1981年、ベルギーのUnivers Zeroは3枚目のアルバム『Ceux du dehors』を出した。
1曲目は「Dense」という。12分を少し超える。作曲は、バンドを率いるドラマーのDaniel Denisである。
ドラマーが書いた12分の曲と聞けば、ドラムが主役の曲を想像するかもしれない。変拍子を叩き分け、セクションの変わり目をフィルで告げ、曲を引っぱっていく。
ところが、Denis本人は2014年のインタビューでこう述べている。バンドのために曲を書くとき、ドラムのパートを見つけるのにいつも苦労する。そして、Univers Zeroの音楽はドラムのために作られていない、と言い切っている。
ドラマーが率いるバンドの音楽が、ドラムのために作られていない。
この一言は、謙遜でも冗談でもない。Denisは曲の書き方についても、録り方についても、同じ方向のことを繰り返し述べている。
「Dense」の密度は、どこで作られていたのか。ドラムの外側から見ていく。
「Dense」は、どんな編成で録られたか
「Dense」は、1980年6月、スイスのキルヒベルクにあるSunrise Studioで録音された。録音技師はEtienne Conod。ミックスもConodが担当している。
『Ceux du dehors』は、主にスイスで1980年に録られ、一部の曲だけがベルギーで1981年1月に録られた。「Dense」はスイス録音の側に入る。
このアルバムの中心メンバーは5人である。
Michel Berckmansが、バスーン、オーボエ、イングリッシュ・ホルン。
Patrick Hanappierが、ヴィオラとヴァイオリン。
Andy Kirkが、ハルモニウム、オルガン、ピアノ、エレクトリック・グランド。
Guy Segersが、ベースとクラリネット。
そしてDenisが、ドラムとパーカッション、それにハルモニウム。
ギターは、いない。
ロックのバンドとして見ると、ずいぶん偏った編成である。ベースとドラムはあるが、和音とリフを受け持つはずのギターが無い。かわりに、木管が2系統、弦が1系統、鍵盤が1系統ある。
室内楽の編成に、ベースとドラムが加わっている。そう見たほうが実態に近い。
ドラマーは、ドラムから曲を書かなかった
Denisの曲の書き方について、本人の発言は少なくとも三つの時期に残っている。
2000年、イタリアの批評家Beppe Colliの書面インタビューで、Denisは、自分の書く音楽にドラムを組み込むのは昔から簡単ではなく、いまも簡単ではないと述べている。そして、不思議なことに、自分は最初にドラムのことを考えることがない、と続けている。
2010年、『Modern Drummer』誌のインタビューでは、さらにはっきり言っている。ドラムのパートから書き始めることは決してない。他の楽器から始める。
新しい曲を書くとき、ドラムのアイデアがまったく無いことも多い、とも認めている。新作『Clivages』の録音でも、ある曲のドラムを最後の最後まで試していたという。
そして2014年に、冒頭の言葉が出てくる。ドラムから曲を書き始めることは、めったにない。Univers Zeroの音楽は、ドラムのために作られていない。
三つの発言は、14年の幅をもって同じことを言っている。
曲は、ドラム以外の楽器で先にできあがる。ドラムは、できあがった曲のなかに、後から居場所を探す。
譜面ではなく、テープで書いた
もう一つ、意外な事実がある。
Denisは、譜面を読まず、書かない。『Modern Drummer』の記者は、それでもDenisがUnivers Zeroの曲をすべて書いている、と紹介している。
では、どうやって木管と弦のための曲を書いたのか。
本人の説明によれば、作曲のアイデアが浮かぶようになって、まず独学で鍵盤を弾けるようにした。そして、安物のカセットレコーダーを2台使い、自分で各パートを重ねて録った。
1台に鍵盤の骨組みを録り、もう1台で次のパートを足す。それを繰り返す。最後には、最初のトラックはほとんど聞こえなくなっていた、という。
この古いやり方を長年続け、およそ10年後に、ようやくTascamの4トラックのテープレコーダーを買えたという。
録り終えたテープを他のメンバーに聴かせ、誰がどのパートを弾くかを示した。自己流で書き留めたものを、メンバーが正式な譜面に直すこともあった。
後年はコンピュータを使うようになり、MIDIのファイルをBerckmansへ送って譜面にしてもらう、という手順に変わっている。
つまりDenisの作曲は、最初から多重録音だった。
一人で鍵盤を弾き、パートを1本ずつ重ねて、全体の響きを先に作る。その段階では、ドラムは主役ではない。少なくとも本人の説明では、ドラムのことは最初に考えていない。
2014年のインタビューでは、ステージで見つけた断片から組み上げた例外はいくつかあるが、それを除けば、Univers Zeroの音楽はいつも、細かく書かれた要素から始まる、と述べている。
ドラムは、最後に重ねられた
曲の書き方だけではない。録り方も、同じ順番だった。
Denisは2010年に、自分はいつも、他の楽器を録り終えてから、ドラムのパートを重ねてきたと述べている。そうすれば、ドラムを曲にいちばんよく合わせられるからだという。
普通のロックのレコーディングは、たいてい逆である。先にドラムを録り、その上にベースやギターを重ねていく。ドラムが土台になる。
Univers Zeroでは、土台は木管と弦と鍵盤の側にあった。ドラムは、その上に最後に載る。
Denisは、この方法の得失もはっきり言っている。精度とタイトさには良い。ただ、演奏の自発性とエネルギーを損なうことがある。クリックに合わせて叩く必要もあり、それは少し窮屈で、音楽に影響する。
だから、2010年の『Clivages』では、全員で同時に演奏して録ることにした。できるだけ生き生きした音楽にするためで、賢明な判断だった、と本人は振り返っている。
裏返せば、『Clivages』より前は、そうではなかったということになる。
1999年の『The Hard Quest』についてのフランス語のインタビューでも、Denisは、たいていのアルバムと同じく、ドラムのパートは最後に録った、と答えている。
「Dense」そのものについて、録音の順番を名指しした発言は見当たらない。ただ、本人の言う「いつも」が文字どおりなら、1980年の「Dense」も、ドラム以外の楽器が先に録られ、ドラムが最後に重ねられた曲だということになる。
木管を覆わないための、オーケストラの打楽器
なぜ、ドラムを後回しにするのか。
Denisの説明は、編成の問題に戻ってくる。
フランス語のインタビューで、Denisは初期のUnivers Zeroについてこう述べている。バスーンやオーボエのようなアコースティック楽器をどんどん使うようになると、エレキベースとドラムのリズム・セクションを組み込むのが難しくなっていった。ステージでのマイク収音の問題もあった。
そこで、ドラムをオーケストラの打楽器に近い役割で使うことを考えた。そうすれば、楽器の音色や和声を覆いすぎずに済む。
2000年の発言も同じ線上にある。アコースティック楽器の和声や微妙な色合いを、ドラムの攻撃で覆い隠さないよう、細心の注意を払っている。そんな攻撃は、ニュアンスをすべて平らにしてしまうだけだ、という。
2010年には、もっと具体的に言っている。音楽が本当に激しくなるフォルティッシッシモの場面で、バスーンやイングリッシュ・ホルンやクラリネットをかき消さないのは簡単ではない。
ドラムは、大きな音が出る楽器である。
木管は、そうではない。
同じ部屋で同じ強さで鳴らせば、先に消えるのは木管の側である。ロックのドラマーがロックの叩き方でこの編成に入れば、バスーンは聞こえなくなる。
Denisがドラムを後回しにしたのは、ドラムを軽んじたからではない。ドラムが鳴りすぎることを、誰よりもよく知っていたからである。曲を先に木管と弦で完成させ、その響きを壊さない範囲にドラムを置く。順番そのものが、音量の調停になっている。
ここまでは本人の発言から言えることで、最後の一文は筆者の読みである。
複雑な拍子は、数えずに感じる
「Dense」は、拍子が目まぐるしく変わる曲として紹介されることが多い。
では、Denisは複雑な拍子をどう扱っていたのか。
2010年のインタビューで、どんな変拍子でもリラックスして聞こえるのはなぜかと問われ、Denisはこう答えている。少し複雑なリズムでも、十分に練習すれば、基本の4/4とまったく同じように感じて演奏できる。拍の脈動を感じ、拍子の上を弾けばいい。たとえば東欧の音楽家がそうするように、分割をあまり考えないことだ。
続けて、曲のリズム構造が知的になりすぎたり、算術的になりすぎたりすると、音楽は人工的で生気のないものになる、とも述べている。
東欧の音楽への言及は、「Dense」にもつながっている。
フランス語のインタビューで、Denisは、ブルガリアの音楽の和声や旋律、そして彼らが驚くほどのしなやかさで使う独特のリズムに、ずっと強く惹かれてきたと話している。そして、「Dense」や「Toujours plus à l'Est」で、そうした音楽にささやかな敬意を捧げようとした、と述べている。
ここで言われているのは、複雑さを見せることではない。
複雑な拍子を、数えずに、普通の拍子と同じ身体感覚で鳴らすこと。算術が聞こえた時点で、音楽は死ぬ。
これは、ドラムを後から合わせるやり方とも矛盾しない。拍子の複雑さは、曲を書いた段階で木管と弦と鍵盤の側に書き込まれている。ドラムはそれを数えて示すのではなく、すでにある脈動の上を走る。
緊張は、どこで作られているのか
「Dense」を聴いた人の記述には、共通するところがある。
フィンランドの音楽サイトPienemmät Purotの2026年のレビューは、これほど長く複雑な曲なのに、驚くほど継ぎ目のない自然なひとまとまりになっていると書く。セクションの移り変わりが強引に感じられない。そして、名人芸を見せる機会はいくらでもあるが、焦点は個々の演奏ではなく、締まったアンサンブルにある、という。
同じレビューは、Segersの入り組んだ、それでいて前へ押し出すベースのリフが、ときにBerckmansのバスーンへ受け渡されると書いている。中盤あたりで狂乱の曲が遅くなり静まり、一息つく間ができる。そこではHanappierのヴァイオリンとBerckmansのオーボエが、わずかな郷愁を持ち込む。
フランスのRythmes Croisésの記事は、同じ曲を、猛烈な速さで駆け抜ける断裂だらけの主題の迷宮と描く。それはやがて浮遊するような区間に場所を譲るが、その浮遊は不健全なもので、新たな沸騰を生み、その沸騰がまた……と、文が途中で途切れている。
どちらも、緊張が途切れないこと、休んだと思った場所がまた次の沸騰の準備になっていることを書いている。
ここから先は、筆者の読みである。
ロックの曲では、ドラムがしばしば緊張の解放を受け持つ。フィルで次のセクションを予告し、サビでシンバルを開け、テンポを落として場面を切り替える。聴き手は、ドラムの合図で「ここで一区切りだ」と知る。
「Dense」の作り方では、その合図を出す楽器が、曲の設計に参加していない。区切りも、受け渡しも、静まりも、ドラムが入る前に木管と弦と鍵盤の側で決まっている。ベースのリフがバスーンへ渡されるのは、ドラムの合図によってではなく、書かれた構造によってである。
そうなると、聴き手は解放の合図を受け取りにくい。
静かな区間が来ても、それがドラムの区切りとして示されない。だから休みに聞こえず、次の沸騰の前触れに聞こえる。複雑さは驚きとして提示されるのではなく、逃げ場のない時間として続いていく。
Denis自身は2000年に、長い時間が絶対に必要なのは、反復によってある種の雰囲気や、強迫的な緊張を築こうとするときだ、と述べている。「Dense」を名指しした発言ではない。ただ、12分という長さが何のためにあるかを考えるとき、この言葉は手がかりになる。
ライヴでは、17分になった
「Dense」には、2009年のライヴ版もある。
パリ近郊の会場Le Tritonで、バンドの結成35周年を祝って行われた公演の録音で、2025年に『Live at the Triton 2009』として出た。
ここでの「Dense」は、17分27秒ある。スタジオ版より5分ほど長い。
編成も変わっている。Denisのドラム、Berckmansのオーボエとイングリッシュ・ホルンとバスーンは同じだが、Kirkはギターと鍵盤とサックスを持ち、ほかにベース、鍵盤、ヴァイオリン、バスクラリネットとサックスの奏者が加わっている。
翌2010年の『Clivages』で、Univers Zeroは録音でも全員で同時に演奏するやり方へ移っている。
なぜ5分長くなったのかを、本人が説明した資料は見当たらない。ただ、Denisは2000年に、曲の長さという考え方はコンサートの枠組みのほうに合っている、と述べている。ライヴのほうが、そうした雰囲気をもう少し長く展開するのに向いていて、聴き手がこの音楽をよりよく理解する助けになるのだという。
スタジオでは、ドラムは最後に重ねられた。ステージでは、ドラムは他の楽器と同じ時間のなかで鳴る。同じ曲の二つの版は、その違いを抱えたまま並んでいる。
それでも、録音の順番だけでは説明できない
ここで、話を一つの原因にまとめすぎないようにしておきたい。
まず、ドラムを最後に重ねるのは、Denisの言うとおりなら、Univers Zeroのほぼすべてのアルバムに共通するやり方である。「Dense」だけの特徴ではない。同じ方法で作られた曲が、すべて同じ緊張を持つわけではない。
「Dense」が他の曲より密に聞こえるなら、その理由は、録音の順番よりも、書かれた中身の側にあると考えるほうが自然である。Rythmes Croisésは、この曲にStravinskyやBartókの書法と、東欧の民俗音楽、Magmaのリズムの表現主義、Third Ear Bandの中世的な味わいが合わさっていると書いている。Denis本人も、Penderecki、Varèse、Charles Ivesといった作曲家から着想を得たと述べている。
次に、ドラムを後回しにしたことには、Denis自身が認める代償がある。自発性とエネルギーが損なわれることがある、クリックが窮屈だ、と本人が言っている。後年、全員で同時に録る方法へ切り替えたのは、その代償を取り戻すためだった。
つまり、後重ねは緊張を作るための方法として選ばれたのではない。木管と弦の響きを守り、精度を上げるための方法として選ばれ、その副作用まで本人が自覚していた。
緊張の配置について、Denisが「Dense」の内部を直接説明した発言も見当たらない。拍子の具体的な組み立てや、反復の単位の長さを示す譜面も公刊されていない。中盤の静まりや、ベースのリフの受け渡しは、聴いた人の記述である。
それでも、言えることはある。
この曲を書いたドラマーは、ドラムから書かず、ドラムを最後に置き、ドラムが木管を覆わないことに神経を使い、複雑な拍子を数えないことを理想にしていた。どの発言も本人のもので、どれも同じ方向を向いている。
まとめ
Univers Zeroの「Dense」は、ドラマーのDaniel Denisが書いた12分の曲である。
Denisは、2000年、2010年、2014年のインタビューで、曲をドラムから書くことはほとんどなく、他の楽器から書き始めると述べている。Univers Zeroの音楽はドラムのために作られていない、とまで言っている。
譜面を読まず、カセットレコーダーで自分の演奏を1本ずつ重ねて曲を書いた。録音でも、他の楽器を録り終えてから、ドラムを最後に重ねてきた。2010年の『Clivages』で、ようやく全員で同時に録る方法へ切り替えたという。
その理由は、編成にある。バスーンやオーボエのそばでロックの叩き方をすれば、木管は消える。だからドラムをオーケストラの打楽器のように使い、和声と音色を覆わないことに注意を払った。
複雑な拍子は、数えずに、基本の4/4と同じように感じて鳴らす。算術が聞こえれば、音楽は生気を失う。
ドラマーが率いるバンドで、曲の骨格と時間の流れを先に決めていたのは、木管と弦と鍵盤の側だった。ドラムは、その完成した響きのなかに、壊さない居場所を最後に探す楽器だった。「Dense」の逃げ場のなさは、合図を出すはずの楽器が、合図を出さない位置に置かれていたことと無関係ではない。