筐体に書いてあるブランド名と、その中身を設計した人間は、必ずしも一致しない。
機材の話は、たいてい筐体の名前で進む。DigiTechのペダル。Korgのボーカル機。Yamahaのカラオケ機器。名前が違えば、別の会社が別の考えで作ったものだと思う。
だが、この3つには共通の設計元がいた。
カナダ・ブリティッシュコロンビア州ビクトリアの、IVL Technologiesという会社である。
名前を聞いたことがある人は多くないと思う。自社ブランドの製品をほとんど店頭に置かなかった会社だからだ。それでもIVLは40年以上にわたって、複数のブランドの製品史に技術を流し込み続けた。
そして、IVLが売っていたものは音ではない。機械が、人の出した音程を実時間で理解する能力である。
売る対象をその一点に絞ったことが、手法の選び方も、自分の名前が表に出ないことも、自社ブランドが3年で終わったことも、同じ理由で説明する。
最初の製品は、音を加工する装置ではなかった
IVLの出発点は、楽器メーカーの発想ではない。
Phil Scottは職業としては心理学者で、余暇にフルートを学んでいた。師から音程の重要性を説かれたとき、彼は既存のチューナーで実時間の視覚的な手がかりが得られないかを調べた。
チューナーは追従が遅い。そこでScottは自分で取り組むことにした。カナダの通信会社に勤める友人がBrian Gibsonを紹介し、1983年、二人はビクトリアでIVLを始めた。
最初の製品はPitchrider 2000である。
これはエフェクターではない。前面のLEDが、いま鳴っている音程と、それが高いか低いかを表示する装置だった。
つまりIVLが最初に商品化したのは、音を変える機能ではなく、音程を読み取る機能そのものである。
この順序は後々まで効いてくる。読み取りが先にあり、加工は後から乗った。
読み取りの中核は特許として登記されている。1986年1月16日に出願されたピッチ検出の特許US4688464Aは、発明者をBrian C. GibsonとGeorge J. Sparkとし、ブリティッシュコロンビア州法人IVL Technologies Ltd.への譲渡として記録されている。翌1987年8月25日に登録された。
創業から3年で、会社の中核技術は法的な形を持った。
カナダから来た新顔が、ギターシンセの市場に現れた
Pitchrider 2000をNAMMへ持ち込んだのは、MIDIが世に出てきたのとほぼ同じ時期だった。
そこで分かったのは、鍵盤を弾かない演奏者のあいだに、ピッチをMIDIへ変換することへの関心があるということである。この反応がPitchriderのシリーズ化を促し、後にギター版の7000へつながった。
1986年後半の英国の楽器誌に、その7000のMk.2が登場している。
In Tuneの1986年12月号は、これをカナダから来たMIDIギターの新しい対抗馬として紹介した。当時の競合として挙げられているのは、ドイツ製のShadowと、RolandのGM70およびGK1である。Mk.2の改良点は追従速度で、従来の最悪12msから、6msより遅くならないところまで詰めたと書かれている。
同じ時期のInternational Musician & Recording Worldの1986年11月号も、7000を取り上げている。こちらが売りとして挙げているのは、専用ギターを必要とせず、どのギターからでもMIDI信号を出せることだった。
ここで目を引くのは、誌面での呼ばれ方である。
Dod/IVL Pitchrider 7000 Mk.2。
DODの名とIVLの名が連名で並んでいる。まだIVLの名前が表に出ていた時期の製品だが、すでに単独ではない。
「Eventideより大幅に安く」という依頼が、手法を決めた
DODとの関係が始まったきっかけは、IVL側の売り込みではない。
DODとDigitechの社長だったJohn Johnsonが、当時出回っていたEventideのシステムより大幅に低いコストで、音楽的に正しい音程へ動くピッチシフターを作れないか、とIVLに持ちかけた。
この依頼の形は、そのまま設計の条件になっている。
「実時間で動くこと」と「安く作れること」が先に決まっていて、手法はその後で選ばれた。
IVLが選んだのは、周波数領域で分析して再合成する道ではなく、処理をすべて時間領域で行う手法である。実時間でハーモニーを作れて、なおかつ手の届く価格に収まる製品にするという目標が先にあったから、その道を選んだと副社長のFred Speckeenは説明している。
同じ姿勢は部品の選び方にも出ている。既製部品にカスタム部品を組み合わせて、価格の収まる製品にする。新製品を考えるとき、まず見るのは価格だとも述べている。
これは、音質の理想から降りてきた設計ではない。
制約から上がってきた設計である。
そして、こうした会社の技術がもっとも広く知られる形になったのが、ギターのピッチを踏んで動かすペダルだった。DigiTech Whammyは1989年に世に出て、翌1990年のNAMMでTEC賞を受けている。
IVL自身は、このWhammyを「IVLが設計し、製造した」と明記している。
ペダルの上面に書かれているのはDigiTechである。ギタリストがWhammyと呼ぶとき、そこにIVLの名は入っていない。
保証書の返送はがきから、製品カテゴリーが生まれた
IVLがボーカルハーモニーへ向かったきっかけは、市場調査会社の予測ではない。
Digitech IPS33というピッチシフターの、保証書の返送はがきを読んでいたことである。
送り返されてくるはがきを分析していくと、買った人のうち一定数が、このピッチシフターを主にバックグラウンドボーカルを作るために使っていることが分かった。
ギターのために売られた装置が、声のために使われていた。
IVLはそこに製品を合わせにいった。1991年、Digitech VHM5が世に出る。翌1992年のNAMMで、Vocalistは2つのTEC賞を受けた。
後年のSpeckeenの言い方は率直である。ギターからMIDIへの変換は問い合わせもあったし、今ならもっとうまくやれるが、ギターシンセはそもそも売れたためしがない。ボーカルハーモニーの生成のほうが、論理的な進み先に見えた。
IVL公式は、ボーカルハーモニーという製品カテゴリー自体を、1991年のDigitech Vocalistの導入によって自社が作ったと位置づけている。
カテゴリーを作った、という言い方は自己申告である。だが、その申告をした会社の名前が製品の表には出ていない、という構図は事実として残る。
Vocalistの名は、後の世代の製品にも引き継がれている。
IVLはアルゴリズムを売る会社ではなかった
ここが、この会社をいちばん取り違えやすいところだと思う。
「技術を供給していた」と言われると、たいていは処理の中身だけを渡して、製品化は相手がやる図を想像する。半導体や音源チップを供給する会社のイメージに近い。
IVLはそうではない。
Speckeenは、自社が設計も製造も完全にカナダ国内で行っていると述べている。しかもその設計工程には、プロの演奏者やDigitech、その流通業者との綿密な打ち合わせが含まれる。さらにマニュアルや技術文書を用意し、販促物、トレーニング、トレードショーについてもDigitechと密に連携していたという。
供給していたのは、アイディアではない。製品そのものである。
相手に預けていたのは、ブランド名と流通だけだ。
そう捉えると、1996年時点でIVLが手がけた製品の一覧が読みやすくなる。Korg ihというボーカルハーモニー機、Digitech Studio 5000という楽器用ハーモニー機、Yamaha/DK DAMIIという業務用カラオケシステム、Xirlink Magic Mic。
そこには、ピッチと直接の関係がない製品も混ざっている。Digitech RPM1というロータリースピーカーのエミュレーターと、VTP1という真空管プリアンプである。
だから「ピッチ検出の会社」という括りは、半分しか当たっていない。正確には、他社ブランドで出る製品を設計から製造まで引き受けられる会社であって、そのうち得意分野がピッチだった、という順序になる。
なお、設計と製造の両方を自社が担ったと当事者が明言しているのは、Digitechとの案件である。他社との案件について同じ言い方をした資料は見当たらない。この記事でIVLの担当範囲を論じるのは、Digitechの例に限る。
ギター雑誌に名前が出ない領域に、いちばん大きな商売があった
1996年のIVLは2部門制だった。
楽器・プロオーディオの部門と、マルチメディア/コンシューマーの部門である。そして後者が相手にしていたのは、日本の業務用カラオケ市場だった。
主要顧客はYamaha Corporationであり、顧客側が日本市場でおよそ7割のシェアを握っている、とSpeckeenは述べている。
公開されている取引先には、第一興商の名もある。日本の業務用カラオケの最大手である。ほかにKorg、Mackie、Disney、Sega、iZotope、StantonDJが並ぶ。現行の取引関係については、競争上の理由から明かさない方針だと明記されている。
つまり、ギター雑誌の紙面にIVLの名前が出なくなった時期に、この会社のもっとも大きな商売は、カラオケボックスの機械の中で動いていた。
2004年のMixの記事は、この領域の技術がハイエンドのスタジオやポストプロダクションの要求からではなく、プロオーディオ業界が軽んじてきた側から出てきたものだと書いている。そして、その出力の多くは他社の製品の中に紛れ込んだ、とも書いている。
声を実時間で扱う技術を大量に必要としたのは、スタジオではなかった。素人が歌う部屋だった。
自分のブランドを持った3年間
IVLが自社ブランドを掲げた時期はある。
Electrixである。エフェクトや演奏用の機器を自社名義で出した。
そして2002年7月、IVL Technologies Ltd.はElectrixの製品ラインの終了を発表した。自社の声明のなかで、Electrixは3年間で6つの受賞製品を送り出した、と振り返っている。
同じ声明が、会社としては音楽業界に残ると述べている。残り方は、IVLとTC Electronicの合弁で設立されたTC-Heliconが扱う製品を通じて、という形だった。
TC-Heliconは2000年に、IVL Technologies Ltd.とTC Group A/Sの合弁として設立されている。分担は明快だった。TCは音響空間を扱っていて、IVLは人間の声を扱っていた、と新会社の責任者となったKevin Alexander(IVL出身)は説明している。
2005年、TC GroupはIVLから残りの株式50%を買い取り、TC-Heliconをグループの正規のメンバーとして迎えた。
ここで「IVLは自社ブランドに失敗した」で止めると、この会社が何を手にしたかが抜け落ちる。
3年で6製品を自社名義で出せたのは、設計から製造までを社内で回せる体制がすでにあったからである。他社の名前で20年近く製品を作り続けたことが、その体制を育てた。
そして合弁に際してIVLが持ち込めたのは、アイディアではなく、その体制と「声」という担当領域そのものだった。だからこそ、空間を持つ側と対等に組めた。
同じ体制は別の方向にも使われている。IVLは2001年に音楽のダウンロードサイトを立ち上げ、2002年にはインターネット経由のカラオケ製品Tiger Karaokeを出した。楽曲はIVLのサイトからダウンロードする仕組みで、iTunesの開始より3年早い。
自社ブランドの店頭での3年間は短かった。だが、そのあいだに会社が確かめたのは、自分たちが何を持っていて、何を他人に預けたほうが早いか、という線引きである。
CSLがこの会社を記録する意味
機材について語るとき、ブランド名は便利な単位である。Marshallらしさ、Mesaらしさ、という言い方は実際に機能する。
だが、その単位が設計判断の単位と一致している保証はない。
Whammyの挙動を決めたのは、周波数領域ではなく時間領域で処理するという選択であり、その選択を決めたのは「Eventideより大幅に安く」という条件だった。DigiTechというブランド名からは、そこまで辿れない。
条件が音を決める、という原則は、ブランドの内側だけでは閉じない。条件を持ち込んだのが、筐体に名前の出ない会社であることがある。
機材の音を説明しようとして、ブランドの性格で止まってしまうとき、その先に別の会社の設計判断が隠れていることがある。IVLはその典型である。
まとめ
IVL Technologiesは、1983年にビクトリアで始まり、最初にLEDで音程を表示する装置を作った会社である。
読み取りが先で、加工が後だった。その順序のまま、ピッチ検出の特許を取り、ギターからMIDIへの変換を作り、ピッチシフターを作り、ハーモニー生成へ進み、日本の業務用カラオケへ入った。
売っていたのは音ではない。機械が人の出した音程を実時間で理解する能力である。
その一点に絞ったから、手法は音質の理想ではなく「実時間かつ安価」という制約から選ばれた。だから名前も相手に預けられた。中身が自分の担当である限り、表に出る名前は交渉材料にできる。
そして預け続けたことが体制を育て、その体制を丸ごと持ち込める相手が見つかったときに、IVLは「声」という担当領域を持って合弁の片側に立った。
ペダルの上面に書かれた名前は、そこに至る経緯を教えてくれない。それでも、自分が長く使っている機材の挙動がなぜそう決まったのかを知りたくなったとき、ブランドの外側まで辿ってみる価値はある。設計を決めた条件は、たいていブランドの手前ではなく、その向こう側にある。
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