ギターアンプの設計史は、たいていアンプの側から語られる。回路が変わり、球が変わり、チャンネルが増えた、というふうに。
だが、アンプに要求を出していたのは楽器の側でもある。
その中で、90年代以降にもっとも大きな要求を出したのが音域の低下だった。
半音下げ。一音下げ。ドロップD。7弦、8弦。ダウンチューニングが一般化するにつれ、アンプが処理しなければならない信号は、それ以前とは別のものになっていく。
低い音は、歪み回路にとって難物である
まず、物理的なところから整理する。
低い音ほど、波形の振幅が大きくなりやすい。同じ強さで弾いても、低音弦の方が大きなエネルギーを持って回路へ入る。加えて、周期が長い。
この二つが、歪み回路にとって面倒を起こす。
歪みとは、ある閾値を超えた波形が潰されることである。振幅の大きい低域は、真っ先にその閾値を超える。すると、低域が回路を飽和させた状態が、そのまま他の帯域の処理にも影響する。
結果として何が起きるか。
コードが濁る。個々の音の分離が失われる。刻んだときに、音が切れずに次の音へつながる。低音弦の音程が曖昧になり、何を弾いているのか判別しづらくなる。
これは音量の問題でも、EQの問題でもない。歪みの発生条件の問題である。
そして、この問題はチューニングを下げるほど深刻になる。周波数が下がれば振幅は増え、隣接する音との周波数差も詰まるからだ。
E で成立していた設定が、C では破綻する。よくあることである。
音域が下がっていった順序
歴史として並べると、低下は段階的に進んでいる。
最初期の例として挙げられるのは Black Sabbath である。Tony Iommi は事故で指先を損傷しており、弦の張力を下げるために早い時期から半音下げや三半音下げを使った。健康上の理由から始まった選択が、結果としてヘヴィな音楽の音域を決めることになった。
70年代から80年代の大半は、半音下げか一音下げの範囲に収まっている。標準チューニングの延長として扱える範囲である。
大きく変わるのは90年代だ。
1990年、Steve Vai のために Ibanez が Universe を出し、7弦ギターが量産品として流通し始める。当初はテクニカルな用途を想定した楽器だったが、1994年に Korn がこれをリフの楽器として使い、位置づけが一変した。低い弦を、速いパッセージではなく重い刻みに使う。
以後、7弦は特殊な楽器ではなくなる。ドロップチューニングと組み合わせることで、音域はさらに下がった。
2000年代には8弦が現れ、Meshuggah のようなバンドが常用する。標準チューニングから見て、1オクターブ近く低い音がリフの基音になる。
つまり、およそ30年かけて、ギターは徐々にベースの領域へ降りていった。
そして機材の側は、そのたびに設計の前提を修正することになった。
タイトという言葉が指しているもの
メタル系の音作りでよく使われる「タイト」という語は、この文脈で理解すると分かりやすい。
タイトな音とは、低域が少ない音ではない。低域が時間的に短い音である。
弾いた瞬間に低域が立ち上がり、すぐ収まる。次の音との間に隙間ができる。刻みのパターンが、パターンとして聴き取れる。
逆にタイトでない音は、低域が伸び、次の音に重なる。重なった状態でさらに歪むので、混ざり合った濁りが常に鳴っている状態になる。
ゲインを下げれば改善するが、それでは音の密度が足りない。密度は欲しいが濁りは要らない、という要求が生まれる。
この要求への回答が、前に書いた「歪みの前で削る」という手法だった。
低域を歪ませる前に落としてしまえば、低域が回路を飽和させない。残った帯域が綺麗に歪み、削った低域は後段やキャビの選択で必要なだけ戻す。
現代のメタルでブースターが必須に近い扱いになっているのは、趣味ではなく、音域の低下に対する構造的な対処である。
アンプ側も、静かに変わっていた
ペダル側だけの話ではない。アンプの設計にも同じ要求が反映されていく。
90年代以降のハイゲインアンプには、低域の扱いに関わる制御が増えていった。名前はメーカーごとに違うが、機能としてはおおむね共通している。歪み段へ入る前の低域をどれだけ通すかを調整するもの。あるいは、深く歪ませたときの低域の膨らみを抑えるもの。
Diezel が「分離」を主題に据えたのも、この流れの中にある。ゲインを深くしながら一音一音を判別可能に保つという課題は、音域が下がるほど難しくなる。
7弦や8弦を前提とした専用機が成立するようになったのも、2000年代以降の特徴である。汎用機で低音弦を鳴らすと、どうしても設計上の想定範囲の外に出てしまう。それなら最初から想定を変えて設計した方がいい、という判断になる。
「万能でなくていい」という設計思想が現代のメタル向けアンプに多いのは、対応すべき条件が厳しくなった結果でもある。
楽器の側でも、条件は変わっていた
アンプの前で起きていたことも書いておく。
チューニングを下げると、弦の張力が落ちる。張力が落ちれば、弦は大きく振れ、音程は不安定になり、フレットに当たりやすくなる。
これに対して、楽器の側では複数の対処が取られた。
太い弦を使う。スケール長を伸ばす。多弦ギターでは、弦ごとにスケール長を変えるファンフレットのような設計も一般化した。低音弦だけ長く、高音弦は短く。これは張力の均一化が目的である。
ピックアップも変わる。低域の出力が強すぎると、それがそのままアンプの前段を押してしまう。低音弦側の出力を抑えたり、磁力やコイルの設計で低域の締まりを取ったモデルが増えた。
つまり、アンプへ入る前の段階で、すでに低域の管理が始まっている。
こう並べると、現代の音作りが「入力信号の設計」と呼ばれる理由がはっきりする。弦、スケール長、ピックアップ、ブースター、そしてアンプの前段。アンプに何を入れるかを決める工程が、音作りの半分近くを占めるようになった。
キャビネットとスピーカーも、条件から外れていった
見落とされやすいが、出口の側にも同じ問題が起きている。
ギター用の12インチスピーカーは、そもそも低い音を再生するために作られていない。低域の再生限界は、ユニットとキャビネットの容積で決まる。標準的なギターキャビの設計は、標準チューニングのギターの帯域を前提にしている。
チューニングを下げると、基音がその限界より下へ落ちることがある。
そうなると何が起きるか。基音は出ない。だが倍音は出る。人の耳は倍音の並びから基音を推測するので、実際には鳴っていない低音を「聴こえている」と感じる。
これは音として成立するのだが、同時に不安定でもある。基音が出ていないので、音程感は倍音の構成に依存する。歪みで倍音が複雑になると、音程が曖昧になりやすい。
低いチューニングで「何を弾いているか分からない」と感じる現象には、この要因も混ざっている。
対処として実際に取られてきたのは、いくつかの方向がある。
密閉型に近い構造で低域を締める。開放型は低域が回り込んで膨らみやすいので、ヘヴィな用途ではクローズドバックが標準になった。
中域に特徴のあるスピーカーを選ぶ。低域を追いかけるのではなく、中域の情報量で輪郭を作る方向である。ハイゲイン用途で特定のスピーカーが定番化しているのは、この理由が大きい。
より大口径や、ベース用に近い設計のユニットを併用する例もある。
いずれにせよ、低域を素直に増やす方向では解決しないという点は共通している。
入口で削り、出口で締める。低いチューニングへの対処は、その両側で同時に行われてきた。
高い音域の側で起きたこと
低域の話ばかりしてきたが、副作用は高い側にも出ている。
音域が下がると、リフの帯域とベースの帯域が重なる。バンドのアンサンブルの中で、ギターとベースが同じ場所を取り合うことになる。
そこで、ギター側の音作りは中高域の輪郭に頼るようになった。ピックのアタック音、弦がフレットに当たる音、歪みの高次倍音。低域の量ではなく、高域の情報で「太さ」を感じさせる方向へ寄っていく。
だから現代のヘヴィな音を単体で聴くと、思ったより低域が少なく、意外に硬く聴こえることがある。バンドの中で成立させることを前提に設計されているからだ。
音域が下がったのに、アンプの音は高い方へ寄った。逆説的だが、合理的な帰結である。
自分のチューニングは、条件の一部である
実用に落とすなら、この話は一点に集約できる。
チューニングは、音作りの前提条件である。
同じアンプ、同じセッティング、同じ弾き方でも、チューニングが変われば結果は変わる。しかもその変化は、EQで戻せる種類のものではない。歪みの発生条件そのものが変わっているからだ。
だから、参考にした音作りがうまくいかないとき、まず確認すべきはチューニングかもしれない。半音違うだけで、ゲインの適正値は変わる。
そして、下げるほど設定はシビアになる。余裕がなくなる。E で許された適当さが、B では許されない。
音域を広げるというのは、単に低い音が出せるようになるということではない。扱いの難しい条件を自分に課すということでもある。
その難しさに、アンプの設計は30年かけて追いついてきた。