メーカーの歴史を追うとき、いちばん楽な読み方は「技術が進化した」という筋書きである。
初期の製品があり、改良され、より高性能な後継が出る。一本の線として並ぶ。理解しやすい。
Fishmanという会社には、その読み方が効かない。
この会社の本業は、アコースティック・ギターのピックアップとプリアンプである。生の楽器を、そのまま出力できる形にするための部品。そこが中心であり、いまも変わっていない。
だが、その本業の周りに、系統の違う製品がいくつも置かれている。アコースティック・ギターの音を作り直すAura。エレキギター用のピックアップであるFluence。ギターの演奏をMIDIとしてパソコンへ送るTriplePlay。
用途が違う。対象楽器も違う。使っている原理はもっと違う。デジタル信号処理と、プリント基板の積層と、ヘキサフォニックな音程検出である。共通点は見当たらない。
だが、疑っている場所は同じところにある。本業も含めて、同じ一点だ。
弦の振動を、どうやって取り出すか。
この記事では、その三つを追う。本業から離れて見える製品のほうが、この会社が何を問題だと考えてきたかを、かえってはっきり示すからだ。
出発点は、ギターですらなかった
会社の出発点を確認しておく。
Music Museum of New Englandの記録によれば、Larry Fishmanが最初に作ろうとしたのは、アコースティック・ギター用のピックアップではない。ウッドベース用である。1980年に自宅で試作を作り、ボストン周辺のベーシストに受け入れられ、1981年に事業になった。
その後、1980年代前半にGuildのアコースティック・ギターへOEM供給する話が決まり、1985年にはC.F. Martin向けのThin Lineを設計している。
ここは注意が要る。会社の公式Aboutページは「40年」という表現を使っており、単純に逆算すると1980年代半ばの創業になる。二次資料の1981年とは合わない。創業年をひとつに断定できる一次資料は確認できていない。ここでは「1980年代初頭、ウッドベースの側から始まった」という範囲で扱う。
重要なのは年ではなく、出発点が置かれた場所のほうだ。
ウッドベース。アコースティック・ギター。どちらも、電気的な出力を持つことを前提に設計されていない楽器である。
エレキギターは違う。あれは最初から、コイルの前で弦を揺らして電気信号を作るために設計された楽器だ。取得の方法が楽器の構造に組み込まれている。
生の楽器には、それがない。空気を鳴らすために作られた箱から、どうやって電気信号を取り出すか。マイクを立てればハウリングする。ボディに何かを貼れば、その一点の振動しか拾えない。
つまりこの会社は、「取得の方法が存在しない楽器」から始まっている。創業時に持っていた能力は、増幅でも音作りでもなく、機械的な振動を電気に変えるトランスデューサーの設計だった。
この出発点が、後の三つの製品すべてに効いてくる。
ピエゾは、なぜ「あの音」になるのか
アコースティック・ギターをラインで出したときの音を、多くの人が知っている。
硬い。平たい。中域が詰まっていて、アタックだけが妙に強い。生で聴いた同じギターとは、別の楽器のように聴こえる。
これは品質の問題ではない。取得している対象が違うのである。
サドル下のピエゾが感じ取っているのは、サドルにかかる圧力の変化だ。弦がブリッジを押す力の時間変化を、そのまま電圧にしている。
一方、人が「そのギターの音」として聴いているのは、トップ板が動き、箱の空気が共鳴し、部屋に放射され、耳やマイクに届いた音である。木の鳴りも、箱の共鳴も、放射の指向性も、部屋の反射も全部入っている。
サドルの圧力には、それらがほとんど含まれていない。箱を通る前の情報だからだ。
だから、ピエゾの音は「悪い」のではない。生の音になるまでの工程を、途中で抜き取った信号なのである。
抜き取ったものを、後から足せないか。
Auraは、その問いへの回答である。
Aura――失われた音響像を、後から足す
Auraの方式は、公式資料とSound On Soundのレビューを合わせると、次のように整理できる。
まず、スタジオで一本のギターを二通りに録る。高品位なマイクで録った音と、そのギターに付いたピックアップから録った音。同じ演奏を、二つの経路で同時に取得する。
そして両者を比較する。周波数スペクトルと位相応答の差を求める。マイクの音にあって、ピックアップの音にないものは何か。これを解析したデータが「Image」である。
Sound On Soundの解説によれば、Auraは20Hzから20kHzをおよそ2000の帯域に分割し、各帯域に個別の振幅と位相の補正を与える。分解能の高い多帯域の補正と、狭い帯域ごとの位相操作の組み合わせだ。
もう一つ、地味だが本質的な処理が入っている。
Auraは、処理した信号だけを出すのではない。元のピックアップ信号と混ぜて使う。このとき、処理を通った信号には遅れが生じるため、素の信号側に同じだけのディレイをかけて時間を揃えている。これを省くと、混ぜた瞬間に位相のずれが生じ、特定の混合比で音量が落ちたり、変な癖が付いたりする。
つまりAuraは、「良い音を足すエフェクト」ではない。マイクで録った像と、ピックアップで録った像の差分を、位相まで含めて再構成し、時間を揃えて混ぜる装置である。
そしてImageは、特定の楽器と特定のピックアップの組み合わせに対して作られている。どのギターに何を付けても同じように効く汎用の補正ではない。この条件依存性が、そのまま使い方の制約になる。
AuraとIRは、どこが違うのか
ここで、当然の疑問が出る。
それは、インパルス応答(IR)と何が違うのか。
正直に書くと、技術的には非常に近い。ある入力に対する応答を測定し、その特性を後から掛け合わせて別の経路を通ったように聴かせる。振幅と位相を周波数ごとに操作する。どちらも、扱っているのは線形な伝達特性である。
違いは、原理ではなく測定の出どころにある。
一般的なアコースティックIRは、多くの場合「マイクで録った音の特性」を単体で表現する。Auraが持っているのは、そのギターのマイク音と、そのギターのピックアップ音の差だ。何から何へ変換するかが、あらかじめ組みで決まっている。
だから、Imageは他の楽器へ流用しにくい。汎用性で言えば不利である。
しかしこの不利は、設計の失敗ではない。ピエゾ信号という特定の入口を出発点として認めたうえで、そこから足りない分だけを再構成する、と決めた結果だ。
汎用の補正を作るか、条件を固定して差分を作るか。どちらが正しいという話ではない。ただし、後者を選んだ会社は、「入口の信号がどういう性質のものか」を先に定義しなければならない。Auraの設計は、その順番で組まれている。
Fluence――コイルを巻くのをやめる
Fishmanがエレキギター用のピックアップを出したのは、2010年代に入ってからである。創業から30年以上、この分野には手を付けていない。
Premier Guitarの記事は、その理由についてLarry Fishmanの言葉を伝えている。「voodooが多すぎる」。
この一言は、単なる皮肉ではない。彼が問題にしたのは、伝統的なピックアップの製造が持つ再現性の低さである。
コイルを巻くという工程には、制御しきれない変数が多い。線材のばらつき、巻きのテンション、絶縁被膜の状態、磁石の磁化のばらつき。同じ設計図で同じ台数を作っても、一本ずつ違うものができる。
その違いが「個性」として評価される文化もある。だが、設計者の立場から見ると話は別だ。意図した変更と、偶然の差が、区別できない。何かを変えて音が変わっても、それが設計の成果なのか製造のばらつきなのか分からない。それでは設計にならない。
Fluenceの回答は、巻くのをやめることだった。
公式資料と各レビューによれば、Fluenceのコアは、プリント基板の技術でコイルを「印刷」して積層したものである。48層のコイルを積み上げ、その下に巻き方向を反転させた48層をもう一組置き、あいだにスペーサーを入れる。
この構造には、二つの効果がある。
ひとつはノイズだ。方向の揃った二組が正確に対称であれば、外来のハムは互いに打ち消し合う。手巻きのコイルを二つ揃えるのとは、対称性の精度が違う。
もうひとつは再現性である。印刷された導体は、一枚目と千枚目が同じ形をしている。同じものを作れる。
そして、音色の作り方が反転する。
従来のピックアップでは、巻き数や磁石の材質を変えることが、そのまま音色の設計だった。取得と音色が同じ工程に載っている。
Fluenceでは、まず素直な特性のコアで取得し、その後段のプリアンプで帯域を整えて特定のキャラクターを作る。押し引きするポットで、複数の「Voice」を切り替えられる。取得と音色が、別の工程に分かれている。
だから、回路は電源を必要とする。公式資料はアクティブ回路に適した25kΩのポットを使うと説明しており、Premier Guitarの記事は充電式パックで1回の充電あたり250時間という数字を挙げている。ケーブルを抜くと電源が落ちる仕組みも入っている。
ここには、はっきりした思想がある。取得の段階を、できるだけ変数の少ない状態にしておく。音色は、そのあとで設計する。
伝統的なピックアップ観からすれば、これは魅力の源泉を捨てる選択にも見える。実際、そう評価する人もいる。ばらつきごと楽しむ文化と、ばらつきを排除する設計は、価値観として噛み合わない。
だが、この会社がそこへ行き着いた理由は理解できる。取得できない楽器から始めた会社にとって、取得は最初から「設計する対象」だった。当たり前に付いてくるものではなかった。
TriplePlay――音を出さない装置
三つ目は、さらに遠くまで行く。
TriplePlayは、弦ごとに演奏を拾い、音程とタイミングを検出して、MIDIとして送り出す装置である。公式ページは、これを「MIDIギター・コントローラー」と定義している。
決定的なのは、この装置自体は音を出さないことだ。
鳴るのは、パソコンやタブレットの中にあるソフトウェア音源、あるいは外部のシンセである。TriplePlayが送るのは、どの弦がいつどの高さで鳴ったかという情報だけだ。ギターの音は、どこにも出てこない。
現行の構成では、USB接続のExpressと、独自の2.4GHz帯を使うワイヤレス版がある。取り付けは磁石で、ギター本体を加工しない。ワイヤレス版は充電で20時間以上という数字が公式に出ている。
ここで、原理の新しさについては正直に書いておく必要がある。
弦ごとに信号を取り、音程を検出して音源を鳴らすという仕組み自体は、Rolandが1970年代末から製品化している。MIDIが登場する以前から動いていた考え方だ。TriplePlayが変えたのは検出の原理ではなく、無線であること、専用の音源モジュールを持たないこと、鳴らす音をパソコン側に置いたことである。
「革新かどうか」を問うなら、答えは慎重になる。この点は、五社を横に並べた記事のほうで扱った。
ここで見たいのは別の軸だ。Fishmanという会社の中で、この製品がどこに置かれるかである。
三つに共通するのは、出口ではなく入口だ
三つを並べ直す。
Auraは、ピエゾが取り損ねた音響像を、後から戻す。
Fluenceは、コイルという取得方法そのものを作り替える。
TriplePlayは、取り出した信号を音として使うのをやめ、制御情報だけを残して音を捨てる。
戻す、作り替える、捨てる。方向はまったく違う。だが、手を入れている場所は全部同じところにある。
弦の振動を、どこで、どういう形で取り出すか。
普通、機材の話は出口の側で語られる。アンプ、キャビネット、マイク、エフェクター。信号が音になっていく後半の工程だ。良い音を作るとは、たいてい後半をどう組むかの話である。
Fishmanの製品は、そこを主戦場にしていない。信号が生まれる最初の一点を、繰り返し作り直している。
ここには、一つの含意がある。入口で取っていないものは、後段で足しても取り返せない。だから、後段を工夫する前に、入口の定義を変える。
Auraが「差分を再構成する」という遠回りをするのも、Fluenceが「まず変数を減らす」という順番を取るのも、この考え方に沿っている。
そして、ギターを音源ではなく入力装置として扱うTriplePlayは、その延長として読める。楽器の役目を、音を出すことから、演奏という情報を外の環境へ渡すことへ広げている。
反論として置いておくこと
この読み方には、当然限界がある。書いておく。
ひとつ。「入口を疑い続けた会社」という筋は、こちらが後から引いた線である。会社が創業時からその方針を掲げていたという資料はない。トランスデューサーの会社が扱える領域を広げていった結果、そう見えるだけかもしれない。
ふたつ。ギターを「入力装置」として位置づける読み方も、こちらの見立てだ。Fishmanが完結型のギターシンセを対抗軸として述べた資料は確認できていない。
みっつ。公式のAboutページは企業理念の資料であり、自己評価が入る。創業年が二次資料と合わないことは、既に触れたとおりだ。個別の技術は製品資料で確認しないと、理念の言葉が事実の代わりになってしまう。
よっつ。Fluenceの「音色上の優位」はメーカーの主張である。再現性が高いことと、良い音であることは別の命題だ。前者は製造の話、後者は評価の話であり、片方から片方は出てこない。
いつつ。ここではAura、Fluence、TriplePlayの三本に絞った。この会社の製品はもっと多い。三本で会社全体を説明したことにはならない。
そして、成熟後の変化についても保留がいる。製品ラインが増えると、最初の問いが薄まることがある。この会社にそれが起きているかどうかは、現行製品を通しで検証してから言うべきことで、今の材料では判定できない。
入口を疑うという考え方
機材を選ぶとき、多くの判断は出口の側で行われる。何を鳴らすか、どう歪ませるか、どのマイクで録るか。
だが、信号が生まれる最初の一点で何を取っているかは、そのあとの全部を規定している。取っていない情報は、後段のどこにも現れない。
これは、アコースティックのピエゾに限った話ではない。エレキギターのピックアップも、DIも、マイクの位置も、すべて「何を取って、何を取らないか」を決めている。後段の機材で音が変わるのは事実だが、変えられる範囲は入口で決まっている。
一つの会社が同じ場所を三度書き直したという事実は、そこが簡単に済む場所ではない、ということでもある。
自分の音がどこで決まっているのかを考えるとき、出口から遡っていくと、最後にこの一点へ着く。入口を疑ってみると、機材の見え方が少し変わる。