「実験的なメーカー」という括り方がある。
雑誌でも、動画でも、店頭のポップでも使われる。奇抜な音が出る。見たことのない機構が入っている。普通のペダルではない。だいたいそういう意味で使われている。
だが、この一語は何も説明していない。
たとえば、テープの劣化を精密に再現するペダルと、3500ボルトの放電で信号を歪ませるペダルと、八つの発振器が互いに干渉して止まらないシンセサイザーは、まとめて「実験的」と呼ばれる。しかし演奏者から見れば、この三つはまったく別の要求をしてくる。片方は座って設定を追い込む道具で、もう片方は踏めば鳴る道具で、残りは音を出すこと自体は易しいのに、意図した音へ寄せるのが難しい。
分けたい。奇抜さの度合いではなく、その機材が演奏者をどこまで守っているかで。
「安全」を、音の穏やかさで測らない
ここで最初に、言葉の定義をしておく。
「安全な機材」と言うと、たいてい「穏当な音しか出ない機材」という意味に受け取られる。だがそれは違う。この記事で安全と呼びたいのは、音の激しさではない。演奏者が音楽へ戻ってこられるかどうかである。
どれだけ壊れた音を出しても、次のテイクで元の音へ戻せるなら、それは安全な設計だ。逆に、どれだけ穏やかな音でも、いま鳴っている状態を二度と再現できないなら、それは安全ではない。安全とは音色の属性ではなく、操作と結果の関係の属性である。
そう考えると、尺度は三つに分かれる。
入口。最初の一音を出すまでに、演奏者は何を理解している必要があるか。
失敗。操作を誤ったとき、あるいは想定外の設定になったとき、何が起きるか。音楽が壊れるのか、それとも別の音が出るだけなのか。
回復。さっき良かった状態へ、どうやって戻るか。ノブの位置を覚えるのか。プリセットに保存するのか。そもそも戻る手段が用意されていないのか。
この三つは独立している。入口が低い機材が、必ずしも回復しやすいわけではない。むしろ後で見るように、入口が最も低い機材が、回復の最も難しい機材だったという逆転が起きる。「実験的」の一語が潰していたのは、この独立性である。
四社を、この三つで並べ直す。
壊れ方を、ノブの目盛りにする
Chase Blissは2013年に始まった会社で、最初の製品はWarped Vinylというコーラス/ヴィブラートだった。公式の説明では、アナログ処理の質と個性に、デジタル制御の柔軟性を組み合わせる、という方針が掲げられている。
この会社の代表作のひとつが、Generation Loss MKIIである。
これは、テープやビデオ機材の劣化を扱うペダルだ。名前のGeneration Lossは、複製を重ねるたびに信号が痩せていく現象を指す。ダビングのダビングのダビング。あの音を作るための機材である。
面白いのは、そのつくり方だ。
Modelノブは、テープ機のライブラリを順に切り替えていく。VCR、ディクタフォン、玩具。それぞれが固有のイコライザー特性を持つ、というのが公式の説明である。つまり「テープっぽい音」という漠然とした像ではなく、劣化元の機械を選ぶ形になっている。
そしてFailureノブがある。公式の言葉では、実際に起こりうる小さな不具合の集合――引っかかり、ドロップ、しわ――をまとめたものだ。
ここが決定的である。
故障が、連続量になっている。テープが引っかかる、音が飛ぶ、伸びる。本来なら偶発的で、起きたら止められない現象が、ノブの角度として並べ直されている。ゼロにすればほとんど起きない。回し切れば盛大に壊れる。その途中に、無数の中間状態がある。
WowとFlutterも独立したノブで、単独で使えばランダムなヴィブラートや揺れるコーラスとしても機能する。Classicモードのディップスイッチを入れれば、初代Generation Lossの音へ戻る。Spreadという設定を選ぶと、Failureノブがステレオ像そのものを壊しにいく。
そして、オンボードのプリセットが2つ。MIDIのプログラムチェンジとコントロールチェンジに対応。CVとエクスプレッションで外部から制御でき、すべてのノブは内部モジュレーションの対象になる。
三つの尺度に当てはめてみる。
入口は低い。踏めば、テープっぽい音が鳴る。ローファイという既知の語彙の中にいるから、最初の一音で迷わない。
失敗の幅は、実はかなり広い。Failureを回し切ったGeneration Lossは、まともなバンドアンサンブルに置ける音ではない。穏当な機材ではない。
だが回復は堅い。座標がノブの角度として存在し、プリセットに保存でき、MIDIで呼び戻せる。安全なのは音ではなく、記憶のほうである。
同社のMOOD MKIIも同じ構造を持つ。片方のチャンネルは常に録音し続けているマイクロルーパーで、公式は音楽を釣り上げるような体験だと説明する。偶然に依存した機材だ。ところがClockノブは両チャンネルのサンプルレートを同時に、調和した段階で動かす設計になっていて、プリセットが2つ、MIDIはノート・プログラムチェンジ・コントロールチェンジ・クロック同期に対応し、CVとエクスプレッションも受ける。
偶然を扱いながら、偶然の外側を固めている。Chase Blissの安全網は、壊れ方を座標にして、その座標を保存できるようにしたことにある。
出る音の集合を、先に囲う
Bananana Effectsは日本のメーカーで、ここが用意している安全網は、Chase Blissとまったく違う場所にある。
代表機のTARARIRAは、2021年2月に発表されたアルペジエイターだ。入力された音のピッチをずらしながら、8ステップのシーケンスとして並べる。
仕様を見ると、この機材が何を要求しているかが分かる。
スケールは27種類が固定で入っていて、加えてユーザーが編集できる枠が3つ。合計30。モードは8つで、Normal、Organ、Hold、Square、Sine、Sine Hold、Glitch、Toybox。シーケンスエフェクトが9種類あり、Retrigger、2x、Reverse、Once、Pause、Skip、Momentary Random、Freeze、Gallopと並ぶ。プリセットは3バンク×3パッチで9個。ポリフォニック(和音入力)に対応し、公式は人力では不可能なフレーズも可能になると説明する。ただし全モードが和音を受けるわけではない。SineとSine Holdは、公式のモード説明で単音入力を前提として書かれている。操作子はアルミノブが4つと、静電容量式のタッチキーが8つ。テンポは60から400BPMまで。
ここで、入口の性質がChase Blissと反転する。
最初にスケールを決めなければ、何が出るか分からない。踏めば鳴る、という機材ではない。どの音階の中で動くのか、何ステップでどのモードなのか、シーケンスエフェクトはどれを噛ませるのか。それを決めてから音が出る。入口に、音楽理論の選択が置かれている。
その代わり、失敗の性質が根本的に変わる。
スケールを選んだ時点で、出る音の集合が閉じている。どのステップをどう並べても、選んだ音階の外へは出ない。タッチキーを適当に触っても、シーケンスがどう暴れても、和声的に破綻した音は原理上出てこない。これは強力な安全網である。ただし、Chase Blissのそれとは種類が違う。
Chase Blissは、壊れた結果を保存して呼び戻せるようにした。Bananana Effectsは、そもそも壊れた結果が出ない檻を先に用意した。前者は事後の回復で、後者は事前の制限である。
同社のこの姿勢は、後年の製品判断にも出ている。
2026年1月に発表されたQUIMERAというペダルについて、同社は入出力をモノに決めた理由を明示している。ステレオに対応させると処理が倍になり、レイテンシーが増えるから、というものだ。低レイテンシーを最優先にした、と説明されている。
さらに、追従について公表されている5ミリ秒という数字は、ピッチ検出のサイクルだけを指すもので、音の全体の遅延ではない、という補足まで出している。検出のあと信号はオシレーターとエフェクト処理を通るため、TOONLEADというプリセットでの実測は12.5ミリ秒だという。
実験的な機材を作る会社が、わざわざ自社の数字を訂正して、遅れの実測値を出している。ここが重要である。ステレオという分かりやすい訴求点を捨て、代わりに演奏の追従を取った。しかも数字の意味を自分から限定した。
安全網の位置が、音の中ではなく、演奏の時間軸に置かれている。
過激なのは箱の中で、手の側は保守的である
Gamechanger Audioは2016年にリガで始まり、PLUSというサステインペダルを起点に製品を広げてきた。
この会社が「実験的」と呼ばれる理由は分かりやすい。物理現象を回路の中心に置くからだ。
PLASMAは、その最も有名な例である。公式の説明によれば、オーディオ信号を最大3500ボルトまで増幅し、それをキセノン管の中の放電へ変換することで歪みを作る。文字通り雷を演奏している、というのが同社の言い方だ。
数字だけ聞けば、これ以上ないほど過激に見える。
だが、演奏者の側から見ると話が変わる。
踏めば歪む。入口は、四社の中で最も低い。ダイオードで歪ませようが、真空管で歪ませようが、放電で歪ませようが、足元での扱いは歪みペダルのそれである。ボードのどこに置くか、どのくらい回すか。既存の文法がそのまま通じる。
LIGHT Pedalはもう少し込み入っているが、構造は同じだ。
これは実物のスプリング・リバーブ・タンクを積んだペダルである。ただし、バネの振動の拾い方が違う。通常のスプリング・リバーブは出口に一つのトランスデューサーを置いて、端まで届いた振動を受ける。LIGHT Pedalは、複数組の赤外線光学センサーをバネの長さ方向の異なる位置に配置して、光電式のピックアップとして使う。公式の説明では、機械的な残響の過程で失われてしまう周波数、倍音、質感まで拾えるという。
拾い方が変われば、できることも変わる。用意されているのは6つのモードで、光学系がOptics、Sweep、Tremの3つ、機械系がReflect、Feedback、Harmonicの3つ。Opticsはセンサーの組み合わせを順に切り替え、Sweepはその間を行き来して変調を作り、Tremはセンサーのオンオフで脈動を作る。Reflectはローファイなディレイの繰り返しをタンクへ戻し、Feedbackはタンクを自己発振させ、Harmonicはバネ固有の倍音を狙ってシマーを作る。
ここまでは十分に新奇である。ところが、コントロールを見ると印象が変わる。
DRYはドライ信号を削るかブーストするか。TONEはウェットだけにかかるチルトEQ。DRIVEはバネへ送る電力の量で、減衰の長さと質感を変える。CTRLは各モードのパラメーター。GATEはダイナミクスに反応するエンベロープで、ゲートにもダッキングにも使える。
ノブの意味が、どれも既存のペダルの語彙で説明できる。強さ、音色、混ぜ具合、反応。新しい機構を、古い操作系へ翻訳している。
これがGamechangerの安全網である。実験は箱の中で完結していて、演奏者の手が触れる面は保守的に設計されている。3500ボルトの放電も、光電ピックアップも、演奏中に演奏者が向き合う対象ではない。ノブを回すだけである。
回復も、この設計から自動的に付いてくる。プリセットの保存機能はないが、状態がすべてノブの角度とモードの選択として外に出ているから、写真を一枚撮れば戻せる。記憶装置がないのに回復できるのは、状態が物理的に見えているからだ。
守る層を、置かない
四社目のSOMA Laboratoryは、無線技術者でありミュージシャンでもあるVlad Kreimerが立ち上げた会社である。
代表機のLYRA-8は、しばしば扱いの難しい楽器として語られる。だが、まずSOMA自身が何を言っているかを確認したい。ここを飛ばすと、話が「難解さの称揚」に落ちる。
同社が公表している方針は、意外なほど難しさの話をしていない。
芸術の自動的な創作と複製がますます浸透していく状況に対して、舞台に立つ創り手である人間の重要性を強調し、その自然な能力を拡張する楽器を作る、というのが第一の柱である。第二の柱はインターフェースで、制御と対話の両方を含むメタ言語として楽器と関わる方法を設計し、ミュージシャンとのより直接的で柔軟な感情的接触を促す、と説明されている。
掲げられているのは直接性であって、困難さではない。
では、なぜ難しいのか。LYRA-8の構造を見ると、理由が見えてくる。
公式の説明によれば、この楽器は8つの発振器を持ち、それが1と2、3と4、5と6、7と8という4つのペアに組まれ、さらに2つのグループにまとまる木構造になっている。ボイスは一般的なVCOではなく、古いオルガンのトーンジェネレーターに近い動きをする。電子オルガンのモードと、FM合成のモードがあり、FMではエンベロープの減衰に従って変調の効き方も減っていく。
HYPER LFOは、2つの単純なLFOを加算または乗算で合成して波形を作り、同期もできる。これが指定したボイスのペアと、MOD DELAYを変調する。
そのMOD DELAYは2本のディレイラインをクロスフィードバックさせる構造で、共振する。各ラインの時間は個別に、さまざまなソースから変調できる。そして自己変調がある。出力信号がディレイのサンプルレートそのものを変調する。
organismicという言葉が、この文脈で出てくる。生物の基礎にある原理をいくつか使っている、というのがSOMAの説明で、モジュール同士のふるまいは生きた会話に似ている、と表現される。非線形性が、意図的に表へ出るよう設計されている。
そして、外側を見る。
公式のスペック表に、MIDIの記載はない。プリセットメモリーの記載もない。外部と繋がるのは、外部オーディオ入力、+5ボルトのHoldゲート入力、そしてディレイとボイスに対するCV入力である。いずれも0から+5ボルトの単極性。出力はモノラルのTSまたはTRS。電源は+12ボルトの0.2アンペア。266ミリ角、2.5キログラム。
三つの尺度に当てはめる。
入口は、極端に低い。ここが誤解されやすいところだ。LYRA-8は音が出ない楽器ではない。むしろ触れば鳴るし、放っておいても鳴り続ける。最初の音を出すまでの障壁は、四社の中で最も低いかもしれない。
失敗という概念も、この楽器では成り立ちにくい。間違った操作という状態がない。すべての操作が、何らかの音の変化として返ってくる。
問題は回復である。
ノブの位置を写真に撮ることはできる。だが、モジュール同士が相互に変調し合い、ディレイが自分の出力で自分のサンプルレートを揺らしている系では、同じノブ位置が同じ音を保証するとは限らない。ここは公式の記述ではなく、構造から導かれる推論として書いておく。状態の一部が、ノブではなく信号そのものの中にある。
そして、その状態を保存して呼び戻す手段が、製品仕様として用意されていない。
これが「安全圏外」と呼びたくなる部分の正体である。ただし、SOMAが演奏者を突き放しているわけではない。彼らが取ったのは直接性であって、保存・量子化・呼び出しといった層を演奏者と音のあいだから外した結果、戻る道も一緒に外れた、と読むのが正確だと考える。
得たものと失ったものが、同じ設計判断から出ている。
四社を並べると、違っていたのは安全網の位置だった
整理する。
Chase Bliss。壊れ方を連続量にして、プリセットとMIDIで呼び戻せるようにした。守っているのは記憶である。
Bananana Effects。出る音の集合をスケールで囲い、遅延の実測を公表して演奏の時間を守った。守っているのは理論と時間軸である。
Gamechanger Audio。新しい物理現象を、既存のペダルの操作語彙へ翻訳した。守っているのは習慣である。
SOMA。層を置かず、耳と手に返した。守るものを、外側に置いていない。
四社は「実験的」という一語で並べられるが、演奏者に対する要求はこのくらい違う。しかも、その違いは音の激しさとほとんど相関していない。
最も過激な数字を持つPLASMAが、最も入口の低い機材だった。最も穏当に見えるアルペジエイターが、最初に音楽理論の選択を要求した。テープの劣化という後ろ向きな題材を扱うペダルが、最も堅牢な状態管理を持っていた。
奇抜さは、革新が既存からどれだけ離れているかの距離を示す。だが距離は、演奏者への要求量とは別の軸である。ここを混ぜたまま「実験的」と呼ぶから、比較ができなくなる。
もうひとつ、この四つを並べて見えることがある。
安全網を強くするほど、演奏者と現象のあいだに層が増える。プリセットは層である。スケールの制限も層である。既存の操作語彙への翻訳も層である。層があるから戻れる。同時に、層があるぶんだけ現象そのものからは遠くなる。
SOMAが層を外したのは、遠さを嫌ったからだと読める。Chase Blissが層を厚くしたのは、戻れることを演奏の条件と見たからだと読める。どちらが正しいわけではない。ただし、どちらを選んだかは仕様表に書いてある。プリセットの数、MIDIの有無、ノブが何を意味しているか。設計思想は、思想として語られる前に、端子と記憶容量として現れている。
安全圏は、メーカーの順位ではない
ここまでの整理には、はっきりした限界がある。
まず、安全圏はメーカーに固定された属性ではない。製品と利用者の関係で変わる。
同じGeneration Loss MKIIでも、DAWに向かって一人で座っているときと、ライヴのセットリストの3曲目で踏むときでは、要求される回復の意味が違う。前者ではノブを回して探ればいい。後者ではプリセット番号が命綱になる。逆に、即興演奏の現場では、戻れないことが問題にならない場面もある。LYRA-8が難しい楽器に見えるかどうかは、その人が何をしようとしているかに依存する。
次に、MIDIがあれば安全とは限らない。
MIDIのプログラムチェンジで任意のプリセットを呼べる、というのは強い機能だが、それを使うには外部のコントローラーを足元へ持ち込む必要がある。回復の手段を確保するために、システムが一段複雑になる。守られ方にも代償がある。
そして、この記事の射程について。
ここで比較したのは、各社の公式資料に書かれている仕様と設計方針である。同一条件で四社を鳴らし比べた結果ではない。音の良し悪しの序列ではないし、どのメーカーが優れているという話でもない。
「安全圏外」という表現も、SOMA自身の言葉ではない。前述のとおり、同社が掲げているのは直接性であって、困難さではない。こちら側の読解であることは、はっきりさせておきたい。
Bananana Effectsについても、初期の製品の筐体やユーザーインターフェースがどう変わっていったかという話は、公式資料だけでは裏づけられない。だからここでは書いていない。市場でいつ着目されたか、という評価も同じである。
奇抜さではなく、どこまで戻れるかで選ぶ
機材を選ぶとき、「実験的かどうか」はほとんど役に立たない基準である。
役に立つのは、もっと具体的な問いだ。
最初の一音を出すまでに、自分は何を決める必要があるのか。想定外の設定になったとき、それは音楽を壊すのか、単に別の音が出るだけなのか。良かった状態へ、どうやって戻るのか。ノブの角度を覚えるのか、番号で呼ぶのか、戻らないことを受け入れるのか。
この三つに答えられれば、その機材が自分の演奏の仕方と噛み合うかどうかは、鳴らす前にかなりの部分まで分かる。逆に言えば、奇抜な音のデモを何本見ても、この三つは分からない。
そして、戻れないことを選ぶのも、ひとつの態度である。
保存できる機材が優れていて、保存できない機材が未熟なわけではない。層を外した楽器は、その分だけ現象に近い。近いところで鳴っている音を、二度と同じには出せない。それを損失と呼ぶか、演奏と呼ぶかは、使う側が決めることだ。
「実験的」という便利な一語を手放すと、選ぶという行為が少し面倒になる。だが、面倒になった分だけ、自分がどういう演奏者なのかがはっきりする。