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主流になれなかったギターは、部品になって残った

2026-10-25

Steinbergerのヘッドレス、Parker Fly、Flaxwoodの木質繊維コンポジット。どれも「市場の中心を動かせなかった挑戦」として語られる。だが、その後を追うと別の姿が見える。1986年、Steinbergerのハードウェアはライセンス料と引き換えに、木のボディを持つHohnerのギターへ載っていた。本家も1992年から木のボディのSpiritを作り、いまSteinbergerの名前で作られているのはそれだけである。木を捨てたはずのFlaxwoodは、Fender規格のネックを売っている。一方、Parkerの接着式ステンレスフレットは薄い指板と一体で、ほかのギターへ移れなかった。渡ったのは本体から外せるものだけで、渡るたびに理由が取り替えられていた。

エレキギターの歴史には、合理的なのに主流になれなかった設計がいくつもある。

ヘッドレスギター。複合素材で包んだ軽いギター。木を繊維までほどいて成形し直したギター。

以前、工業デザインの視点からこの系譜を追ったことがある。そのときの結論は、どの挑戦も市場の中心を動かせなかった、というものだった。1950年代に固まったギターの姿が「本物の形」になり、そこから外れる設計は、性能の議論に入る前に退けられた。

その結論は、いまも変わらない。

ただ、話はそこで終わっていなかった。

中心を動かせなかった挑戦の、その後を追う。ギター本体が主流にならなかったあと、発明はどこへ行ったのか。

追ってみると、それは消えていない。本体からはがれて、別のギターの中に入っている。しかも、入るたびに、その発明が必要だった理由が入れ替わっている。

ヘッドを無くした理由は、ベースのヘッド落ちだった

最初はSteinbergerである。

Ned Steinbergerがヘッドレスのベースを思いついたのは、1977年だったと本人が述べている。市場に出たのは1979年。

出発点は、音ではなかった。重さの配分である。

一般的なベースには、ヘッドがあり、重いハードウェアが付き、ネックも長い。だから、ストラップで提げるとヘッドが下がってくる。いわゆるヘッド落ちである。Nedはこれを「neck dive」と呼び、ヘッドがある限り、どうしてもバランスが取れなかったと振り返っている。ボディの反対側に重りを付けることまで試したという。

突破口は、ペグをヘッドに置かなくてもよい、と気づいたことだった。

ペグを本体側へ移す。すると、ヘッドそのものが要らなくなる。

Nedは、ヘッドで調弦するという伝統はアコースティック楽器の事情から来ている、とも説明している。表板を鳴らして音を作る楽器では、表板に重いハードウェアを載せられない。だからペグはヘッドに置くしかなかった。ソリッドボディの楽器には、その制約が無い。

Nedはもともと家具のデザイナーで、自分は演奏家ではないと語っている。演奏家ではない人が、舞台で肩が痛くならない楽器を考えた。

1980年のNAMMショーに、ベースを6本ほど持ち込んだとき、ほとんど誰もが冗談だと思ったという。プラスチックでできた、ヘッドの無い楽器。そういう受け止められ方だった。

それでも80年代は、新しいものに人が集まる時代だった。Lou Reed、Tina Weymouth、Tony Levin、Eddie Van Halen。Steinbergerの楽器は、ジャンルの違う演奏家に使われた。

そしてNed本人が、80年代の終わりにはまたヴィンテージ志向へ戻った、と述べている。

ここまでは、よく知られた「挑戦と退潮」の話である。

1986年、Steinbergerのハードウェアは木のギターに載っていた

面白いのは、その途中で起きていたことだ。

1986年5月の英国の楽器誌In Tuneに、HohnerのヘッドレスギターG2とベースB2Aのレビューが載っている。

記事によると、Steinbergerは複数の会社と契約を結び、ロイヤルティと引き換えに、自分のギターとベースの設計上の特徴を使うことを認めていた。Hohnerの「Professional Series」は、そのライセンス品である。

このG2の中身が、示唆的である。

ボディは木。ネックはメイプルのスルーネックで、指板はローズウッド。

本家のSteinbergerは、NAMMで「プラスチックでできた楽器」と受け止められた、木ではないボディの楽器だった。G2はそこが違う。

レビュアーは、このギターでSteinbergerらしさがいちばん表れているのはハードウェアだ、と書いている。弦をボディ側で巻き上げるヘッドレス式のチューナー。固定とフローティングを切り替えられるトレモロ。座って弾くための、折り畳み式のレッグレスト。どれもSteinbergerのライセンスによるパーツだった。

つまり、1986年の時点で、Steinbergerの発明は二つに分かれていた。

ボディの素材。

ハードウェア。

素材の側は、Steinbergerの名前の付いた高価な楽器の中に留まった。ハードウェアの側は、ライセンス料という形で、木でできた別の会社のギターへ渡っていった。

本家も、木のボディに落ち着いた

この流れは、80年代で終わらなかった。

Hohnerは、Steinbergerのライセンスを受けたヘッドレスギターG3Tを、80年代の終わりから作り続けている。メイプルのネックにローズウッドの指板、ライセンスのトレモロ・ブリッジ。見た目はSteinbergerの複合素材のギターを、木で作り直したものである。

本家の側も同じ道をたどった。Steinbergerは1987年にGibsonの傘下に入り、1992年に、ボディもネックも木で作る廉価なラインSpiritを出した。90年代の終わりに一度途切れたものの、1999年に再開している。

そして現在、Steinbergerの名前で作られ続けているのは、このSpiritだけである。ボディにもネックにも、カーボンファイバーは使われていない。

カーボンの一体成形という素材の挑戦は、主流にならなかった。ヘッドレスという仕組みの方は、木のボディに載る形で、ライセンス品として40年近く途切れずに手に入り続けている。

ヘッドレスは、80年代の流行として一度は消えたように語られることが多い。だが、ハードウェアの単位で見れば、消えてはいなかった。

Strandbergは、別の理由でヘッドを外した

その延長に、Strandbergがいる。

スウェーデンのOla Strandbergは、80年代の初めからギターを作っていた。若いころバンドで弾いていたときは、トレモロ付きのギターを好んでいた。

自社サイトで、本人がこう書いている。中古のHohner製Steinbergerコピーを手に入れ、そのトレモロを流用して、自分用の「Strandberger」というギターを作った。それが、いちばん気に入ったギターになった、と。

気に入った理由は、トレモロを固定できることだった。固定ブリッジとフローティング・トレモロの、両方の良さが手に入る。

Strandbergは、90年代の半ば以降ギター製作から離れ、2007年に再開した。そのとき、ヘッドレスのギターを作ることは最初から条件の一つだった。

ここで、理由が変わっている。

Nedがヘッドを無くしたのは、ベースのヘッド落ちを止めるためだった。Strandbergがヘッドレスにする理由として挙げるのは、軽さ、重量バランス、移動のときの小ささ、落としたときに壊れにくいこと、チューニングしやすいこと。重量バランスはNedと重なるが、出発点は軽量化と体への負担である。Strandbergはこれを「Ergonomic Guitar System」という名前でまとめた。

NAMMのオーラルヒストリーは、Strandbergがリペアマンとして働いていたころに、ギターに典型的な問題を見つけ、それを設計で解こうとしたと紹介している。

同じヘッドレスでも、片方は重いベースのバランスから、片方は軽いギターと手首の負担から来ている。形が同じでも、それを必要とした理由は別のものになっている。

Parkerのフレットは、Parkerの外へ出られなかった

ここで、逆の例を置く。Parkerである。

Parker Flyは1993年、Ken ParkerとLarry Fishmanが設計した。木のボディとネックの背面をカーボンファイバーで覆い、指板もカーボン・グラスファイバーで成形した。2011年のPremier Guitarは、過去20年でもっとも独自で、かつ成功した新しいソリッドボディの一つと書いている。

Ken Parkerは、リペアの現場から来た人である。若いころ、店頭に並ぶ新品のフレットの状態にもっとも困ったという。弾けない状態の新品の米国製ギターをリフレットしていたと本人が述べている。

だから、Flyを設計するとき、相棒のLarry Fishmanにこう伝えた。フレットのメンテナンスが要らないギターを作れないなら、やりたくない。

その答えがステンレスのフレットだった。ただし、ステンレスという素材そのものは、Parkerの発明ではない。Flyが出た90年代の初めには、ステンレスフレットはすでに広まりつつあった。

Parkerに固有だったのは、フレットの留め方である。

普通のフレットは、弦が当たるクラウンと、指板に打ち込むタングでできている。ところがFlyの指板は薄すぎて、タングを打ち込むと指板を突き抜け、カーボンの剛性を損なってしまう。そこでParkerは、タングの無いフレットを特許の方式で作った。曲げて頂部を整えたステンレスを、指板にあらかじめ切った浅い溝へ接着する。

このフレットは、Flyの薄い指板のためだけにある。ほかのギターの指板に移せるパーツではない。

ステンレスのフレット自体は、いまでは量産品の仕様表に普通に並ぶ。だがそれは、従来どおりタングを打ち込むフレットの材料がステンレスになったもので、Parkerの接着式の後継ではない。Parkerのフレットの方式は、Flyという本体と一緒に傍流に残った。

ParkerのFlyは、Ken Parker本人の手も離れた。2011年の時点で、本人はParker Guitarsの持分を持っていない。

木を捨てたはずのギターメーカーが、Fenderのネックを作っている

三つ目はFlaxwoodである。

Flaxwoodは、フィンランドのギターメーカーである。2000年代の初め、ヨエンスーの大学が、射出成形に使える天然繊維強化の熱可塑性コンポジットを開発した。これをギターに使う構想から、2003年に最初の試作機が生まれ、2005年に会社ができた。

材料は、北方の針葉樹の繊維である。木を繊維のところまでほどき、結合材と混ぜて、型に流す。同社は、木目が無いので音が均一になり、湿度の変化にも影響されないと説明している。

木の個体差と湿度。ギターの不確かさの源を、材料のところで消そうとした挑戦である。

そのFlaxwoodが、いま売っているものの一つが、ボルトオン・ネックだ。

公式サイトは、このネックをFenderのStratocaster、Telecaster、Jazzmasterに「100%互換」としている。

木を繊維までほどいた会社が、1950年代に固まった「本物の形」に、そのまま取り付けられるパーツを作っている。

ネックの説明も変わっている。木は湿度で縮んだり膨らんだりする。だから、特にネックでは、外の条件が変わっても弦高が変わらず、セッティングが保たれる。そう書かれている。

Flaxwoodが自社のギター全体で語っていたのは、音の均一さ、湿度への強さ、そして希少な木材の代わりになることだった。Fender用のネックになったとき、前に出てくるのは「セッティングが動かない」という一点である。

さらに言えば、同社の現行モデルのうちLOUHIは、ボディにヨーロピアン・アルダーを使っている。木を置き換えようとした会社の中でも、木と組み合わせる道が選ばれている。

外せるものが、次へ渡った

三つを並べる。

Steinbergerは、カーボンで一体成形したヘッドレスの楽器を作った。次へ渡ったのは、木のボディに載せられるハードウェアだった。本家さえ、いまは木のボディで作っている。

Flaxwoodは、成形コンポジットのギターを作った。いま売っているのは、Fenderの形に取り付けるネックである。

Parkerは、薄いカーボンの指板に接着するフレットを作った。これは、その指板から外せなかった。

どれも、本体は主流にならなかった。ギターの「本物の形」は、この40年でほとんど動いていない。

違いが出たのは、そのあとである。ハードウェアやネックのように、既存のギターに取り付けられるものは、ギターの姿を変えずに済む。姿を変えなくてよいなら、「本物らしくない」という壁にぶつからない。Parkerのフレットのように、本体の構造と一体になったものは、本体と運命をともにした。

ここから、一つの見方が出てくる。

挑戦が次へ渡るかどうかを分けるのは、成功したかどうかよりも、その発明が本体から外せたかどうかではないか。

これは3つの例からの見立てで、一般則として示せるものではない。ただ、成功か失敗かで挑戦を裁くより、ずっと具体的な問いになる。そのギターの、どの部分なら別のギターへ移せたのか。

もう一つ、渡ったものに共通することがある。

渡るたびに、理由が入れ替わっている。

ヘッド落ちを止めるためのヘッドレスという形は、軽さと手首の負担の話になった。木の個体差と希少材をなくすための材料は、セッティングが動かないネックになった。

以前、メーカーが消えるときに失われるのは「その形を選んだ理由」の方だと書いた。回路は写せるので残るが、理由は残らない、と。

ギターのパーツの側から見ると、少し違う姿が見える。理由は、ただ失われるのではない。次の使い手が、自分の理由で上書きしている。

そして、理由が書き換えられるからこそ、パーツは移れたのかもしれない。最初の理由のままでは、そのパーツを必要とする人は限られる。ヘッド落ちに悩むのは重いベースを弾く人で、すべてのギタリストではない。軽さやセッティングの安定のように理由が一般的になったとき、パーツは量産品の仕様表に載る。

別の説明も置いておく

この見方には、いくつか弱いところがある。

まず、生き残った例だけを拾っている。外せるパーツでも、消えたものはたくさんあるはずだ。Steinbergerのダブルボール弦は、1986年のレビューで「残念ながら」縛られる条件として書かれ、Superwoundの努力でようやく手に入りやすくなりつつある、と添えられていた。外せるパーツであっても、それ専用の消耗品を要求するなら、広がりにくい。

次に、Parkerのフレットが広がらなかった理由は、外せなかったことだけではないかもしれない。接着は年月とともに傷み、フレットが浮いたり外れたりすることがあると、多くのオーナーが語っている。方式そのものに弱点があったなら、外せたとしても広がらなかった可能性はある。

最後に、挑戦者自身の評価もさまざまである。In Tuneのレビュアーは、80年代の安価なヘッドレスの多くを流行の産物と見ていた。Ned本人も、80年代の人々が「ハイテク」に惹かれたことを率直に認めている。挑戦が受け入れられたのは、設計の正しさだけでなく、その時代の気分の後押しもあった。

だから、この話を「挑戦者が未来を作る」と言い切るのは、まだ早い。

言えるのは、もう少し小さなことだ。挑戦者のギターが主流になれなかったあとも、外せる部分は別のギターに載り、理由を付け替えられて、使われ続けている。

主流の側から見たときの挑戦

ギターの仕様表を読んでみる。

ロック式のトレモロ。湿度で動かない交換用ネック。木のボディのヘッドレス。

どれも、いまでは仕様の一つとして並んでいる。その一行の背後に、主流になれなかった誰かのギターがあったかどうかは、仕様表には書かれていない。

挑戦を評価するとき、多くの場合、その挑戦が勝ったか負けたかを見る。売れたか。生き残ったか。ブランドが続いたか。

だが、もう一つの見方がある。その挑戦の、どの部分が外されて、いまどのギターの中にあるのか。

カーボンのヘッドレス、カーボンで覆ったギター、繊維のギターは、主流の姿を変えられなかった。それでも、主流のギターの中身は、少しずつ書き換えられている。変化は、姿の外側ではなく、パーツの単位で起きていた。


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