仕方なく」行われていたわけではない、という点である。

Randall Smithは、Lee Michaelsのために作ったカスタムのプリアンプで真空管のゲインステージを1段追加し、回路上に3つのゲイン可変点を置いた。後にカスケード・ゲインステージと呼ばれる構成である。

それを積んだMesa/Boogie Mark Iが発売されたのは1972年で、早い時期の使用者にはThe Rolling StonesとCarlos Santanaがいた。

Marshall側でマスターボリュームを備えたリード機が出るのは1970年代半ばである。Jim Marshallは後年、当時のギタリストはMarshallの音を欲しがっていたが、会場によっては音量を下げなければならなかった、と説明している。JCM800という銘柄になるのは1981年である。

回路としては、プレキシのブライト・チャンネルをノーマル・チャンネルへカスケードさせ、位相反転段の手前にマスターボリュームを置き、動作点を寝かせたクリッパー段を足した構成だった。

1972年の時点で、アンプの内部でゲインを作る製品は買える。1970年代半ばには、音量を下げても歪む製品も買える。

それでも、演奏家の側の組み方はすぐには変わらなかった。

1978年の基準音は、1967年製のヘッドと可変電圧トランスで録られている

この年表に対して、いちばん強い証言が1978年にある。

Eddie Van Halenが最初の6作で使ったのは、1967年か68年のMarshall 1959 Super Leadである。マスターボリュームもカスケード・ゲインも載っていない世代のヘッドだった。

本人は、そのアンプは全部上げ切ったときしか良い音にならなかった、と説明している。だから音量は別の手段で調整していた。可変電圧トランス、いわゆるVariacで供給電圧そのものを変え、演奏する部屋に応じて60から100のあいだで設定していた。それが自分の音量ノブになった、と。

マスターボリュームが解こうとした問題を、奏者が電源側で解いている。

このときの足元にあったのは、MXR Phase 90、MXR 117 Flanger、MXR 6 Band EQ、Maestro Echoplex、Univox EC-80A Tape Echoである。

歪みを作る機材が、1台も入っていない。

位相、時間、帯域。歪み以外の要素はすべて外部装置で作り、歪みだけはアンプ本体の飽和に任せている。Blackmoreの配分とも、Rhoadsの配分とも違う。

1978年という、ハイゲイン・アンプの基準が固まる直前の年に、内部化とは逆方向の解き方で基準音が作られた。

内部化が解いたのは、再現の条件だった

では、後のハイゲイン・アンプは何を取り込んだのか。

Mike Soldanoは、自分が求めていた音が何でできているかを、作る前から知っていたと述べている。プレキシと、巨大な部屋と、限界まで上げた音量と、後段のエフェクト。レコードで聴こえていたのはその合計だった。

そのうえで彼が作ろうとしたのは、どんな音量でも、いつでも、どこでも、その音が出るアンプだった、と説明している。

ここに答えがある。

内部化が解いたのは音色そのものではない。音色は、外部で組んでも作れていた。解かれたのは、それを場所と音量に依存せず、同じ設定から呼び出せるようにすることだった。

Blackmoreは工場へ通わなければならなかった。Iommiは接地の悪い会場で設定を作り直さなければならなかった。Priestは邸宅の各部屋にアンプを配らなければならなかった。Van Halenは電圧を変えなければならなかった。

これらはすべて、その場所とその音量でしか成立しない。

段間のゲイン配分、削る帯域、切り替えられる動作点、マスターボリューム。1980年代以降のアンプが内部へ持ち込んだ機能は、音色の発明というより、この「成立条件を持ち歩けるようにする」ための実装だったと読める。

なお、誰が最初にハイゲイン・アンプを作ったのかは、ここでは主張しない。Mesa側の資料とMarshall側の資料では、そもそも主語が違う。年の前後関係だけを見れば十分である。

配分をどこに置くかは、いまも演奏家が決めている

外側で組むという方法は、内部化によって終わったわけではない。

現在でも、歪みをどこで作るかは選べる。ブースターでアンプの入力段を押すのか、ペダルで作った歪みをクリーンなアンプへ送るのか、アンプの多段プリアンプに任せるのか。低域を削る位置を、ギターのトーンに置くのか、ペダルのEQに置くのか、アンプのBassに置くのか。

内部化されたのは条件であって、選択そのものではない。

1970年代の演奏家たちは、アンプが用意していない機能を、箱と弦と部屋と電圧で自分で作った。その結果として、次の世代のアンプに何を積むべきかという仕様が決まっていった。音楽が先にあり、設計はそれを追いかけている。

いま手元でブースターを1台入れるか外すか迷うとき、やっていることはその続きである。歪みの総量を増やしているのではなく、歪みの担当をどこへ置くかを決め直している。

自分の音が硬いか柔らかいかは、ゲインノブの位置だけでは決まらない。どの帯域を、どの段で、どれだけ押しているのか。そこを分けて考えられるようになると、同じ機材でも出せる場所が増える。


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