1989年11月、Ministryは『The Mind Is a Terrible Thing to Taste』を出した。
インダストリアル・メタルの古典として名前が挙がる1枚である。重く、速く、機械のように正確で、そのうえ人間の怒りがむき出しになっている。
このアルバムについて、ドラマーのBill Rieflinは一つ奇妙なことを言っている。
スタジオに2人の音楽家が同時にいた曲は、「So What」だけだった。
全9曲のうち、1曲だけである。残りの曲では、メンバーが同じ部屋で一緒に音を出していない。
ところが、そのアルバムが出た翌月、中心人物のAl Jourgensenは2人のドラマーでツアーのリハーサルをしていた。翌年の舞台には、9人の音楽家が並んだ。
一緒に演奏せずに作った曲を、大人数で同時に演奏する。
順番が、普通のバンドとは逆である。普通は、まず一緒に演奏して曲を作り、それを録音する。Ministryは、まず録音のなかで曲を組み立て、後から大勢の身体でそれを鳴らした。
この逆転のなかで、バンドは何を手に入れていたのか。スタジオの側と舞台の側を、順に見ていく。
スタジオでは、誰も一緒に演奏していなかった
『The Mind Is a Terrible Thing to Taste』の制作は、シカゴのChicago Trax Studiosで行われた。
プリプロダクションのあいだ、RieflinとベーシストのPaul Barkerは1か月ほど映画を観続け、気になった音を片端からサンプリングしたという。
曲の作り方も変わっていた。メンバーは曲を一緒に書くかわりに、それぞれが個別に即興した。互いに協力することは、まれだった。
ヴォーカルとキーボードで参加したChris Connellyは、これを「優美な屍骸」に譬えている。シュルレアリストの遊びで、複数の人が紙の一部だけを見て順に描き足し、最後に開くと一つの奇妙な絵ができている、というものである。
参加者は、ほかの人が何を描いたかを知らない。それでも一つの作品になる。
7曲目の「Test」では、他のメンバーの素材がなかなか来ないことに業を煮やしたRieflinが、先にドラムとベースを録ってしまった。Barkerは、この曲の楽器はすべてRieflinが弾いたのではないかと考えている。
アルバムのクレジットでも、Rieflinはドラムとプログラミングの両方を担当している。
叩く人と、打ち込む人が、同じ人である。
その例外が「So What」だった。8分を超える曲で、2人がスタジオに同時にいた唯一の曲である。
その前の年、リフはサンプルだった
ひとつ前のアルバムを見ると、この作り方がどこから来たのかが分かる。
1988年の『The Land of Rape and Honey』である。シンセサイザー中心だったそれまでのMinistryに、ヘヴィなギターが入ってきた作品として知られる。
ところが、その代表曲「Stigmata」には、生のギターが入っていない。
2コードのリフはピッチシフターで加工され、サンプルとして鳴らされている。ドラムは、圧縮をかけたドラムマシンのループである。
ギターの重さで知られる曲のリフが、弾いたギターではなかった。
Jourgensenは2013年の自伝で、Stigmataは単純すぎるうえに本物ではなくサンプルしたギターを使っているから嫌いだ、と書いている。アルバムをもう1曲で完成させる必要に気づいて、最後に書いた曲だったという。
作った本人がそう言うほど、この曲は「演奏した」ものではなく「組み立てた」ものだった。
同じアルバムの制作について、Jourgensenは後年、Burroughsのカットアップに触発されていたと回想している。テープを切り、床に投げ、無作為に並べ直した。
録音したリズムのテープを細かく切り分け、気に入る結果になるまで、でたらめに繋ぎ直したという。
サンプリングへの入り口も、同じ発想だった。Jourgensenによれば、最初の「サンプラー」はポータブルのテープレコーダーだった。雑音を録って歩き、あとでテープ上で編集するか、Akaiのサンプラーへ取り込んだ。
Burroughsと、Brion Gysinのカットアップに惹かれていた。素材を操作することで物語の筋が変わるように、ごく単純なリフでも、操作すれば曲全体の空気が変わる、と彼は説明している。
人間の演奏を、機械の部品に変える
ここまでの話を、一つの方向としてまとめてみる。
この時期のMinistryのスタジオは、人間の演奏を、そのまま記録する場所ではなかった。
人が弾いたものも、叩いたものも、喋ったものも、いったんテープかサンプラーの中の素材になる。素材は切られ、並べ替えられ、ループにされる。
ギターのリフは、弾かれたものではなくサンプルとして鳴る。ドラムは、人が叩くかわりにループが回る。メンバーは同じ部屋で演奏せず、互いの音を知らないまま素材を足していく。
人間が出した音を、機械の部品に変える工程である。
これは「機械で音楽を作った」という意味とは少し違う。素材の多くは人間が出している。ただ、その音が曲として成り立つのは、人の手の連続した演奏によってではなく、編集とループの組み合わせによってである。
人間から機械へ。スタジオの側は、こう要約できる。
この要約は筆者の整理であって、本人たちの言葉ではない。ただ、RieflinとConnellyは、このアルバムの音の由来を「バンドの技術への関心」に求めている。Jourgensen本人は、時代と都市とChicago Traxの空気のおかげだと言っており、ここは当事者のあいだでも見方が分かれる。
1989年12月、2人のドラマーでリハーサルをしていた
アルバム発売の翌月、1989年12月9日に、Jourgensenはラジオのインタビューに答えている。Skinny PuppyのNivek Ogreも同席していた。
新作はギター中心だと宣伝されているが、望む音にたどり着いたのか、と問われて、彼はこう続けた。
いまは、2人のドラマーでツアーのリハーサルをしている。この3、4年、バッキング・テープとドラムマシンを使うバンドをさんざん聴いてきた。だから、純粋なパワーを聴くのは本当に喜びだ。毎日747が離陸するようなものだ。
本物の人間の感情から、本物の人間の腕と指から来るパワー。それが自分のいたい場所だ。
ただし、その直後にこう付け加えている。技術は使う。だが、それを人間の力と混ぜようとしている。
スタジオ技術を使いこなしているという聞き手の評価に対しては、技術は少し威圧的で、自分が技術を動かすのではなく技術に動かされないよう格闘するのは難しい、と答えた。
そして、こう予告している。自分たちはレコードよりライヴのほうがずっと強力になると思う。ライヴは、スタジオほど制御された、無菌の環境ではないからだ。
頭で聴く音楽より、はらわたで感じる音楽へ、どんどん戻ってきている、とも言う。
バンドの基本の目標は、世界一金のかかったガレージバンドのように鳴ることだ、とも笑っている。
ここで言われていることは、二つある。
一つは、舞台では人間の身体を増やすということ。2人のドラマーは、その分かりやすい形である。
もう一つは、それが技術の放棄ではないということ。Jourgensenは、機械をやめるとは一言も言っていない。混ぜる、と言っている。
舞台には9人がいた
1990年3月6日付の『SLUG Magazine』のライヴ評は、Ministryをこう紹介している。神のみぞ知るほど多くのバンドから集まった9人の音楽家が、Ministryとして全員で舞台に立っている、と。
評によれば、公演は約15分のシンセサイザーと声で始まった。それが観客を熱狂させ、バンドがようやく舞台に出たときには、ほとんど抑えがきかない状態になっていた。
舞台は金網のフェンスで囲まれていた。ツアー・マネージャーは評者に、あれはバンドではなく観客の安全のためだと説明している。
フロアは大きく揺れ、フェンスによじ登って客席へ飛び込む観客が続いた。会場は、追加の電力をまかなうために発電機を借りなければならなかったという。
同じツアーの途中、1990年2月22日に、インディアナ州メリルヴィルのHoliday Star Theatreで録音されたのが、ライヴ盤『In Case You Didn't Feel Like Showing Up』である。同年9月に出た。
クレジットを見ると、編成の大きさが分かる。
Rieflinはエレクトリック・ドラム。Martin Atkinsはドラム。ギターは、Jourgensenに加えてMike Scaccia、Terry Roberts、William Tucker、そしてOgre。キーボードとヴォーカルにConnelly。ベースとキーボードにBarker。バッキング・ヴォーカルに、Joe Kelly。
スタジオで2人が同時にいた唯一の曲「So What」は、このライヴ盤では11分29秒になっている。スタジオ版は8分14秒だった。
サンプルのリフで組み立てられた「Stigmata」は、9分31秒である。
機械から人間へ、ではなく、混ぜている
ここで、スタジオの側と対にして、「舞台では機械から人間へ戻した」とまとめたくなる。
それは半分しか正しくない。
まず、ドラマーの片方はエレクトリック・ドラムを叩いている。人間が叩いてはいるが、鳴っている音は電子音源の側にある。
公演の最初の15分は、シンセサイザーと声だった。これがどこまで舞台上で演奏され、どこまで再生された音だったのかは、ライヴ評からは分からない。
そして、ライヴ盤と同時に出たVHSは、一つの公演の記録ではない。メリルヴィル公演と、1989年12月の大晦日のシカゴ公演、2つの映像を組み合わせている。当時Jourgensenの妻だったPatty Marshによれば、バンドは2日とも同じ服を着なければならないことに苛立ち、細部の違いのせいで編集にも苦労した。
舞台の記録もまた、切って繋いだものだった。
だから、ここで起きていたのは、機械を捨てて人間に戻ることではない。スタジオで機械の部品になった曲を、もう一度、大勢の人間の身体で鳴らし直すことである。
身体は増える。だが機械は残る。
1989年のJourgensenの言葉どおり、混ぜているのである。
スタジオでは、人間の演奏を機械の部品に変えた。舞台では、その部品を人間の身体で再実行した。往路と復路があり、復路は往路をそのまま逆にたどるわけではない。
儀式という言葉を、ここでは分析の道具として使う
この復路を、本稿では「儀式」と呼んでみる。
先に断っておくと、これは筆者の分析のための言葉である。Ministryの当事者が、自分たちのライヴを儀式と呼んだわけではない。
それでも、この言葉を使いたくなる理由がある。
儀式とは、決まった手順を、そのつど人の身体で執り行うものである。手順は前もって固定されている。だが、執り行われるたびに、その場に集まった人々の身体を通して、新しく起きる。
Ministryの曲も、スタジオで固定されている。リフはサンプルとして、ドラムはループとして、変わらない形で残っている。
舞台では、その固定された曲を、9人が同時に鳴らす。2人のドラマーが並び、何人ものギタリストが並ぶ。最初の15分のシンセサイザーと声は、観客の身体を準備する時間として働いている。フェンスで仕切られた客席は揺れ、人が飛び込む。
固定された作品が、その夜の身体の集まりのなかで、もう一度起きる。
ここで見落としたくないのは、この場がメタルの文化だけでできていないことである。
舞台に立っていたのは、カナダのエレクトロニック・バンドSkinny PuppyのOgreであり、ライヴ評が「FugaziのJoe Kelly」と紹介する人物である。同じ評によれば、Kellyは自分が歌う曲のあいだ、ほとんど観客の上を運ばれているか、フェンスから客席へ飛び込んでいた。セットには、Pailheadの曲も入っていた。Pailheadは、Jourgensen、Barker、Rieflinが、ワシントンD.C.のハードコア・パンクを代表するIan MacKayeと組んだユニットで、ライヴ盤の拡大再発に入った同曲のクレジットにもMacKayeの名がある。
同時に出た映像では、Stigmataのあと、Dead KennedysのJello Biafraが舞台に上がり、自分なりの「忠誠の誓い」を読み上げている。
インダストリアル、エレクトロニック、ハードコア・パンク。複数の系譜から来た人々が、一つの舞台で同じ曲を鳴らしている。観客の身体の動かし方も、どれか一つの文化から来たものではない。
その後、ギターから作るようになった
このツアーのあと、スタジオの作り方が変わる。
1992年の『Psalm 69』について、Barkerは当時の雑誌でこう語っている。
自分たちはギターで作曲しなかった。シーケンスと効果音で作り、それを「音のモンタージュ」にしていた。このレコードでは、ギターから始めたかった。
『Psalm 69』は、ギタリストのMike Scacciaが本格的にMinistryのアルバムに関わった最初の作品でもある。Scacciaは、『The Mind Is a Terrible Thing to Taste』のツアーに参加したギタリストの一人だった。
ツアーで大人数の身体を通したことが、次のスタジオの作り方を変えた。そう読みたくなる。
ただし、これは筆者の推論である。BarkerもJourgensenも、ツアーの経験がギター先行の作曲を生んだとは言っていない。言えるのは、順番として、ギターで作曲しなかったバンドが9人編成のツアーを経て、ギターから作るアルバムへ進んだ、ということまでである。
まとめ
『The Mind Is a Terrible Thing to Taste』は、一緒に演奏せずに作ったアルバムである。メンバーは個別に即興し、互いの音を知らないまま素材を足した。スタジオに2人が同時にいた曲は、1曲だけだった。
その前作の代表曲「Stigmata」では、リフは弾いたギターではなくサンプルだった。テープは切られ、床に撒かれ、並べ直された。スタジオは、人間が出した音を機械の部品に変える場所だった。
ところが、その曲を舞台に上げるとき、Jourgensenは身体を増やした。2人のドラマー、何本ものギター、9人の音楽家。ただし機械は捨てていない。エレクトリック・ドラムが鳴り、シンセサイザーが開演を告げ、映像は2つの公演から編集された。
この往復によって、Ministryは二つの自由を同時に手に入れた。
スタジオでは、一緒に演奏しなくても曲を作れる自由。誰かを待たずに素材を足し、偶然の並びを曲として採用できた。
舞台では、その曲を毎晩、違う身体の集まりで鳴らし直せる自由。固定された作品は、その夜の9人と、フェンスの向こうの観客の動きのなかで、もう一度起きた。
録音とライヴのどちらが本物か、という問いは、ここではあまり役に立たない。Ministryは、録音で作品を固め、舞台でそれを身体へ渡した。その二つが揃ったとき、機械で組み立てた音楽は、人が集まって鳴らす音楽にもなった。
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