エフェクターの世界には、長いあいだ、一つの対立がある。
片方に、単体ペダル。一台に一つの機能。踏めば即座に切り替わり、ノブに手が伸びる。身体的で、直感的だ。ただし、数を増やせばボードは巨大になり、配線も電源も膨れ上がる。
もう片方に、マルチエフェクター。一台にすべてが入り、省スペースで、管理も楽だ。そして、いま店頭で「マルチ」と言えば、その多くはデジタルである。
だが、このデジタル一色の風景の手前に、もう一つの系譜がある。アナログの、あるいはアナログを主とした、マルチだ。何度も現れては、なぜか主役になりきらない。その居場所を、順を追って見ていきたい。
マルチは昔から人気だった――アナログから、デジタルへ
まず押さえておきたい。マルチという形式は、昔から人気だ。とりわけBOSSのME/GTシリーズは、長く売れ続けてきた定番である。
歴史をおおまかに言えば、主役はアナログのマルチから、デジタルのマルチへと移ってきた。デジタルマルチは、多数のエフェクトを、現実的なコストと大きさで一台にまとめられる。コスト、省スペース、プリセットでの音色切替――この利便性で、広く普及した。
ただし、デジタルマルチの評価には、長らく一つの留保がついていた。単体ペダルに比べると、音質で一歩譲る、と。そして、デジタルマルチは、その評価に甘んじてきた面がある。実際、初期のデジタルには技術的な限界があった。もっとも、この差は縮まる。モデリングが成熟した1990年代末――アンプ・モデリングを一般化させたLine 6のPOD登場が1998年――以降、デジタルの音は「本気で使える」水準へ近づいていく。
ところで、アナログマルチは、品質で劣っていたのか
ここで、見落とされがちな点がある。「マルチ=音質で妥協」というイメージは、実はデジタルマルチの話であって、アナログマルチには当てはまらないことが多い。
例えば、Maxonのアナログマルチ(Ibanez PUE)には、あのTube Screamerが組み込まれていた。単体でも定番中の定番の回路を、そのまま積んでいる。かなり豪華な中身だ。信号はアナログのまま通る。つまりアナログマルチは、音質という観点では、むしろ問題が少ない。
しかも、「自分のエフェクトを足せる」という機能も、古くからある。多くのアナログマルチはエフェクトループを備えていて、手持ちのお気に入りペダルを、その統合された経路の中へ差し込める。PUEにもQuattroにもエフェクトループがあり、束ねながら、外へ開いてもいる。一台にまとめることと、拡張の余地を残すことは、両立していた。
顔ぶれを、過去から現在まで並べてみる
ここで一度、アナログマルチの代表的な顔ぶれを、時系列で並べておきたい。細かい特徴はこの後の節で掘るとして、まずは「どんな系譜なのか」の地図として見てほしい。
- Maxon/Ibanez PUE5・PUE5B(1990年ごろ)、PUE5 Tube(1991年) … 初期の完成形。Tube Screamerや12AX7を積んだTube Drive、エフェクトループ、コーラス、ディレイなどを床置き一台に統合し、フットスイッチで効果の組み合わせを呼び出せた。中身はかなり豪華だ。
- Tech 21 SansAmp PSA-1(1990年代) … 「アナログの信号経路を、デジタルで記憶・制御する」という発想の起点。プログラマブルなアナログ・プリアンプで、後のFly Rigへつながる思想がここにある。
- Carl Martin Quattro(2000年代) … コンプ/2チャンネル・オーバードライブ/コーラス/エコーを、自社の定評ある回路のまま束ねた一台。画面もメニューもプリセットもない、100%アナログの割り切り。
- T-Rex SoulMate(2010年代) … オーバードライブ/ディレイ/リバーブ/ブースト/チューナーを統合。ドライ信号は終始フルアナログのまま、10個のプリセットで切り替えられる。
- Tech 21 Fly Rig 5(2014年)、および Richie Kotzen RK5 などの派生 … SansAmpのアナログ・プリアンプを核に、必要なひととおりを細長い一本へ凝縮した小型一体機。空間系はデジタル・エミュレーションを並列に持つ。現在のアナログマルチを象徴する形だ。
こうして並べると、アナログマルチは一度きりの試みではなく、時代ごとに姿を変えながら、途切れずに作られてきたことが分かる。1990年の床置き複合機から、2014年以降の手のひらサイズまで、同じ理想が形を変えて受け継がれている。
デジタルの本当の強みと、その空振り
では、デジタルマルチが本当に勝っているのはどこか。同時に使えるエフェクトの数と、そのバリエーションだ。アナログでは物理的に積める数に限りがあるが、デジタルなら多数を同時に走らせ、種類も桁違いに揃う。さらに機種によっては、エフェクトの接続順まで自由に変えられる。
だが、この「接続順を変えられる」は、思うほど効かない。実際のところ、接続順を何通りにも切り替えて使う、という使い方は、アナログでもまずやらない。多くの人は、自分の並びを一度決めたら、あとはそれで弾く。だから、この機能は、強い訴求ポイントにはなりにくい。
切替についても、そうだ。アナログマルチの多くは、各エフェクトのオン/オフの組み合わせを記録して、フットスイッチで呼び出せる。音色そのものを丸ごとプリセットで呼ぶわけではないが、オン/オフのシーンを切り替えられれば、実戦では十分に便利で、実用的だ。T-RexのSoulMateのように、アナログのドライ経路を保ちながら複数のプリセットを持つ機もある。
アナログマルチの、本当の強み――電源と可搬性
では、アナログマルチの本当の価値は、どこにあるのか。品質でも、機能数でもない。
一つは、電源だ。単体ペダルをずらりと並べると、各ペダルへの給電、電源由来のノイズ、絡み合う配線が、悩みの種になる。アナログマルチは、これを一台の中にまとめて解決する。電源は一つ、内部の配線は設計済み。
もう一つは、可搬性だ。一つの箱に、必要なひととおりが入っている。ボードを組み、電源を配り、束ねて運ぶ――あの一連の手間が、要らない。
ポジションを下げたのは、たぶん文化のほうだ
一方で、マルチという選択そのものの「格」は、揺れてきた。ここは技術より、文化の話だ。単体ペダルの品質と選択肢が増え、アンプよりエフェクト側で音を決める文化が広がり、ずらりと並んだペダルボードが、それ自体一つの美意識になった。その中で、束ねたマルチは「妥協」に見られやすかった。マルチが悪くなったのではなく、隣が良く見えるようになったのだ。
可搬性は奪われかけ、Fly Rigで巻き返した
そして、アナログマルチの数少ない強みだった「可搬性」も、いったんデジタルに回収されかけた。小型のデジタル/モデリング機が、同じ「小さく持ち運べる」を、より多機能に実現してしまったからだ。
そこへ現れたのが、Tech 21のFly Rigだ。アナログの信号経路を主にした小型一体機として、アナログの側から、可搬性で頭角を現した。
思えば、Tech 21がPSA-1を出してから、ずいぶん経つ。「アナログのエフェクトを、デジタルで制御する」という、あの発想。それが、小型化が全体のトレンドになった時代に、ここへ来てようやく活きている。古い理想が、ちょうど時代の要請と噛み合った、と言ってもいい。
デジタルはモデリングへ、アナログマルチは競争の只中へ
だが、安心はできない。デジタルの側は、いまモデリングへと向かっている。2024年以降、Line 6 HX Stomp、BOSS GX-10、Neural DSPのNano CortexやQuad Cortex Miniといった小型モデラーが、一気に増えた。アンプもボードも持たない、「アンプレス」の流れだ。
つまりアナログマルチは、これらのモデラーと同じ土俵で、可搬性と一体性を競わなければならない立場にいる。かつては「小さくまとまっている」だけで価値があった。いまは、その隣に、もっと多機能で、音質の課題も解いた小型モデラーが並んでいる。
需要はある。しかし、たぶんまた、ニッチになる
では、アナログマルチに、居場所はあるのか。
ある。たとえば、バンドマンがスタジオでセットアップする場面を思い浮かべればいい。電源も配線も一台で済み、音はアナログのまま、必要なものが手早く出せる。リハーサルやライブの現場で、この手軽さと堅実さは、確かに効く。Fly Rigは、その需要に、アナログの側から具体的な答えを出した。
だから「何度も挑戦された理想」は、失敗の反復ではない。売れなかったから繰り返すのではなく、需要そのものが消えないから、形を変えて何度も現れるのだ。
ただ、正直に見れば、この居場所は広くはない。デジタルのモデラーが、小型化と多機能で主戦場を占め続ける以上、アナログマルチは、結局またニッチへと落ち着いていきそうだ。それでも――電源と可搬性と、アナログの手触りを、一台で。この要求が消えない限り、それは静かに、しかし途切れずに、作られ続けるだろう。
二分法ではなく、連続体で読む
最後に、視点を一つ。
単体か、一体型か。この二択の立て方自体を、手放してみたい。エフェクトの統合は、何をまとめ、何を足元の個別操作として残すかを選ぶ、連続体だ。PUEも、Quattroも、SoulMateも、Fly Rigも、その連続体の上の、別々の点にすぎない。そして、その連続体のどこが「主役」とされるかは、技術だけでなく、その時々の文化と、現場の要求が決めている。
範囲を断っておく。ここで挙げた各機は完全アナログとは限らず、経路ごとにデジタル処理(ディレイ等)を含む。売れ行きや需要の記述は一般的な観察であって、正確な販売統計で裏づけたものではない。アナログマルチが再びニッチへ向かうという見立ても、現時点では予測にとどまる。だからこれは、カテゴリの通史というより、「アナログマルチの居場所を、品質・機能ではなく、電源・可搬性・文化・現場の要求から読む」という、一つの見取り図である。