Chuuni Sound Lab

#音楽史

7 本

機械のように繰り返すバンドは、回数を数えていない

Baltimoreの4人組Horse Lordsは、純正律のためにフレットを打ち直したギターとベースで、異なる周期の反復を重ねる。ポリリズムはゆっくり弾いた和音だと彼らは言い、旋律は数式の再帰アルゴリズムから作る。批評は機械のようだと書く。だが、何度も繰り返すその反復の回数を、バンドは数えたことがない。全員が感じて分かっているだけで、代役のドラマーが入ったときに初めて形式化が必要になった。機械に聴こえる精度は、時計ではなく、何百回もの演奏で共有された感覚から来ている。

PFMは、英語版の歌詞を訳さなかった

1973年、イタリアのPFMは英語盤『Photos of Ghosts』を出した。前年のアルバム『Per un amico』の全曲を含むが、英語の歌詞の大半は訳ではなく、King Crimsonの作詞家Peter Sinfieldが新しく書いたものだった。同じ演奏に、別の歌が載った。のちのベーシストは、自分たちの書き方とはまったく違うが美しい、と振り返る。2017年の二言語盤でも、PFMは英語とイタリア語で別の歌詞を書いた。直訳すると言葉のリズムが変わり、曲が表すはずの感情から離れるからだという。PFMにとって、歌詞は音の一部だった。

Zappaの1曲は、15都市の演奏をつないで作られた

Frank Zappaは1982年、スタジオで良いソロを弾けたことは一度もないと思う、と書いた。ソロはライヴの録音から選び、短くするだけで弾き足さない。1982年のアルバムに入った「Drowning Witch」は、土台の演奏そのものが15都市の公演をつないだもので、通しで正しく弾けた公演は一つも無かったという。別の夜の演奏をつなげられたのは、バンドが毎晩同じテンポで弾き、毎日同じ基準に調律していたからである。ギターにはパラメトリックEQが内蔵され、会場ごとにフィードバックの起きる帯域を持ち上げていた。Zappaのギターシステムは、ギターとアンプの外まで続いている。

Robert Frippは、Peter Gabrielの1stに「自分はいなかった」と言った

1977年のPeter Gabrielの1stには、Robert Frippが参加している。目立たない演奏は、強い個性を持つギタリストが曲のために自分を抑えた好例として語られやすい。だがFripp本人は翌1978年、このアルバムに自分は本当はいなかった、全体を仕切ったのはプロデューサーのBob Ezrinだったと語っている。いっぽうで、名前を伏せて参加したいと望んだのはFripp自身で、アルバムではそれをプロデューサーに断られた。音が消えたことと、名前を消そうとしたことを分けると、「Here Comes the Flood」がなぜFrippの『Exposure』で録り直されたのかが見えてくる。

銃声にも、音程が要る

笑える音楽は型を壊す、と言われる。だがSpike Jonesの息子は、父の音楽についてこう言っている。C#の音を銃声に置き換えるなら、それはC#の銃声でなければひどく聞こえる。Haydnは『驚愕』の一撃を、聴衆を起こすためではなく、弟子との興行競争に勝つために書いたと答えている。そして一度しか鳴らさなかった。真面目な楽団を作ったSpike Jonesには客が来ず、真面目な前半と狂騒の後半を1枚に収めたレコードが残った。音楽の冗談が何に寄りかかって鳴っているのかを、二人の作曲家で読む。

Fenderが高ゲイン時代へ出した答えは、回路ではなく人事だった。改造していた本人を雇い入れた四年間

1980年、Fenderは高ゲイン化する市場への応答として、自社のアンプを改造していたPaul Riveraを雇った。だがこの四年間は、会社が一方的に腕を買った話ではない。彼がFenderから持ち帰ったのは回路ではなく、マーケティング、製造、流通だった。同じく改造から出発したSoldanoとBognerが独立後に自力で覚えることになる領域を、彼だけが他人の会社の中で先に通っている。工場を通ることは、この市場への入場条件ではない。だが、通った者の持ち物にはなった。

パンクは技巧を否定したのか。Toy Dollsのオルガが捨てたのは、速さではなかった

パンクは技巧を否定した、と語られてきた。だがToy Dollsのオルガは、驚くほど速いピッキングで知られながら、本人は見せびらかしの速弾きを嫌うと明言している。ピックすら使わず、指にテープで貼った自作物で弾く。一方で公式サイトには自分の運指練習の動画を置いている。矛盾しているように見えるこの人物の影響源をたどると、リードとリズムを同時に弾くという、難しいのに難しく見えない系譜へ行き着く。

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