ギターの木は、人間の耳のために選ばれる。
指板が黒檀か、ローズウッドか。ネックがセットか、ボルトオンか。こうした違いは、たいてい「音がどう聴こえるか」「手にどう返ってくるか」で語られる。
聴き手は人間である。それが前提になっている。
だが、聴き手が機械である場合がある。
ギター・シンセは、弦の振動から音程を読み取り、それを別の音源の演奏に変える。この読み取りがうまくいかないと、出したはずのない音が鳴り、出した音が遅れて鳴る。
カナダのGodinは、この機械の耳のために楽器を作った会社である。
指板の材とネックの接合は、シンセが音程を追いやすい側が選ばれたという。ナイロン弦のギターでシンセを鳴らすために、6本のサドルそのものをピックアップにした。
ギター・シンセの読み取り部は、ふつう後から取り付ける部品である。Godinはそれを、楽器の中へ作り込んだ。
この判断は、思いつきではない。その手前に、ずいぶん遠回りな製造の来歴がある。
窓枠の工場で、ひどいギターに出会った
Robert Godinは、モントリオールの楽器店で若いころから働いていた。
10代のうちから、弦のゲージを変え、ギターにバンジョーの弦を張り、部品を改造していた。当時の弦は太くてチョーキングしにくかったから、バンジョーの弦を使った、と本人は述べている。改造の評判は口コミで広がり、遠くトロントやケベック・シティから客が来たという。
転機は、狩猟旅行である。
ケベック州東部の小さな村、ラ・パトリ。そこで木製の窓枠を作っていた職人が、ギターも作っていた。
窓枠の商売は、市場がアルミへ移ったことで傾いていた。持っていた木工機械を遊ばせないために、ギターを作り始めたのである。
Godinはその工房を訪ね、ギターを弾いた。後年の回想は率直である。正直に言ってひどいギターだった、木の厚みがまるで間違っていた、と述べている。
それでも彼は、この工房のことが頭から離れなかった。モントリオールの店を手放し、その事業に加わった。
この出会いの年は、資料によって分かれる。1972年の狩猟旅行とする記事がある。いっぽうで、1970年10月とし、同じ年に共同でギター作りを始めたとする企業史もある。
どちらにしても、出発点は楽器メーカーではない。窓枠の工場と、ひどいギターである。
狩猟旅行で鹿を持ち帰った仲間をよそに、自分はギター工場を持ち帰った、とGodinは冗談めかして語っている。
最初の商売は、他社のための部品だった
共同事業は長く続かなかった。
窓枠職人が製造を受け持ち、Godinが設計と販売を受け持った。Godinはバンにギターを積んで、小さな楽器店を一軒ずつ回った。だが次の一手で意見が合わず、Godinは1978年に独立して、ラ・パトリで自分の工場を始めた。会社の名はLaSiDoである。
ここで最初に手がけたのは、自社ブランドのギターではない。
アメリカの会社向けの、エレキギターの部品である。
そして1970年代の終わり、その顧客のうち何社かが倒産した。LaSiDoは破綻の寸前まで行った。銀行は融資を引き上げ、Godinは個人の資産まで売って会社を残したという。
1980年、下請けをやめ、ギターを作る会社として立て直した。1982年にSeagullのラインを出し、同じ年にかつての共同事業のブランドだったNormanも買い取った。
ただし、下請けの経験は捨てられていない。後にGodinの名で出るエレキギターのラインは、この下請け事業から育ったものだと企業史は書いている。ネックとボディはラ・パトリで作り、仕上げは米ニューハンプシャー州のベルリンで行う体制だった。
1995年のある販売店の誌面は、この会社を読者に紹介するとき、Godinは他の大手ギター会社のために15年以上トップクラスのギターを作ってきた、と書いている。どの会社かは書かれていない。
名前が表に出る前から、この会社は他人のギターを作れるだけの製造を持っていた。
200ドルのギターを良くするほうが、難しい
Seagullで、Godinは自社の考え方を形にした。
良い2,000ドルのギターを作るのは簡単だ。良い200ドルのギターを作るのは難しい、とGodinは述べている。
この言葉は、値段の話ではない。何を削らずに残すかの話である。
Seagullは、手の届く価格のギターに、単板のトップとラッカー塗装を残した。そして仕上げは、光沢を抑えたサテンだった。
当時の楽器は、厚く光る塗装が主流だった。見た目のほうが音より優先されていた、と後年の記事は書いている。Godinの塗装は薄く、楽器がよく鳴った。
それが売り場では裏目に出た。
光沢どころか、半光沢でもない。文字どおりのサテンだった、と同社の営業責任者Mario Biferaliは振り返っている。店に持ち込むと、未塗装のギターだと思われた。気に入ってくれても、仕上げてから持ってこいと言われる。ただ、音を聴いた販売店は納得した、という。
もう一つの特徴は、先へ行くほど細くなるヘッドである。遠くからでもSeagullだと分かる形だが、これも見た目のためではない。弦がまっすぐ引かれ、ネックのねじれを抑えるため、と説明されている。変則チューニングを使う奏者が増えていたことも、理由に挙げられている。
塗装も、ヘッドも、店頭では説明が必要な判断だった。
この「説明しないと伝わらない」という性質は、このあとも続く。
エレキの奏者に、アコースティックの音を渡す
Godinの初期の代表作に、Acousticasterがある。
見た目は薄いエレキギターである。ネックもエレキのものだ。だがブリッジの下に、18本の調律された金属の歯が仕込まれている。
アコースティックの音が欲しいエレキの奏者がたくさんいた、それがAcousticasterの差別化だった、とBiferaliは述べている。目を閉じればアコースティックに聴こえる、とも。
ここで起きていることを整理しておく。
エレキとアコースティックは、ふつう別の楽器として作られる。弾き手は持ち替える。
Acousticasterは、持ち替えの手前に楽器の側で答えを出した。エレキの手と、アコースティックの音を、一本の中でつないだのである。
ナイロン弦では、ギター・シンセが鳴らなかった
1995年春、米国の販売店Sweetwaterの誌面に、Godin Multiacの紹介が載った。
そこで書き手が真っ先に挙げているのは、スチール弦版とナイロン弦版の両方があることだった。それまでのギター・シンセの技術は磁気式のピックアップに頼っていて、ナイロン弦ではまったく使えなかった、と書いている。
磁気式のピックアップは、鉄の弦が磁界の中で動くことを読む。ナイロン弦は磁界を乱さない。だからクラシック・ギターは、ギター・シンセの外側に置かれていた。
Multiacは、読み取る場所を変えた。
6本の弦それぞれに独立したサドルがあり、そのサドル自体がピックアップになっている。この6つのサドルが、ギターを電気の音にするのにも、ギター・シンセを動かすのにも使われる。
その結果として、外付けのRoland GK-2が要らなくなった。誌面はそこまで書いている。
ギター・シンセを使うには、ふつう弦の下に専用の分割ピックアップを取り付ける。GK-2はその代表である。ギターを選ばずに付けられる代わりに、あくまで後付けの部品だった。
Multiacでは、その部品がブリッジの中に消えている。13ピンのケーブルを挿せば、そのままシンセにつながる。
Godin自身は、このシリーズを始めた楽器をMultiac Nylonとしている。シンセ用の電装を積みながら、型番にはSAと書かれていないモデルである。スチール弦のMultiac Steel SAは、1994年から2009年まで作られた。
ナイロン弦から始まったことには意味がある。磁気式で読めない弦こそ、作り付けの読み取りを必要としていた。
Sweetwaterの書き手は、Godinがこのギターの開発に2年以上を費やしたとも書いている。ボディはマホガニーの塊から削り出され、内部に2つの空洞がある。厚みは2インチと4分の1しかない。操作部はボディの下側ではなく、ネックに近い上側の肩に並んでいた。
この操作部の位置も、すぐには理解されなかった。
Multiacは同社最大の成功例のひとつだが、見てすぐに分かってもらえたわけではない、説明が必要な楽器だった、とBiferaliは述べている。製品の講習をずいぶんやった、と。上に付ければ、ネックとつまみを同時に見ていられる。それが理屈だった。
Seagullの塗装と同じである。Godinの判断は、たいてい店頭で説明を要した。
外付けか、作り付けか
Multiacのサドルを作ったのは、RMCという小さな会社である。
創業者のRichard McClishは、その前にZETAという会社を共同で興し、バイオリン用のポリフォニック・ピックアップを作っていた。そのピックアップで動かすpitch-to-MIDIコンバーターは、カナダのIVLがZETAのために製造したものだった、と彼は述べている。IVLは、のちにDigiTechのWhammyやVocalistを設計・製造し、TC-Heliconを合弁で立ち上げる会社である。
ギターの音程を機械に読ませる仕事は、こうして何社かのあいだをつないでいた。
McClishは2003年のインタビューで、GodinがRMCの考え方に早くから目を付け、RMCのシステムを軸に13ピン出力つきのMultiacを設計した、と語っている。
そして、RolandのGK-2とRMCの違いを、こう対比した。
GK-2の電装は費用対効果がよく、取り外せるユニットとして設計されている。RMCの電装は高くつくが、性能と、楽器の中に恒久的に収まることを前提に設計されている。
外付けか、作り付けか。
違いは取り付け方だけではない、とMcClishは言う。RMCは弦の振動する部分の終端を聴いている。そこでは倍音がすべて同じ位相に揃い、基音がはっきりしている。磁気式は終端から少し離れた位置を聴くので、基音が弱く、倍音の位相がばらつく、と彼は説明している。
これはRMCの側の説明である。どちらの方式が優れているかは、この説明だけでは決まらない。
大事なのは、作り付けを選ぶと何を引き受けることになるかである。
取り外せる部品なら、ギターは元のギターのままでいられる。作り付けにすれば、その電装は楽器の一部になる。ボディの空洞、ブリッジの構造、操作部の位置まで、読み取り部を前提に決まる。
Godinが引き受けたのは、こちらの側だった。
同じインタビューで、McClishはもう一つのことを述べている。GodinのLGX-SAとLGXTの新しい版のために、ピックアップ・システムの製造を始めたところだ、と。好評だったギターのピエゾの供給元を切り替えるという判断に驚いた、とも。
作り付けにした会社は、読み取り部の出来に、楽器ごと責任を持つことになる。供給元を替えるのは、その帰結である。
シンセのために、木を選ぶ
ここで、冒頭の話に戻る。
Premier Guitarの2013年の記事は、GodinがMIDIに強い会社として知られるようになった経緯を、Robert Godinの実験から説明している。
黒檀の指板は密度が高く、基音が早く立ち上がる。そのため、シンセが音程をより効率よく追い、検出できる。ボルトオンのネックは共振が少なく、それがかえって有利だった。共振は、音程を正確に追おうとするシンセを混乱させることがあるからだ、と記事は書いている。
この記述には、測定の数字は付いていない。Godinの側の経験則として読むのが妥当である。
それでも、判断の向きははっきりしている。
ふつう、共振は楽器の「鳴り」として歓迎される。ネックとボディがよく響き合うことは、ほめ言葉である。
だが、機械の耳にとって、余計な共振は雑音である。基音がすぐに立ち上がらなければ、音程の判定が遅れる。
Godinは、楽器の木と構造を、人間の耳だけでなく、機械の耳に向けても選んだ。
実際に使った奏者の言葉も、この向きと一致している。
Billy Idolのギタリストとして知られるSteve Stevensは、Godinに最初に声をかけた理由をMIDIだったと述べている。フラメンコを軸にしたアルバムを作るところで、ナイロン弦のギターが必要だった。同時に、ダンスの要素やドラム・ループも取り込むつもりだった。シンセを鳴らせるナイロン弦のギターがあると知って飛びついた、という。2000年のソロ作『Flamenco A Go Go』にそのギターが大きく効いた、と。
GenesisとPhil Collinsのツアーで弾くDaryl Stuermerは、LGXTについて、もともとはエレキの音からアコースティックの音へ切り替えられる良いエレキが欲しかった、と述べている。そのうえで、おまけに13ピンのシンセ出力が付いている、と。
二人とも、シンセのための特殊な楽器を探していたわけではない。いつものギターのまま、シンセにも届く楽器を探していた。
一本の楽器から、出口をいくつも出す
LGX-SAは、この考え方をエレキのソリッド・ボディに持ち込んだものである。
2基のハムバッカーに、サドル下のピエゾを加え、さらにシンセへの出力を持つ。エレキの音、アコースティックの音、シンセの音。出口が3つある。
Acousticasterで、エレキの手にアコースティックの音を渡した。Multiacで、ナイロン弦をシンセにつないだ。LGX-SAで、エレキのソリッド・ボディに3つの出口を作った。
並べてみると、Godinが動かしてきたのは「ギターの種類」ではない。
一本のギターから、どこへ音を出せるかである。
この延長に、Multiacの系列が中東のウードやウクレレにまで広がったことがある。2013年の時点で、Multiacはナイロン弦とスチール弦を合わせて23モデルを数えた。
MultiOudは、11弦の古い楽器であるウードを下敷きにしている。Godinは、調弦と電気増幅の問題に苦労してきた数え切れない奏者たちに着想を得た、と紹介している。
ここでも課題は、楽器を電気の世界へどうつなぐかである。
作り付けを支えたのは、製造の来歴だった
ここからは、資料を並べたうえでの読みである。
読み取り部を後付けにすれば、楽器メーカーは電装に責任を持たなくて済む。ギターはギターとして売り、シンセへの接続は買い手と別の会社に任せればいい。
作り付けにすると、そうはいかない。ボディの空洞、ブリッジ、操作部、指板、ネックの接合までを、一つの設計としてまとめる必要がある。外部の電装メーカーと組み、供給元を替えるときも、楽器ごと作り直す。
これは、製造に自信のない会社には選べない道である。
Godinの来歴は、ちょうどその自信を育てる順序になっている。
他社のための部品から始めた。顧客が倒れて自分も倒れかけ、自社ブランドへ切り替えた。200ドルのギターで、何を残すかを決めた。そして、同じ製造で、名前の出ない他社のギターも作り続けた。
工場の体制も、それに沿って変わってきた。2006年版の企業史は、ラ・パトリにネックとヘッドの工場と、アコースティックの組み立て工場を置き、工程ごとに小さな工場へ分けていたと書く。2013年の記事では、ケベックの5工場とニューハンプシャーの1工場が、それぞれ特定の楽器を最初から最後まで作る体制として紹介されている。年産は2013年時点で17万5,000本とされ、別の記事では約25万本とされている。
どちらの時期にも共通しているのは、小さな町の工場で、長く勤める職人を抱えるという方針である。妻や子どもも同じ工場で働いている、とBiferaliは述べている。
楽器の中に電装を作り込むには、その楽器を最後まで自分たちで組めることが前提になる。
まとめ
Godinは、窓枠の工場で出会ったひどいギターから始まった。
最初の商売は、他社のための部品だった。顧客の倒産で倒れかけ、自社のギターへ切り替え、200ドルのギターで何を削らないかを決めた。
その製造の上で、Godinはギター・シンセの読み取り部を、後から付ける部品から、楽器の中へ作り込むものへ移した。
ナイロン弦では磁気式が使えなかったから、サドルをピックアップにした。シンセが音程を追いやすいように、指板の材とネックの接合を選んだとされる。
ギターの良し悪しを、私たちはたいてい自分の耳で決める。
だが、ギターの音を最初に受け取るのが人間でない場面は、いまでは珍しくない。シンセも、モデリングも、プロファイラーも、ギターから入ってきた信号をまず機械が読む。その入口が何を前提に作られているかで、その先の反応は変わる。
Godinの楽器は、その入口を楽器の側から設計した一つの例である。ギターを選ぶとき、誰がその音を最初に聴くのかを考えてみると、同じ木の違いが別の意味を持って見えてくる。
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