いまでは、ギターアンプに「歪みの量」を決めるゲインつまみがあるのは当たり前だ。多くのアンプには専用のドライブチャンネルがあり、踏めば深い歪みが立ち上がる。歪みは、アンプがあらかじめ用意している機能になっている。
だが、これは最初からそうだったわけではない。歪みは長いあいだ、アンプが用意するものではなく、演奏者が後から足すものだった。この記事は、歪みが「足すもの」から「設計するもの」へ、そして「どこで設計するかを選ぶもの」へと変わっていった、その転換の話だ。
副産物だった時代
初期のギターアンプは、歪ませるために作られてはいない。
真空管アンプは、大きな音を出すための装置だった。歪みは、音量を上げてパワー段や出力トランスが飽和したときに「結果として」出てくるものだ。設計者が意図した目的ではなく、限界まで鳴らしたときにたまたま現れる副産物。だが1950〜60年代のプレイヤーたちは、その副産物を発見し、積極的に使いはじめた。アンプをフルアップして得られる自然な歪みは、いまも憧れの対象だ。
問題は、その歪みが「大音量」という条件とセットだったことだ。歪ませたければ、爆音を出すしかない。そこで、より小さな音量で歪みを得るための工夫が生まれる。前段にファズやオーバードライブのペダルを置いて、アンプへ突っ込む信号を先に潰しておく。あるいは、後段のボリュームで音量を抑えつつ前段を追い込む。
この時代、歪みの量やキャラクターを決めていたのは、アンプの設計ではなく演奏側のさじ加減だった。アンプは土台を提供し、そこへどう歪みを足すかはプレイヤーの領分。ペダルという「外付けの装置」で、歪みを足していた。
歪みを、製品の中心に据える
やがて、歪みそのものを設計対象にするアンプが現れる。
大きな転機は、ゲイン段を複数重ねてカスケード接続するという発想だった。一段では軽くしか歪まない真空管を、何段も直列に通し、それぞれで少しずつ歪ませていく。Mesa/Boogie の Mark シリーズは、この「歪みを回路として組み立てる」発想を早くに形にした一台だ。プリアンプの中で歪みを作り込み、パワー段の音量とは切り離す。爆音を出さなくても、深く滑らかな歪みが得られるようになった。
1980年代末から90年代にかけて、この流れは加速する。Soldano SLO、Marshall のマスターボリューム機や 6100、Mesa の Rectifier——「ハイゲイン」と呼ばれる潮流は、この発想の上に立っている。歪みは、演奏者が足すものではなく、アンプがあらかじめ設計して内蔵するものになった。専用のドライブチャンネル、フットスイッチ、Gain つまみ。歪みは、製品の中心に据えられた。
ここで問われるのは、もはや歪みの「量」ではない。どの段で、どんな順で、どんな密度で歪ませるか。同じ深さの歪みでも、前段で歪ませてから軽く整えるのと、少しずつ多段で歪ませるのとでは、粒立ちも、分離感も、弾いたときの返り方もまるで違う。歪みは、量ではなく構造の問題になった。
設計の場所は、さらに外へ動く
歪みを設計するという発想は、アンプの内側にとどまらなかった。
歪みの深さがひととおり手に入ると、次に効いてくるのは「アンプへ何を入れるか」だった。ハイゲインアンプの前に、あえて中低域を削り、少しだけレベルを持ち上げたブースターを置く。すると、同じアンプ設定でも、歪みは驚くほどタイトに、輪郭のはっきりしたものに変わる。歪みの量を増やすのではなく、歪ませる前の信号を作り込むことで、出音の骨格を決める。
現代のハイゲインの多くは、アンプで歪ませる前の段階で、すでに音の性格が決まっている。何を削り、何を持ち上げてから送り込むか——歪みの設計点は、パワー段からプリアンプへ、プリアンプから入口へ、そしてアンプの手前へと、じわじわ外側へ移動してきた。
これは、CSL がくり返し書いてきたことと同じ動きだ。音を決める制御層は、アンプの中から外へ動き続けている。歪みも例外ではない。歪みは「足すもの」から「アンプの中で設計するもの」になり、いまや「どこで設計するかを選ぶもの」になった。
現代メタルは、歪みではなく「入力信号」を設計している
いちばん外まで来ているのが、現代のメタルだ。
タイトで、分離がよく、低域が膨らまない刻み。あの音は、アンプの歪みを深くしただけでは出ない。むしろ、アンプに入る前の入力信号を徹底的に設計している。前段のブースター/EQで帯域を整え、ノイズゲートで隙間を締め、そこまで作り込んだ信号を、ようやくハイゲインアンプに通す。歪みの半分以上は、アンプの外側で決まっている。
言い換えれば、現代のプレイヤーは「アンプの音」を選んでいるのではなく、「アンプへ入れる信号」を設計している。歪みという現象の主導権が、アンプの回路から、その手前の信号設計へと移った。これは、歪みが「足すもの」だった時代の、ペダルで前段に足していたやり方の、はるかに緻密な延長線上にある。
設計された歪みは、量では真似できない
ここに、記録と再現という視点を置いてみる。
歪みが「足すもの」だった時代なら、素のアンプを押さえておけば、あとは足し方の問題だった。ペダルとボリュームで、後からどうにでもなる。だが歪みが設計されたものになると、話が変わる。同じ Gain の位置に合わせても、同じ音にはたどり着けない。ゲイン段の配置、前段の状態、パワー段の帰還、そして受けている入力信号——その成り立ちまで含めて、初めてその歪みになる。
「ゲインを同じにすれば同じ音」という発想が効かなくなったのは、このためだ。設計された歪みは、数値ではなく、どう組み立てられているかごと捉えるしかない。
CSL がプロファイルに残しているのも、まさにそこだ。良い歪みそのものではなく、その一台が、ある条件のもとで、どんな構造の歪みを、どんな弾き心地で出していたか。量だけ真似ても届かない部分——構造と反応——を、条件ごと押さえておく。歪みが設計されたものだからこそ、その設計が働いていた状態を、そのまま残す意味がある。
まとめ
歪みは、大音量の副産物として「足す」ものから始まった。ペダルとボリュームで、演奏者が後から加えるものだった。やがてカスケード回路とドライブチャンネルによって、アンプの中で「設計する」ものになり、いまは前段の入力信号まで含めて「どこで設計するかを選ぶ」ものになっている。
だから、良い歪みは量では語れない。どんな構造で、どこで、どんな順に作られた歪みなのか。ハイゲインのアンプやペダルを選ぶとき、Gain の深さより先に「この歪みは、どこで設計されているのか」を見ると、その一台や一台の組み合わせが、何を狙った設計なのかが見えてくる。量ではなく、構造で歪みを聴く——それが、設計された歪みの時代の聴き方だ。