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『Sound of White Noise』は、なぜ突然「現代の音」になったのか。デジタル化ではなく、直前の一年に作られた方法が運ばれてきた

2026-08-28

1993年のAnthrax『Sound of White Noise』は、前作から音が突然「現代」へ移ったように聴こえる。だが前作も一流スタジオで録られ、著名なミキサーとマスタリング技師が付いていた。設備が上がったという説明は成り立たない。変わったのは制作チームである。プロデューサーのDave Jerdenは、この作品のギターを直前の一年に完成させた方法でそのまま録ったと述べている。ギターを三台のアンプへ分岐させ、帯域ごとに担当を割り振り、ミックスでフィルターを使って交差点を作る。engineerのBryan Carlstromは、その入口をSM57一本とSummitの真空管機材へ絞った経緯を語っている。音は年代ではなく、人が運ぶ。

1993年5月25日に出たAnthraxの『Sound of White Noise』は、前の作品と並べて聴くと、時代がひとつ飛んでいるように感じられる。

音が良くなった、という言い方では足りない。楽器の置かれ方そのものが違う。

左右のギターが近い。スネアは大きいのに、80年代のレコードのような長い尾を引かない。キックとベースが重なって濁らず、声がその上に別の物体として乗っている。全体は巨大なのに、遠くない。

この変化を、当時のリスナーの多くはボーカリストの交代として受け取った。Joey BelladonnaからJohn Bushへ替わった最初の作品である。作曲も変わった。速さで押す構成から、遅く重い構成へ寄っている。

だが、声と曲が変われば音像も変わる、というのは説明になっていない。声の質は声の質であって、スネアの余韻の長さやギターの距離感を決めるものではない。

「デジタルになったから」では説明できない

1993年という年に置くと、つい設備の話にしたくなる。CDが完全に主流になり、スタジオの機材が入れ替わった時期である。デジタルになったから解像度が上がった、と考えたくなる。

しかしこの説明は、前作を確認した時点で崩れる。

1990年8月21日に出た前作『Persistence of Time』は、ハリウッドのA&MとConway、ニューヨークのSoundtrackで録られている。ミックスはElectric Lady StudiosでSteve ThompsonとMichael Barbiero。マスタリングはMasterdiskのBob Ludwigである。翌年のグラミー賞メタル部門にノミネートもされている。

つまり、前作は低予算でも設備の劣る現場でもない。当時の一流の技術者が付いた、商業的にも評価された作品である。

設備の格が上がったから音が現代化した、という筋書きは立たない。予算の話でもない。

では何が変わったのか。

制作の担当者が、まるごと入れ替わっている。

誰が作ったかを、役職ごとに分けて見る

アルバムの音を、プロデューサー一人の名前へ帰属させると見えなくなるものがある。

録音の方法を決めるのはrecording engineerであることが多い。マイクを選び、位置を決め、卓の入口で何を通すかを決めるのは、プロデューサーとは別の人間の仕事になる場合がある。ミックスの担当も別に立つ。マスタリングも別である。

だから、作品と作品を比べるときは、名前を一つにまとめずに、役職ごとに追ったほうがよい。

『Sound of White Noise』のクレジットはこうなっている。プロデュースはDave JerdenとAnthrax。engineerはBryan Carlstrom。ミックスはJerden。マスタリングはEddy Schreyer。

前作は、プロデュースがAnthraxとMark Dodson、ミックスがThompsonとBarbiero、マスタリングがLudwigだった。

一人も重なっていない。

そして、このJerden/Carlstrom/Schreyerという組は、1993年に初めて組まれた新チームではない。その前の年に、別のバンドで一枚を仕上げたばかりだった。

プロデューサー本人が、方法の移動を認めている

ここが、この記事で一番強い証拠になる。

Dave Jerdenは後年のQ&Aで、『Sound of White Noise』のギターは、Alice in Chainsの『Dirt』でやったのと同じ方法で録ったと述べている。さらに、Anthraxが自分を雇った理由の一つは、あのアルバムと同じギターの音を求めていたからだ、とも語っている。

『Dirt』は1992年9月29日発売。『Sound of White Noise』の録音が始まるのは、その直前である。engineerは同じCarlstrom、マスタリングも同じSchreyerが関わっている。

つまり、Anthraxの側から見れば断絶に見えた変化は、制作者の側から見れば連続した仕事だった。

新しい時代の音が、1993年に空から降ってきたわけではない。前の年に別の現場で作られた方法が、そのまま次の現場へ持ち込まれている。

音を運んだのは年代ではなく、人である

その方法は、さらに一枚前から育っていた

Jerdenと Alice in Chainsの関係は『Dirt』が最初ではない。1990年のデビュー作『Facelift』も彼のプロデュースで、録音とミックスも彼の名前で記載されている。追加のengineeringにRon Champagne、マスタリングにEddy Schreyerが付いている。

面白い偶然がある。この『Facelift』の発売日は1990年8月21日で、Anthraxの『Persistence of Time』とまったく同じ日である。

同じ日に出た二枚が、二年後には同じ制作チームの手で、ほとんど同じ音響世界へ寄っていく。

ただし『Facelift』と『Dirt』では、聴こえる空間がかなり違う。『Facelift』には後の巨大なギターの芽があるが、まだ80年代末の残響感が残っている。

Jerden自身の説明によれば、『Facelift』は基本トラックをシアトルで録り、オーバーダブをCapitolのAスタジオで行い、いずれもNeveの卓を使った。『Dirt』は基本トラックをロサンゼルスで録り、オーバーダブは自身のEldoradoでSSLの卓に移している。ミックスは両作ともSSLである。

そして、この二枚のあいだにengineerが交代している。Bryan Carlstromが入るのは『Dirt』からである。

入口を絞ったのはengineerの側だった

Carlstromは、その最初の現場でギターをどう録ったかを自分の言葉で語っている。

マイクもキャビネットもアンプも、本数も位置も、やり方は無数にある。Jerdenが何を求めているのか分からず、少し気後れしていた。だから逆に、いちばん単純な形にした。SM57を一本、スピーカーの正面へまっすぐ向ける。それをSummitの真空管マイクプリへ入れ、Summitの真空管コンプレッサーを通して、そのままテープへ送る。Carlstromはそう回想している。

その音を上げた瞬間にJerdenが叫んだ、というのが彼の語る場面である。何だそのギターの音は、と。57をスピーカーに向けてSummitを通しただけだと答えると、それは十五年探していた音だ、これからもそのやり方で録れ、と言われたという。

Carlstromは、以降その方式からほとんど動かなかったと述べ、それが『Dirt』で聴こえる音だとしている。

彼はSummitの機材について、音を絞め殺さずに倍音の構造を保ったまま捕まえる、手を伸ばせば触れられるような捕まり方をする、という言い方をしている。

巨大さは、後段の加工ではなく入口の単純化から出てきている。これは重要な逆転である。

三台のアンプに、帯域の担当を割り振る

Jerdenの側の設計はもう少し複雑である。

彼が『Dirt』で使い、そのまま『Sound of White Noise』へ持ち込んだのは、ギターの信号を三台のアンプへ分岐させる方式だった。

低域の担当はBogner Fishのプリアンプ、VHTのパワーアンプ、Vox Bulldogスピーカーを積んだMarshallのキャビネット。中域の担当はBogner Ecstasy。高域の担当はRockmanのポケットアンプで、これはダイレクトに取る。分岐にはZZ TopのエンジニアTerry Manningが作ったLucas Deceiverというスプリッターを使っている。低域と中域のアンプはSM57で収音し、Rockmanはライン入力である。

ミックスでは、ハイパスとローパスのフィルターで帯域の交差点を作る。三台を混ぜて厚くするのではなく、三台に別々の仕事をさせて、重ならないように切って並べる。

そして、リズムギターは基本と重ね録りを合わせて六トラックになり、それを左右へ振り切る。

一台のアンプで「太い音」を作ろうとするのとは、発想が逆である。一台で全部の帯域を担当させると、どこかが必ず犠牲になる。低域を出せば中域が濁り、高域を伸ばせば芯が細る。

だから帯域ごとに専門の装置を立てて、後で組む。バンドの中で楽器同士が帯域を分け合うのと同じ構造を、ギター一本の内側へ持ち込んだと言える。

近くて巨大なのに濁らない、という聴感の正体はここにある。分離しているから近づけられる。

注目したいのは、高域の担当だけがキャビネットを通っていないことである。

ギタースピーカーは、高い周波数をほとんど出さない。数キロヘルツから上は急な坂で落ちていく。その落ち方こそがギターアンプらしさの一部なのだが、坂の先にある成分は、キャビネットを立てているかぎり取り出せない。

高域担当だけをダイレクトで取れば、その制限を回避できる。Jerdenがそう説明しているわけではないので、これは推論である。ただ、構成としては筋が通っている。三台のうち二台はキャビネットの音を、一台はキャビネットを通らない音を担当している。

もうひとつ、対照的な事実がある。リズムがこれだけ分割されているのに対して、リードギターはずっと単純である。JerdenはAlice in Chainsの二枚を通じて、リードには1988年製のMarshall Super Leadを一台使ったと述べている。100Wと50Wを切り替えられる仕様で、出力管はEL34ではなく6L6、プリアンプ段を一段足す改造がMike Moranの手で施されている。

分割は、あくまでリズムギターの問題として扱われている。重ねる音には設計が要り、一本で立つ音には要らない。役割が違えば、作り方も別で構わない。

複製ではなく、翻訳だった

ここで「同じ方法で録った」を「同じ音をコピーした」と読むと、事実からずれる。

Anthraxのリズムギターを弾いたScott Ianは、この方式のAnthrax版について具体的に語っている。三台はそれぞれ別のEQで、一台は中域、一台は高域、一台は低域。左に三トラック、右に三トラックで、リズムだけで六トラックになった。

低域がいちばん難しかった、と彼は言う。使ったのはMatchlessのアンプで、その前にロシア製のSovtekのファズを置いた。その結果、それ単体では到底使えない、吹き飛んだような、極端に低音の強いストーナーロック的な音になったという。

『Dirt』の低域担当がBogner FishとVHTだったのに対し、こちらはMatchlessにファズである。同じ設計思想を、別のバンドの硬いリフに合わせて組み直している。方法は移植されたが、部品は入れ替わっている。

そしてIan自身は、後年この方式に否定的である。正直なところ完全に余計だった、時間の巨大な無駄だった、と述べている。全曲でリズム六トラックぶんに費やした時間は、よくEQした二トラックで同じ結果になったはずだ、というのが彼の結論である。紙の上では良いアイデアだったが機能的には無駄だった、とも言っている。

これは記事にとって都合の悪い証言だが、外さない方がよい。

ただし、ここで一つ確定できないことがある。六トラックを、何回の演奏で録ったのかが資料から決まらない

Jerdenの説明どおりスプリッターで三台へ同時に送っているなら、一回弾けば三トラックが同時に埋まる。基本と重ね録りで、演奏は二回で済む。それなら演奏時間は通常のダブルトラッキングと変わらず、「巨大な無駄」とまでは言いにくい。

一方Ianの言い方は、六トラックぶんを弾いた時間が重かったように読める。彼が挙げる低域の機材もMatchlessとSovtekのファズで、Jerdenが『Dirt』について語る構成とは違う。Anthraxのセッションでは三台を別々に録っていた可能性がある

どちらとも断定できない。ここで確かなのは、完成したリズムギターが左右三トラックずつの計六トラックで構成されていることまでである。演奏の回数は、本人たちの証言が噛み合っていない。

ここから二つのことが読める。ひとつは、演奏者と制作者では、同じ工程の価値の判定が一致しないこと。もうひとつは、それでも出来上がった音は残り、後から時代の代表として扱われるということである。

作品の音は、当事者の納得の総和ではない。

同じ手つきは、ギター以外にも及んでいる

帯域分割はギターの話だが、この現場の設計思想はそこだけに留まっていない。

Jerdenは『Dirt』のドラムについて、こう説明している。基本トラックを録ったのはノースハリウッドのOne on Oneというスタジオで、そこを選んだのはLars Ulrichから、キックを送り込むための31インチのウーファーがあると聞いたからだった。彼はPAシステムを借り、スネアとタムをそこへ通し、キックは31インチのウーファーへ送った。ドラムは大砲が撃たれているような音になった、と彼は書いている。

これは、部屋の響きを丁寧に拾う手つきではない。部屋の中で、もう一度その楽器を大音量で鳴らし直している。生の打点を大きくしたのではなく、大きな打点をあらためて空気に置き直している。

声も同じである。Jerdenによれば、『Dirt』のLayne Staleyのボーカルはリードもコーラスもすべて三重に録られ、Jerry Cantrellのボーカルは二重に録られている。Layneは自分の歌に自分を重ねるのが巧く、多くは一回か二回のテイクで済んだという。

ギターは分割して六トラック、ドラムは部屋で鳴らし直し、声は三重。

これを「生々しい録音」と呼ぶのは、たぶん正確ではない。

90年代は「生の音」へ戻ったのではない

この時期の音を「80年代の作り物から、90年代の生々しさへ戻った」と説明する言い方がある。

だが、ここまで見てきた工程は生々しさとは反対側にある。ギターを三分割して別々のアンプへ通し、六トラック重ねて左右へ振り切り、ミックスでフィルターを掛けて交差させている。現実の演奏をそのまま置いた音ではない。

減ったのは加工の量ではない。変わったのは、加工が向かう先である。

80年代のレコードが作ろうとしたのは、現実には存在しない巨大な空間だった。デジタルリバーブ、ゲートリバーブ、ハーモナイザー、コーラス。楽器を遠くの広い場所へ置いて、その場所ごと売っていた。

90年代初頭のこの系統が作ったのは、現実には存在しないほど巨大なのに、目の前に実在しているように感じる物体である。空間ではなく物体を人工的に作っている。

だからスネアの尾は短い。長い残響は距離を作ってしまうからである。だからギターは近い。だから六トラック重ねても濁らないように帯域を切ってある。

これは自然への回帰ではなく、人工性の目的地の変更である。

同じ年代の中にも別の系統はある。部屋の響きと一発録りを重視した現場もあれば、低予算の即物的な録音もある。この記事が扱ったのは、そのうちの一系統にすぎない。90年代全体を一つの様式として語ることはできない。

この筋書きが持っている弱いところ

ここまでの説明は、都合よく通りすぎている。弱点を先に置いておく。

第一に、制作チームが入れ替わったことと、音が変わったことは別の話である。同じ時期に、ボーカリストが替わり、作曲が変わり、演奏する曲そのものが遅く重くなっている。ギターの機材も、レーベルの要求も、予算配分も同時に動きうる。クレジットの交代と音の変化が並んでいるからといって、片方がもう片方を起こしたことにはならない。

第二に、方法の連続をJerden一人の手柄にしてはいけない。三台分割はプロデューサーの設計だが、入口をSM57一本へ絞ったのはengineerの発案として語られている。マスタリングの担当も三作で共通している。「Jerdenが運んだ」ではなく、「複数の役職が同時に移動した」と書くほうが事実に近い。

第三に、Jerdenの説明はギターの話に偏っている。三台構成の説明はあるが、曲ごと、トラックごとに何をどう使ったかは公開されていない。ベースやドラムの全信号経路も同様である。ギターで確認できたことを、アルバム全体の作り方へ広げることはできない。

第四に、演奏者の証言は方法の有効性を支持していない。Ianは六トラック方式を無駄だったと言っている。方法が運ばれたことと、その方法が効いたことは、別々に検証しなければならない。

第五に、この記事の出発点は聴き比べの印象である。近い、巨大、分離している、という言葉は測定値ではない。周波数分布やラウドネスを実測すれば、印象と一致しない部分が出てくる可能性はある。

それでも、Jerden本人が「同じ方法で録った」と述べ、Anthraxが「同じギターの音」を求めて彼を雇ったと述べている以上、方法が移動したという事実そのものは動かない。動かせないのはそこまでで、その先は開いたままにしておく。

CSLが、この事例から受け取るもの

機材の記録をしていると、音の原因をつい装置の側へ寄せたくなる。どのアンプか、どのスピーカーか、どのマイクか。

この事例が示しているのは、その手前に「誰の方法か」という層があることである。

Summitの真空管プリを持っていても、SM57を正面に一本だけ立てるという判断がなければ、あの入口にはならない。Bognerを三台持っていても、帯域の担当を割り振って後で交差させるという設計がなければ、ただ厚いだけの音になる。

装置は買えるが、方法は人に付いて移動する。JerdenとCarlstromがスタジオを移りながら同じ音を成立させたのは、装置ではなく手順を持ち歩いていたからである。

だから、アンプの記録を残すときにも、装置名だけでは足りない。どの条件で、どこにマイクを置き、どの信号を入れたのか。条件が書かれていない記録は、後から誰も再現できない。

音を運ぶのは年代ではなく人であり、人が運べるのは装置ではなく方法である。

まとめ

『Sound of White Noise』の音は、1993年という年が持っていたものではない。

前作との差は、設備でも予算でも録音フォーマットでもない。プロデューサー、engineer、マスタリングが丸ごと入れ替わり、その組が直前の一年で完成させたばかりの方法が、そのまま持ち込まれた。

その方法は二つの層でできている。入口をSM57一本とSummitの真空管機材へ絞ること。そしてギターを三台のアンプへ分けて帯域の担当を割り振り、ミックスで交差させること。前者はengineerの発案として語られ、後者はプロデューサーの設計として語られている。

Anthraxの側ではその方法を複製せず、低域をMatchlessとSovtekのファズへ差し替えて、自分たちのリフへ翻訳した。演奏者本人は後年、その手間を無駄だったと評している。

音の歴史を年代で切ると、こういう移動が見えなくなる。1993年に何が起きたかではなく、1992年に誰が何を作り、その人がどこへ行ったかを見たほうが、変化の理由は正確に取れる。

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