1990年の『Empire』は、バンドが大きな部屋で大きく鳴っているように聴こえる。だが制作の側では、技術は減っていない。デジタル録音機とSSLへ投げ込まれ、キーボード・プログラミングが独立した職能としてクレジットに立ち、録音と整音の担当は工程ごとに分かれている。いっぽう作曲側では要素が削られていた。増やす側と減らす側が同時に動いたとき、聴き手には何が届くのか。当事者の言葉から読む。
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1990年の『Empire』は、バンドが大きな部屋で大きく鳴っているように聴こえる。だが制作の側では、技術は減っていない。デジタル録音機とSSLへ投げ込まれ、キーボード・プログラミングが独立した職能としてクレジットに立ち、録音と整音の担当は工程ごとに分かれている。いっぽう作曲側では要素が削られていた。増やす側と減らす側が同時に動いたとき、聴き手には何が届くのか。当事者の言葉から読む。
1994年のOverkill『W.F.O.』は、ベースがギターより前で鳴る異様なミックスとして発売当時から知覚されていた。同じ時期の『...And Justice for All』はベースをほぼ消した。二作は、標準的なメタルの楽器バランスから逆方向へ逸脱した鏡像である。スタジオ録音は、バンド固有の役割配分を整流すべきか、露出すべきか。事故か記録かを、開いたまま検証する。
同じMustaine/Friedman/Ellefson/Menza編成でも、Rust in Peace、Countdown to Extinction、Youthanasiaはまるで別のバンドのように鳴る。中央のCountdownの巨大さは、特定アンプや過剰な重ね録りではなく、曲・演奏・帯域・空間・編集の誤差を減らす『引き算』で作られた。名盤の音を、機材決定論ではなく制作システムとして読み直す。
一人で弾いて最高だった音が、バンドに入った途端に聴こえなくなる。この現象は腕でも機材の質でもなく、帯域の取り合いで説明できる。低域はベースとドラムが、高域はシンバルとボーカルが占めている。ギターに残された場所はどこか。中域が嫌われてきた理由、Vの字設定が成立する条件、そして録音とライブで最適解が違う理由まで。合奏を前提とした音作りの考え方を整理する。