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機械のように繰り返すバンドは、回数を数えていない

2026-10-18

Baltimoreの4人組Horse Lordsは、純正律のためにフレットを打ち直したギターとベースで、異なる周期の反復を重ねる。ポリリズムはゆっくり弾いた和音だと彼らは言い、旋律は数式の再帰アルゴリズムから作る。批評は機械のようだと書く。だが、何度も繰り返すその反復の回数を、バンドは数えたことがない。全員が感じて分かっているだけで、代役のドラマーが入ったときに初めて形式化が必要になった。機械に聴こえる精度は、時計ではなく、何百回もの演奏で共有された感覚から来ている。

短いフレーズが、何十回も繰り返される。

長さの違う周期が重ねられる。周期がずれ、また重なる。

その演奏を、ある批評は「正確な機械駆動のプロセス」と書いた。

Horse Lordsというバンドである。旋律を数式から作り、楽器を特殊な調律のために作り替えている。機械に聴こえるのは、当然のように思える。

ところが、このバンドのサックス奏者は、曲の中の反復を毎回同じ回数だけ弾いていると言ったうえで、その回数を数えたことは一度もないと述べている。

全員が、感じて分かっているだけだという。

Horse Lordsは、何をしているバンドなのか

Horse Lordsは2010年、アメリカのBaltimoreで結成された4人組である。

ギターのOwen Gardner。

ベースとエレクトロニクスのMax Eilbacher。

ドラムのSam Haberman。

サックス、パーカッション、エレクトロニクスのAndrew Bernstein。

Bernsteinは最初、サックスではなく打楽器で加わった。リズムに打楽器の質感を足すためだったと本人は述べている。ある日、サックスを持っていって、どこに収まるか試してみると言ったのが始まりだという。

アルバムはNorthern Spyから出た『The Common Task』(2020年)のあと、RVNG Intl.から『Comradely Objects』(2022年)、ライヴ盤『As It Happened: Horse Lords Live』(2024年)、『Demand to Be Taken to Heaven Alive!』(2026年)と続く。2021年の夏には、メンバーの多くがヨーロッパへ移っている。

このバンドには、二つの大きな特徴がある。

純正律。

そして、ポリリズム。

ギターのフレットを、打ち直した

ふつうのギターは、平均律で作られている。

1オクターブを12の等しい幅に割り、そこにフレットを打つ。どの調でも同じように弾ける代わりに、ほとんどの和音はわずかに濁る。

純正律は、音程を単純な整数比で作る。5度なら3:2、長3度なら5:4である。和音はうなりを起こさずに溶け合う。ただし、平均律のフレットではその音程は弾けない。

Gardnerは2009年、純正律で弾けるようにギターを改造したと書いている。手本にしたのは、モーリタニアの古典音楽のギター奏者たちだった。Gardner自身、その音楽を独自に研究している。

バンドは最初から、純正律のバンドとして構想されていた。

ただ、最初はそれほど本格的ではなかったとGardnerは振り返る。ベースのフレットを打ち直すまでには時間がかかった。そのあいだEilbacherが使えた音は、ほぼ基音と、9/8と3/2を平均律で近似した音くらいしかなかったという。ほとんど3つの音で、ベースを弾いていたことになる。

フレットの無いサックスは、事情が違う。

Bernsteinは、純正律で吹く作業の多くは耳の訓練だと述べている。基準の音に合わせて吹き、ある音程が耳と体の両方でどう感じられるかを覚える。運指の種類を増やせば、アンブシュアを大きく変えずに半音より小さい音程を吹ける。

その過程で、愛用していたヴィンテージのサックスでは、この作業に必要な音程の正確さが足りないと分かった。Bernsteinは新しい楽器に替えている。

楽器を、調律のほうへ合わせて作り替えたのである。

Gardnerは、純正律がトランス状態に向くかと問われて、向くと答えている。すべての音が最終的には一つのドローン(持続音)を言い表していて、そのドローンと恣意的でない関係を持っているからだという。

ポリリズムは、ゆっくり弾いた和音である

純正律とポリリズムは、別々の興味に見える。

片方は音程の話。もう片方はリズムの話である。

Gardnerは、この二つには自然なつながりがあり、物理的に一つのものだとさえ述べている。ポリリズムは遅くした和音であり、和音は速くしたポリリズムだという。

付点四分音符2つの上に四分音符を3つ重ねる。拍の比は3:2になる。

3:2は、純正律の5度の比である。

だからこの3対2のリズムを弾くことは、パワーコードを非常にゆっくり弾いているのと同じだ、とGardnerは言う。

この関係をいちばん露骨に扱ったのが、『The Common Task』の「Fanfare for Effective Freedom」の冒頭だという。倍音列を5まで上がっていくカノンで、2/1、3/2、4/3、5/4という数を、リズムの関係にも和音の関係にも使っている。

ただし、倍音の比をそのままリズムにすると、共通の拍がすぐに速くなりすぎて、耳でも体でも追えなくなる。

そこで彼らが多く使うのは、二つのリズムが共通の拍を持ち、その組み合わせで、より長い周期を作るポリリズムだとGardnerは述べている。

ここが、このバンドの反復の正体である。

違う長さの周期が並んで回る。それぞれの周期は短い。だが、すべてが同じ位置に戻ってくるまでには長い時間がかかる。そのあいだ、同じフレーズが毎回少しずつ違う場所に聴こえる。

Bernsteinはこの発想の古い例として、ルネサンス初期のアイソリズムを挙げている。長さの違うリズムの周期と旋律の周期が、少しずつ位相をずらしていき、時間をかけて姿を現す複雑なパターンを作る技法である。

旋律は、数式から生まれる

旋律の作り方も、ふつうのバンドとは違う。

Gardnerは、旋律そのものを扱うことを避け、パターンを扱うと述べている。旋律を扱うとしても、何か別の、より一般的な作曲の手続きの結果として出てくる旋律だけにする。そうでないと、恣意的で人間的すぎるように感じるからだという。

その手続きの一つが、アルゴリズムである。

Bernsteinは、メンバー全員がアメリカの作曲家Tom Johnsonから影響を受けたと述べている。特に、フラクタル幾何を旋律にどう当てはめるかを論じた著書『Self-Similar Melodies』である。

誰も数学の正式な教育を受けていないが、Johnsonの再帰的なアルゴリズムの一つを応用して、広がっていく数のパターンを作った。それがいくつかの旋律の基になった。そのアイデアをバンドと電子楽器に割り振り、速く弾いたり、遅く弾いたりした。

『The Common Task』のB面「Integral Accident」は、Peabody音楽院の現代音楽アンサンブルの委嘱で書かれ、リンデンマイヤー・システム(L-system)という規則で旋律やリズムを決めている。Eilbacherは、個々のパートは各奏者の裁量で実行され、作曲者から制御を取り上げてアンサンブル全体に分配すると説明している。

ここまでだけ見れば、機械のための音楽である。

だがBernsteinは、アルゴリズムをそのまま提示することには興味が無かったと述べている。その方法はすでに試されているからだという。数学の系として始まったものをバンドに編曲し、そこに人間の要素を持ち込みたかった。

実際、作ったものが人間に弾けないこともある。

Bernsteinは、紙に書いたりコンピューターでシーケンスしたりしたものを、そのままドラムのHabermanに渡すことがあると述べている。人間が叩いて意味のあるものか分からないけど、と言って渡す。そして、意味をなさないこともあるという。

曲は、ライヴで仕上がる

数式から始まった素材は、どこで曲になるのか。

ステージである。

Bernsteinによれば、以前の作り方はこうだった。誰かがアイデアを持ってきて、皆で練る。そして翌週のライヴで、半分できた状態の曲を演奏する。何がうまくいくかを見て、そうやって曲を仕上げた。

Eilbacherも、『The Common Task』のA面を同じやり方で作ったと述べている。アイデアの種をパターンやリフの形で練習に持ち込み、何時間も演奏し、さまざまな段階でライヴにかけてから録音した。

初期にはもっと極端で、公演ごとに新しい曲を書いていたとGardnerは振り返る。いまより緩く単純で、始まり、終わり、セクションの切り替えに少しの合図があるだけの、15〜20分の、とても制約の強い即興だったという。

パンデミックの最中に書かれた『Comradely Objects』では、この方法が使えなかった。ライヴで練るという見込みが無かったので、半分、あるいは4分の3ほどできた状態で録音し、残りの25%はポストプロダクションで決めたとBernsteinは述べている。

そして録音しても、曲は終わらない。

Bernsteinは、アルバムの版が決定版であることはめったにないと述べている。ライヴで演奏するたびに変わり続けるので、作曲の過程は本当には終わらないという。

同じ「Zero Degree Machine」の、スタジオ版とライヴ版である。前者は『Comradely Objects』の公式ビデオ、後者は2022年11月16日のロンドン公演の映像で、ライヴ盤『As It Happened』に入った。

ただし、このライヴ盤も、生の記録そのままではない。レーベルは、2022〜2023年のヨーロッパ公演から集めた録音を、媒介され、ときに明らかに編集された、ある程度の理想化を目指したライヴの提示だと紹介している。

ライヴが曲を仕上げ、録音はその途中を切り取る。そのライヴ盤もまた、編集された一つの版である。

反復の回数を、誰も数えていない

ここで、冒頭の話に戻る。

2022年のインタビューで、メンバーはこう話している。ドラムのHabermanがアメリカから来られず、直近の2回ほどのツアーでは別のドラマーが代わりに叩いた。

リハーサルの多くは、代役に曲を覚えてもらうことと、別の人が叩いたときにどう感じられるかを確かめることに使われた。

Eilbacherは、10年以上一緒に弾いてきた素材を、新しい人の演奏スタイルやエネルギーに合わせて変える作業だったと述べている。何が単なる筋肉の記憶で、何が実際に曲の中で動いている部分なのかを、解読することでもあったという。

そしてBernsteinが、こう続ける。

何年もの、何百回ものライヴで育ててきたものを、形式化してみることが役に立つ場面があった。これはこうやる、と。毎回同じ回数だけやっていることを誇りにしている。でも、その回数を数えたことはない。全員がただ感じて、「ここだ」と分かる。ところが、その積み重ねを持たない新しい人が入ってくる。

Gardnerも付け加えている。完全には固めていない部分があっても、これだけ弾いてきたので、なんとかつなげてしまえる。だが新しい人にはそれができないし、そうしたくもない。その人は、完成した曲を求めるという。

代役のために曲を説明することで、自分たちの音楽について多くを学んだとGardnerは述べている。

機械に聴こえる反復は、数えられていなかった。

数式から始まった素材は、何百回ものライヴを通って、4人の体の中にしかない回数と継ぎ目を持つようになっていた。楽譜でもシーケンサーでもなく、その4人の記憶が、曲の最後の部分を持っていたのである。

機械に聴こえるのは、なぜか

それでも、聴き手には機械に聴こえる。

BOMB誌の批評は、『Demand to Be Taken to Heaven Alive!』の「First Galactic Utopia」について、始まりはファンクのようだが、繰り返しの力だけで、正確な機械駆動のプロセスへ変わると書いている。同じ批評は、アルバム冒頭の曲について、うねるギターの旋律と頑丈なドラムが、異質にも温かくも、機械的にも緩くも聴こえるとして、それを見方によって奥と手前が入れ替わるネッカーの立方体にたとえている。

ここから先は推論である。

機械に聴こえる理由は、テンポの正確さだけではないと考えられる。

違う長さの周期が回り、全体が同じ位置へ戻るまでに長い時間がかかる。聴き手は、どこが周期の頭なのかを特定できない。それでも、何かの規則で動いていることだけは分かる。

Bernsteinはこの感覚について、聴き手として、旋律の下に論理があることは感じられるのに、それが正確にどう働いているかは特定できない、と述べている。少し不透明で、しかし常に認識の一歩手前にある。その緊張がとても気持ちいいという。

規則は感じるのに、規則が見えない。

これは、外から見た工場の機械に近い。歯車が噛み合っていることは分かるが、どの歯車がどれを回しているかは分からない。

だが、その歯車を回しているのは時計ではない。4人が数えずに共有している回数である。

Eilbacherには、ステージで退屈そうに見える、本当は演奏が嫌いなのかと観客に尋ねられた経験がある。本人は、自分のゾーンに入っていただけだと述べている。Gardnerも、初期からトランスや意識の変容に関心があり、それを自分たちの中にも観客の中にも定着させようとしてきたと述べている。

機械のように見える奏者は、機械になっていたのではなく、没入していた。

体は、それぞれの拍で動く

このバンドは、踊れるのか。

『The Common Task』のレーベルの紹介文は、ライヴを集団の恍惚の体験と書き、そこではそれぞれの体が、拍とは何かについての自分なりの解釈で動いていると書いている。

これは宣伝文であり、観客を観察した記録ではない。ただ、周期構造から考えると筋は通る。

全員が同じ位置で頭を取る四つ打ちとは違い、このバンドでは、どの周期に乗るかを聴き手が選べる。ある周期に乗る人もいれば、別の周期に乗る人もいる。同じ部屋で、違う拍で体が動いていてもおかしくない。

Bernsteinは、純正律の和声もポリリズムも旋律のカノンも、形式の要素はその中に謎を含んでいると述べている。作り方は隠さないが、何を聴いているか分かっていても、聴く体験には謎が残るという。

構造を理解することは、この音楽に入るための条件ではない。

計算されすぎている、という批判もある

もちろん、反対の聴き方もある。

Tone Glow誌の批評パネルでは、Gil Sansónが、Horse Lordsには引っかかる生真面目さがあり、すべてが計算されて聴こえると書いている。紙の上ではすべて正当で、たぶんそれが自分には問題なのだ、とも書く。

Sunik Kimは、純正律やホケット(複数の奏者が音を交互に分け持つ技法)が音楽の存在そのものに統合されておらず、土台ではなく振りかけにとどまっていると書いている。アルバムでいちばん技術的に複雑で、数か月のリハーサルを要した「Plain Hunt On Four」は、おそらく最も退屈な曲の一つだとも書いた。

この批判は、ここまでの話と正面からぶつかる。

数を数えない共有感覚が曲を仕上げていると言っても、聴き手に届くのが「計算」の印象だけなら、その感覚は聴こえていないことになる。

どちらが正しいかは、ここでは決められない。

ただ、二つの聴き方が同じアルバムについて並ぶこと自体が、このバンドの位置を示している。規則が前に出て聴こえる人もいれば、規則の下で動く体が聴こえる人もいる。BOMB誌のネッカーの立方体は、その両方が同じ音から出てくることを言い当てている。

まとめ

Horse Lordsは、純正律のためにギターとベースのフレットを打ち直した。

ポリリズムを、ゆっくり弾いた和音として扱う。

旋律を、数式の再帰から作る。

ここまでは、機械の設計図である。

だが曲は、半分できた状態でステージにかけられ、何百回ものライヴで仕上がる。録音しても、決定版にはならない。毎回同じ回数だけ繰り返される反復は、誰にも数えられていない。

機械に聴こえる精度と、数えない感覚は、矛盾していなかった。

正確さには、二つの種類がある。時計に合わせる正確さと、同じ時間を何百回も共有した人どうしが「ここだ」と分かる正確さである。後者は楽譜にもシーケンサーにも書かれていない。代役が入ったときにだけ、形を持って現れる。

ある演奏を「機械のようだ」と感じたとき、その正確さがどちらから来ているのかを聴き分けようとすると、同じ反復が少し違って聴こえてくる。


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