2016年、スウェーデンのElektronは、八つのアナログ歪み回路を積んだ製品を二つ発売している。
片方は卓上に置く箱で、Analog Heatという。もう片方は床に置く箱で、Analog Driveという。
十年ほど経ったいま、この二つの立場は分かれた。卓上のほうは2018年にMKIIへ、その後さらに機能を足した形へと続いている。足元のほうは、Elektronの公式サイトで生産終了製品の一覧に載っている。
同じ会社が、同じ年に、近い考え方の回路を、二つの形へ入れた。そして片方だけが残った。
音が悪かったのか、というと、そうではない。ここで起きたことは、もう少し面白い。
Elektronは、音より先に「時間」を設計した会社である
Elektronの成り立ちを先に見ておく。
始まりは1997年、スウェーデンのチャルマース工科大学の学生課題だった。翌1998年に会社になっている。最初の製品はSidStationで、コモドール64というホームコンピュータに載っていたSIDという音源チップを、楽器の形にしたものだった。
すでにこの時点で、方向がはっきりしている。新しい音源を開発したのではなく、他の用途で作られた回路に演奏の器を与えている。
その後の製品を、公式サイトの生産終了一覧に載っている年で並べるとこうなる。
- Machinedrum(2001年)
- Monomachine(2003年/2004年)
- Octatrack(2010年)
- Analog Four(2012年)、Analog Keys(2013年)、Analog Rytm(2014年)
- Analog Heat(2016年)、Analog Drive(2016年)
- Digitakt(2017年)、Digitone(2018年)
Elektronの名を広めたのは、個々の音色ではなかった。シーケンサーの一つ一つのステップに、その瞬間だけの音色の値を持たせるという考え方である。パラメータロックと呼ばれる。
これは音を作る技術ではなく、音が変わっていく時間の作り方である。ノブを回すことが、演奏そのものになる。
だから、Elektronの機械の前に座る人は、両手を使う。画面を見る。ノブを回しながら聴く。数十秒から数分の単位で、音が動いていく。これがElektronの文法だった。
Analog Driveは、手を抜いた製品ではない
その会社が、ギターとベースの奏者へ向けて出したのがAnalog Driveである。
公式マニュアルで確認できる構成を並べる。
- 八種類のアナログ歪み回路。デジタルによる模倣ではない
- 100個のユーザープリセット
- 中域を掃引できる3バンドEQ
- MIDI入出力
- GainまたはMid EQを操作できるエクスプレッション/CV入力
八つの回路には、それぞれ性格の名前が付いている。マニュアルのMIDI一覧から拾うと、Clean Boost、Mid Drive、Dirty Drive、Big Dist、Focused Dist、Harmonic Fuzz、High Gain、Thick Gain。ブースターからファズ、ハイゲインまでを一台で持つ構成である。
その一つ一つに三帯域のEQと歪み量を組み合わせて、百通り保存できる。ペダルの中では、かなり踏み込んだ設計である。
音は評価されていた。アナログ回路であることも、その音色の幅も、製品としての作りも、けなされてはいない。
つまりこの製品は、品質で躓いたのではない。
決定的だったのは、プリセットの呼び出し方だった
Analog Driveのフットスイッチは三つある。公式マニュアルが記す役割は、次のとおりである。
- 左:プリセットを一つ戻す
- 右:プリセットを一つ進める
- 中央:オンとバイパスの切り替え
読み飛ばしそうな仕様だが、ここに全部が入っている。
任意の三つのプリセットを、それぞれ一踏みで直接選ぶことはできない。左右のスイッチは、一つずつ隣へ移動する。
しかも、移動しただけでは音は変わらない。マニュアルの手順はこうである。左右で番号を選ぶと、表示が点滅して「まだ読み込まれていない」ことを示す。そこで中央のスイッチを踏むと、そこで初めて読み込まれる。選ぶ操作と、確定する操作が分かれている。
30秒放置すると点滅は止まり、元の番号へ戻る、とも書かれている。
つまり隣のプリセットへ移るだけでも二踏み要る。百個の保存場所があって、いま12番にいて37番を使いたければ、二十五回送ってから、もう一度踏む。曲の途中では成立しない。
これは不具合ではない。シンセサイザーの操作系を、そのまま床へ置いた結果である。座って画面を見ながら番号を送り、確定してから聴く。その手順なら、選択と確定が分かれているのはむしろ安全である。誤って別の音を呼び出さずに済む。実際、Elektronの卓上機はその考え方でずっと成立してきた。
床に置いた瞬間に、前提が変わっていた。
「MIDIで切り替えればいい」は、当時は通らなかった
ここで当然、こう思う人がいる。MIDIがあるのだから、外部から直接呼べばいいのではないか、と。
Analog DriveはMIDI入出力を持ち、プログラムチェンジの0から99が100個のプリセットに対応している。理屈の上では、コントローラーから番号を送れば一発で飛べる。
だが発売当時、それが素直に動かなかった。
所有者たちの報告では、プログラムチェンジを送ると表示は正しい番号に変わるのに点滅したままで、音が切り替わらなかった。床のスイッチを物理的に踏むまで確定しない。先ほどの二段構えが、MIDI経由でもそのまま残っていたわけである。
回避策として共有されたのが、プログラムチェンジと一緒にコントロールチェンジの80番を値64以上で送るという手順だった。マニュアルのMIDI一覧を見ると、CC 80は「Effect Active」で、64から127がオンにあたる。確定を別のメッセージで代行していたことになる。
ここが致命的だった。ギター用のフットコントローラーは、プログラムチェンジを一つ送れば音が変わるという前提で作られている。プログラムチェンジとコントロールチェンジを同時に、一つのスイッチへ束ねて送れる機材でなければ、この製品はまともに切り替わらない。
つまりMIDIという逃げ道は、「対応したコントローラーを持っている人だけ」に開いていた。ギタリストの多くにとっては、開いていないのと同じである。
では、後から直ったのか。
Elektronは各OSの変更履歴を配布ファイルに同梱している。1.0から最後の1.5まで、全部読める。そこに「プログラムチェンジだけで読み込みまで完了するようにした」という項目は無い。
関係する記述があるのは、OS 1.2である。そこには、MIDI入力のプログラムチェンジが動作していなかったのを修正した、と書かれている。そして同じ1.2で、CC 80のEffect Activeが新規に追加されている。
順序が示すことは小さくない。プログラムチェンジを効くようにしたのと、外部から強制的にオンにする手段を用意したのが、同じリリースだった。CC 80を併送するという回避策は、不具合が直った後の話ではなく、そのとき揃えられた道具立てそのものだった可能性が高い。
続く1.3では、コントロールチェンジの値の範囲判定が壊れていたのを修正した、とある。CC側もしばらく怪しかったということである。
そして最後のOS 1.5。リリースノートの日付は2017年6月27日、発売から一年ほど後になる。その内容は、レベルコントロールの効き方を低音量側で細かくしたことと、特定の同時踏みで回路が変わってしまう不具合の修正だった。切り替えの話は出てこない。
最後のマニュアルであるv1.2も、選んでから確定する二段階の手順を、そのまま記載したままである。
そして最終OSである1.5を適用した個体でも、この二段構えは残っている。CSLで確認している。プログラムチェンジを送っただけでは確定せず、Effect ActiveのCCを併せて送るか、床を踏むかが要る。
足元で使う機材にとって、切り替えが確実に効くかどうかは最初の一日で判定される。その一日に効かなかったものが、最後の更新まで扱われなかった。
なぜこうなったのかは、推測するしかない。ギター用のMIDIコントローラーを長く作ってきたメーカーの機材では、こうした確定の手順は必要としない。プログラムチェンジを送れば音が変わる。Elektronはシンセと機材制御の文化には深く通じていたが、ギターの足元でMIDIがどう使われているかには通じていなかったのではないか。ここは資料で裏づけられない解釈である。
ギターの足元には、独自の文法がある
ギタリストの足元の操作には、長い時間をかけて固まった約束事がある。
まず、一台のペダル=一つの音である。踏めばその音になり、離せば戻る。ここに選択の余地はない。歴史的にペダルはメモリーを持たなかったので、保存した音を呼び出す手順そのものが存在しなかった。
次に、踏む瞬間は、曲の中にある。イントロが終わってAメロへ入る、その一拍で切り替わる必要がある。手は弦の上にあり、目は指板か客席にある。足元を見ながら番号を送る時間はない。
そして、移動先は決まっている。今夜の演奏で使う音は三つか四つで、それは事前に決めてある。百通りの中から探すのではなく、決めた三つへ確実に飛べることが要る。
だからプリセットを持つ機材は、この文法へ寄せてきた。数個をひとまとまりのバンクにして、スイッチの数だけ直接選べるようにする。一踏みで一音、が守られる範囲でメモリーを導入する。
Analog Driveは、メモリーの量では上回っていて、到達の速さで届いていなかった。
翻訳に成功した例と、居場所を変えた例
別の文化から来た機材が、どう着地したかを二つ見ておく。
Eventideは、スタジオ用のラック機器で知られた会社である。その技術を床へ持ってくるとき、2013年のH9で選んだのは、絞ることだった。フットスイッチは二つ、本体のノブは一つ。細かい編集は本体から追い出し、Bluetoothでつないだスマートフォンのアプリへ移した。
大事なのは、その二つのスイッチが、プリセットを選ぶためのものではないという点である。役割はオンとバイパス、そしてタップテンポ。H9は一台につき一つの音を担当する機材として設計されている。
つまりEventideは、百通りを足元から選ばせようとしなかった。一台=一つの音という文法をそのまま受け入れて、音の種類を増やしたければ台数を増やすか、外部から制御する。踏む操作の側は、ペダルのままにした。
編集する場所と、演奏する場所を分けた。足元には最小限だけを残す。これは翻訳としてよくできている。
Moogは、シンセサイザーの会社である。1998年のMF-101ローパスフィルターから始まるMoogerfoogerの一連は、大きな箱に大きなノブが並び、CV入出力を持っていた。シンセの文法をほとんど翻訳しないまま床へ置いた形である。
こちらは足元の定番にはならなかったが、消えたわけでもない。二十年にわたって作られ続けた。演奏中に踏み替える道具ではなく、スタジオで手で回す道具として居場所を見つけたからである。
対比すると、Analog Driveの位置が見えてくる。Eventideのように操作を絞ったわけでもなく、Moogのように床の外へ居場所を移したわけでもない。ペダルの形をして、ペダルの文法を持っていなかった。
Elektron自身の答えは、卓上にあった
ここが一番はっきりしている。
同じ2016年に出たAnalog Heatは、八つのステレオ・アナログ歪み回路を持つ。回路の発想は、Analog Driveと地続きである。
違うのは形と宛先である。こちらは幅215ミリ、奥行き184ミリ、高さ63ミリ、重さ1.5キロほどの卓上機で、128×64ピクセルのOLED画面が付く。Elektronが挙げる対象は、DAWを使う人、ハードウェアのシンセやドラムマシンを鳴らす人である。
同じ回路を、自分たちの文化の中へ置き直している。
そしてこちらは2018年にMKIIへ更新され、その後も機能を足しながら続いている。足元へ出したほうは、後継機を持たなかった。
会社は、技術を捨てていない。置き場所を選び直しただけである。
失敗と呼ぶ前に、確認できていないこと
ここまでの話を、そのまま「失敗作だった」と言い切るには足りないものがある。
販売実績も、生産終了の理由も、メーカーの意図も、公開された資料では確認できない。生産終了は事実だが、なぜ終わったかは書かれていない。売れなかったのかもしれないし、部品の供給が理由かもしれないし、事業の優先順位かもしれない。
MIDIの挙動については、フォーラムに後年「1.5では普通に切り替わる」という書き込みが一件ある。これはOS 1.5の変更履歴とも、最終OSを適用した個体の実際の挙動とも食い違う。設定の違いか、別の要因かは分からない。本記事は変更履歴と実機の側を採った。
そして、操作系だけで製品の行方が決まったとも限らない。同じ時期にElektronは卓上機の系列を伸ばしていて、そちらに人と時間が向かった可能性もある。
言えるのは、製品の優劣ではない。不便だったのではなく、前提が違っていた、ということである。選んでから確定するのも、MIDIで機材同士を組むのも、Elektronの客層では当たり前の作法だった。同じ仕様が、置かれる文化によって別の意味を持つ。床の上では、それが「動かない」と読まれた。
仕様表に出ない評価軸
機材を比べるとき、私たちは仕様表を並べる。回路の種類、保存数、入出力、電源。Analog Driveは、その表の上ではよくできている。
だが表に出ない欄がある。その操作は、どのくらいの時間の中で行われるのか、という欄である。
座って数分かけて音を作る道具と、一拍で切り替える道具では、同じ「プリセット100個」がまったく違う意味になる。前者では豊かさで、後者では到達不能な在庫になる。
これは音を記録する作業とも地続きの話だと思う。アンプの音を残すとき、何ノブがいくつだったかは書ける。だがその設定へどうやって辿り着くのかは、仕様の外にある。条件を開示するというのは、値を書き出すことだけではなく、その値が使われる時間の単位まで含めて示すことなのだろう。
まとめ
Elektronは2016年に、八つのアナログ歪み回路を、卓上と足元の二つの形へ入れた。
回路の考え方は近く、音の評価も低くなかった。分かれたのは、保存した音へどうやって辿り着くかという一点である。左右のスイッチで一つずつ送る操作は、座って画面を見る文化では自然で、曲の途中で踏み替える文化では成立しなかった。
Eventideは操作を絞って足元へ翻訳し、Moogは翻訳せずに居場所のほうを変えた。Elektronは、同じ回路を自分たちの卓上へ戻した。
優れた設計が別の文化で定着しないとき、原因は品質ではなく、翻訳されなかった文法にある。仕様表には、その欄がない。
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