デジタルでギターアンプの音を作れるようになって、およそ40年が経つ。
その40年のほとんどが、模倣に使われてきた。
Plexi。Twin Reverb。AC30。Rectifier。SLO-100。製品のプリセット一覧を開けば、実在した名機の名前が並んでいる。技術の進歩は、その写し取りの精度として測られてきた。
これは正しい努力だった。基準がなければ評価もできない。既存のアンプを再現できることは、実力の証明として分かりやすい。
ただし、同時に一つのことが起きている。
想像できるアンプの範囲が、実在したアンプの範囲に固定された。
模倣は、目的ではなく出発点だったはずだ
初期のモデリングが実機を目標にしたのは、当然の判断である。
1980年代末から90年代にかけて、デジタル処理で真空管アンプの歪みを再現しようとした人たちが直面したのは、まず「似ていない」という壁だった。歪みの質感、コンプレッションの掛かり方、周波数の暴れ方。どれも足りない。
その壁を越えるために、20年以上が費やされた。
そして、おおむね越えた。いま市場にあるモデラーやプロファイラーの精度は、少なくとも録音物の中では実機と区別がつかないところまで来ている。
問題は、そのあとである。
壁を越えたのに、目標が更新されていない。より正確に、より多くの名機を、より安く。競争の軸が精度と本数のまま止まっている。
なぜか。
理由の一つは、評価の方法が模倣を前提にしているからだ。実機と比較すれば、良し悪しが測れる。だが「実在しないアンプ」の出来を、何と比べて評価すればいいのか。
基準がない領域には、競争が起きにくい。
真空管では作れなかったもの
では、実在しなかったアンプとは、具体的にどんなものか。
物理的な制約から考えると、いくつか輪郭が見えてくる。
真空管アンプの振る舞いは、電源、トランス、球の特性、熱に縛られている。強く弾けば電圧が落ちる。落ちれば圧縮が掛かる。この一連はセットで動き、分解できない。サグだけ欲しい、圧縮は要らない、という注文は物理的に無理だった。
デジタルなら、分解できる。
サグの時間だけを長くする。圧縮の掛かり方を周波数ごとに変える。低音弦にだけパワー段の飽和を掛け、高音弦には掛けない。弾く強さによってトーンスタックの位置が前段と後段のあいだを移動する。
最後の例は、前に書いた「歪みの前で整えるか、後ろで整えるか」という軸を、演奏中に動かすという話になる。真空管では絶対に作れない。回路の配線は固定されているからだ。
もう一つ、真空管アンプが持てなかったものがある。記憶である。
実機は、直前に何が起きたかを覚えていない。数十ミリ秒のスケールでは電源の状態が残るが、それ以上の時間軸を持たない。
デジタルなら持てる。前のフレーズの強さに応じて次のフレーズの応答が変わる、というような設計が可能になる。それは楽器としてはかなり異質な振る舞いだが、異質であることと悪いことは別である。
AIが得意なのは、たぶん模倣の方ではない
近年、機械学習を使ったアンプの再現が広く実用になった。実機から取ったデータを学習させ、その挙動を写す。ニューラル系の手法は、この用途で非常に良く効いている。
ただ、これも本質的には模倣の延長にある。学習の目標が「実機との誤差の最小化」である限り、出てくるのは実機である。
もし学習の目標を変えたらどうなるか。
たとえば「弾き手が心地よいと感じた回数」を目標にする。「バンドの中で埋もれなかった度合い」を目標にする。「同じフレーズを弾いたときのばらつきの少なさ」でもいい。
そうすると、実機のどれとも似ていない応答が出てくる可能性がある。
これは技術的にできるかどうかの話ではなく、何を目標に置くかを誰も決めていないという話である。
模倣は目標が自明だった。実機がそこにあるから。模倣を離れた瞬間、目標を人間が定義しなければならなくなる。
そして、その定義は技術の問題ではない。音楽観の問題である。
「新しい音」は、これまでも設計されてきた
歴史を振り返ると、実は同じことが何度も起きている。
Mesa/Boogie が多段ゲインで作った歪みは、それ以前のどのアンプにも存在しなかった音だった。Marshall を大音量で鳴らした歪みとは、成り立ちからして違う。
Soldano SLO-100 のゲイン配分も、Diezel VH4 の分離も、それまでなかった状態を設計して作っている。
Rockman は、生の音を目指していない。最初から加工された完成品として設計されている。
つまり、実在しないものを設計する行為自体は、アンプの歴史の中で何度も行われてきた。
ただし、その全部がアナログ回路の物理に縛られていた。作れる範囲の中で、新しいものを探していた。
いま、その縛りが外れている。にもかかわらず、探しているものが「かつて作れた範囲の中の名機」に戻っている。
これは技術の停滞ではなく、想像力の停滞に近い。
実在しないものを売った例は、すでにある
念のため書いておくと、「実機の模倣ではない音」を商品にした例が皆無だったわけではない。
Tom Scholz の Rockman は、どの実機の再現でもない。コンプレッションとコーラスを含んだ、最初から完成された一つの音として設計されている。目標は実機ではなく、レコードの中で聴こえる状態そのものだった。
SansAmp の PSA-1 は、アンプ名を並べる代わりに、歪みの要素を分解したパラメータを並べた。どのアンプを模すかではなく、どんな歪みを組み立てるかを操作させる設計である。
Yamaha の DG シリーズも、有名アンプの模倣を主眼にしていない。デジタル制御でしか実現できない操作性を、そのまま前面に出した。
Roland の VG-8 に至っては、ピックアップの位置や本数、ボディの構造まで仮想的に差し替える。物理的に存在しない楽器を鳴らすための装置である。
つまり、発想としては何度も現れている。
ただし、市場の中心にはならなかった。
理由は前に書いたとおりで、買う理由を一行で説明できないからだ。「Plexi が入っている」は伝わる。「どこにもない音が出る」は、聴くまで伝わらない。
技術の限界ではなく、流通の構造が方向を決めている。
そして現代のモデラーの中にも、実は実機に存在しない設定は大量にある。異なる世代のプリとパワー段を組み合わせる。存在しないキャビとマイクの位置を選ぶ。二つの状態のあいだを連続的に変化させる。
これらは「実在しないアンプ」の一種だが、そう呼ばれてはいない。あくまで既存のアンプの派生として扱われている。
言葉が追いついていないだけで、実物はすでに使われているとも言える。
AIが本当に得意なのは、探索かもしれない
もう一つ、見落とされがちな用途がある。
現代の機材は、パラメータが多い。プリのゲイン、各バンドのEQ、パワー段の設定、キャビ、マイク、位置、距離、そして前後のエフェクト。組み合わせの数は、人間が総当たりで試せる範囲をとうに超えている。
だから実際には、誰もが自分の知っている範囲の中だけを動いている。
過去にうまくいった設定の周辺を探し、そこから大きく外れた領域には行かない。行っても評価の基準がないので、良し悪しを判断できずに戻ってくる。
つまり、機材の可能性のほとんどは未踏のまま放置されている。
ここは、機械が得意な領域である。
膨大な設定空間を探索し、人間が普段選ばない組み合わせを提示する。それが良いかどうかを判断するのは人間でいい。判断だけなら、聴けばできる。
この使い方は「実機を再現するAI」とは方向がまったく違う。再現ではなく、探索の補助である。
そして、この形なら評価の基準が要らない。良いかどうかは、提示されたものを聴いた人間が決める。目標を定義できないという先ほどの問題を、迂回できる。
存在しなかったアンプは、設計されて生まれるとは限らない。
偶然出てきた設定に、誰かが価値を見出すという形で現れる可能性もある。歪みがそうやって発見されたように。
何を残し、何を捨てるかを決める必要がある
もっとも、制約が外れれば良いものが出る、という話でもない。
制約は、ただの障害ではなかった。真空管アンプが楽器として機能してきたのは、その物理が一貫していたからでもある。押せば返る、強く弾けば潰れる、という関係が常に成立しているから、演奏者は身体で予測できる。
任意に設計できる世界では、その一貫性を意図的に作らなければならない。
何をしても破綻しない装置は、たぶん楽器にならない。どこかに限界があり、その限界が予測可能であることが、演奏という行為を支えている。
だから「存在しなかったアンプ」を作るという課題は、自由に何でも足す作業ではない。
どの制約を残すかを選ぶ作業である。
サグは残すのか。パワー段の圧縮は要るのか。ノブの相互作用は、不便だが手掛かりでもある。捨てていいのか。
この問いに答えられる人は、実機を知っている人だと思う。物理に縛られた装置が、なぜあの振る舞いになったのかを理解している人。
模倣の時代が無駄だったとは思わない。写し取る過程で、何が音を決めているのかが分解され、記述された。その蓄積がなければ、選ぶこともできない。
ただ、写し取れるようになった以上、次の問いはもう出ている。
実機のどれとも似ていない一台を、どんな音楽観に基づいて設計するのか。
それはたぶん、技術者だけの仕事ではない。