真空管アンプには、長いあいだ一つの前提が付いてきた。
本領を発揮させるには、大きな音を出さなければならない。
パワー段を働かせるには音量が要る。スピーカーを十分に駆動させるにも音量が要る。小さな音では、そのアンプが本当はどう鳴るのかが分からない。
そして大きな音は、個人の住居では出せない。
だから20世紀のギタリストにとって、大音量は場所を借りて使うものだった。スタジオ、練習場、ライブハウス。時間単位で予約し、料金を払い、その中でだけ本来の音に触れる。
大音量は、実質的に公共財だった。
この構造が、2010年代に崩れる。
音量と、音の質を切り離す試み
大音量問題への対処は、以前から試みられてきた。
一つはアッテネーターである。アンプとスピーカーの間に抵抗を入れ、パワー段は目一杯働かせたまま、スピーカーへ届く電力を減らす。1980年代から製品としては存在した。
だが、初期のものには限界があった。抵抗負荷はスピーカーと違い、周波数によってインピーダンスが変わらない。アンプ側から見ると、繋がっている負荷が本物のスピーカーとは別物になる。結果として音の質が変わり、極端な減衰では不自然になった。アンプを傷める事例もあった。
もう一つの方向が、小型アンプである。1Wや5Wのアンプなら、小さな音でパワー段が働く。2000年代に低出力の真空管アンプが大量に出たのは、この論理による。
ただし小型機には別の制約がある。パワー段の余裕が少ないため、音の性格が最初から決まってしまう。大出力機の余裕ある低域や、押し出しは出ない。
どちらも部分的な解決だった。
減衰させる装置の、40年
アッテネーターの系譜を並べると、この問題がいかに長く続いたかが分かる。
最初期の代表格が、1980年前後に Tom Scholz が出した Power Soak である。Rockman を作った人物が、その前に大音量問題へ取り組んでいたことになる。名前がそのまま一般名詞化したほど普及した。
80年代から90年代には、Marshall の Power Brake、THD の Hot Plate といった製品が続く。いずれも抵抗を主体とした減衰器で、原理としては近い。
これらに共通する評価は、おおむね一致していた。少し絞るぶんには良い。深く絞ると、音が痩せる。
原因は前述のとおり、抵抗負荷がスピーカーのインピーダンス特性を持たないことにある。スピーカーは周波数によってインピーダンスが変化し、その変化がアンプの出力段の振る舞いに影響する。抵抗にはその変化がない。
2000年代以降、この点を解決した製品が出てくる。コイルとコンデンサを組み合わせ、スピーカーに近いインピーダンス曲線を再現する。いわゆるリアクティブロードである。
Two Notes の Torpedo 系がこの考え方をIRと組み合わせて広め、Fryette の Power Station は減衰ではなく別のパワー段で受け直すという方向を取った。Suhr のリアクティブロード、Universal Audio の OX といった製品も続く。
40年かけて、ようやく「音量だけを下げる」ことに近づいた。
リアクティブロードが変えたこと
決定的だったのは、リアクティブロードの一般化である。
抵抗だけの負荷ではなく、スピーカーが持つインピーダンスの周波数特性を模した負荷を使う。アンプから見ると、繋がっているものが実際のスピーカーに近い振る舞いをする。
こうなると、パワー段は本来の働き方をする。そのうえで、出力を安全にライン信号として取り出せる。
前に書いたとおり、この考え方自体は新しくない。Allan Holdsworth は1980年代半ばに同じ発想の装置を構想し、Rocktron が製品化している。当時は特殊な機材だった。
2010年代に何が変わったかというと、組み合わせる相手が揃ったことである。
ラインで取り出した信号は、そのままではスピーカーを通っていないので、キャビネットの応答が欠けている。これを補うのがインパルス応答、いわゆるIRだ。
処理能力が上がり、IRが安価に流通し、リアクティブロードが手の届く価格になった。三つが同時に揃ったのが2010年代である。
結果として、真空管アンプをフルアップしながら、出てくる音はヘッドフォンの中だけ、という状態が個人の部屋で成立するようになった。
私有化が変えたのは、練習の量ではない
この変化を「家で大きな音が出せるようになった」とだけ捉えると、たぶん本質を外す。
もっと大きな変化は、試行回数である。
スタジオを借りて音を作るとき、時間は有限だ。二時間の枠で、セッティングを何十通りも試すのは難しい。しかも次に来たときに同じ状態を再現できる保証もない。
自室でいつでも鳴らせるなら、試行回数の制約が消える。今日十分だけ試して、明日また続きをやることもできる。
これは、音作りという行為の性質を変える。
かつて音作りは、限られた機会に集中して行うイベントだった。いまは、日常的に少しずつ進めるプロセスになった。
同じことが、録音にも起きている。良いテイクが録れるまで粘る、という進め方が、時間料金と無関係にできるようになった。
練習と制作の境目が、なくなった
もう一つ、生活の側で起きた変化がある。
スタジオへ行くという行為には、移動と予約が伴っていた。準備して、出かけて、決まった時間だけやる。始まりと終わりがはっきりしている。
自室で完結するようになると、その区切りが消える。
思いついたときに鳴らし、途中でやめ、また戻る。練習と制作と機材いじりが、連続した一つの時間になる。
これは効率としては圧倒的に良い。だが、集中の質は変わる。時間が有限だったころの、あの詰め込むような密度は出にくい。
どちらが良いという話ではない。ただ、区切りが外部から与えられなくなった以上、自分で作る必要がある、というだけである。
失われたものも、たぶんある
一方で、公共財だった時代に付いてきたものが、いくつか消えている。
まず、空気で鳴る音を身体で聴く経験である。大音量のキャビネットの前に立つと、耳だけでなく体で音を受ける。低域は空気の圧力として届き、部屋が鳴り、その全部が合わさって「その音」になっている。
ラインで取り出してヘッドフォンで聴く音には、この層がない。周波数特性としては近くても、体験としては別物である。
どちらが正しいという話ではない。ただ、最終的にライブで鳴らすつもりなら、体で受けた音の記憶があるかどうかで判断は変わる。
もう一つ、他人と同じ場所で音を出す機会が減った。スタジオという場所には、他のメンバーの音と混ざる環境が最初から用意されていた。バンドの中で自分の音がどう聴こえるかは、そこでしか確認できない。
自室で完結する音作りは、単体で良い音へ最適化されやすい。これは前に書いた「バンドの中で聴こえる音」の問題に直結する。
モニター環境が、支配的な変数になった
私有化には、あまり語られない副作用がある。
大音量で鳴らしていた時代、聴こえてくる音を決めていたのはキャビネットと部屋だった。どちらも物理的に存在し、置き換えるのが難しい。だから条件としては安定していた。
ラインで取り出してヘッドフォンで聴く場合、その役割を担うのはヘッドフォンとオーディオインターフェースである。
つまり、音の判断が、モニター環境の質に全面的に依存するようになった。
ここが崩れていると、どれだけ良いアンプを鳴らしても正しく判断できない。低域の量が分からないヘッドフォンで低域を調整すれば、当然おかしくなる。
かつては、この問題があまり表面化しなかった。キャビの前に立って聴いていたからだ。空気で届く音には、機材の質が介在しない。
私有化によって、聴取の経路に機材が一つ増えた。そしてその機材が、判断の全部を通過する。
だから現在の音作りでは、アンプやプロファイルの選択より先に、モニター環境が整っているかどうかの方が効いてくる場面がある。
順序としては、こちらが先である。
私有化の次に来るもの
音量が私有物になったことで、機材選びの基準も変わった。
かつて重要だったのは、大きな音で良いかどうかだった。いまは、ラインで取り出したときにどう振る舞うかが、同じくらい重要になっている。
ロードボックスとの相性、キャビIRとの組み合わせ、小音量での操作性。カタログに書かれていない性質が、実用上の価値を左右する。
そして、この流れは一つの問いを残す。
パワー段を働かせるために大音量が必要だった、というのが出発点だった。ならば、パワー段の働き自体をどこまで中身の側で用意できるのか。
デジタル側でパワー段の応答まで含めて処理する方向は、すでに現実的になっている。そうなると、真空管のパワー段を回すこと自体が必須ではなくなる。
音量の私有化は、大音量を家へ持ち込む技術として始まった。だが行き着く先は、大音量そのものが要らなくなる地点かもしれない。
かつて場所を借りなければ手に入らなかったものが、部屋の中に入り、やがて実体を持たなくなる。
その過程で何が残り、何が失われたのかは、たぶんもう少し時間が経たないと見えてこない。